【店主のひとりごと】18
店主のアキラです。
いつも投稿をご覧いただきありがとうございます。
私の30代の時の話です。
ジャズ喫茶「ベイシー」の話に行く前に、私の一関での仕事の話を少し。
2001年の春に一関に転居した私は、今までの流通小売業とは全く畑違いの広告会社に身内の紹介で働くことになり、当初は営業や経理などを担当していました。
その会社は、仙台に本社を置くKからはじまる新聞社(東北地方のブロック紙)の名前を冠した広告会社で、主に岩手、秋田、宮城県北・沿岸の企業や団体、自治体などの新聞広告を扱っていました。
クライアント(広告主)は温泉旅館や観光施設が多く、イベントの告知やツアー募集なんかの広告も得意にしていました。
で、今まではお客様が店に来るという受け身の営業でしたが、今度の仕事は、私が商品を販売しに行くという、攻めの営業となります。
しかも商品は実体がない、新聞の広告枠(記事の下の部分)を売るというものです。
営業はまったくの未経験なので戸惑いもありましたが、何事もチャレンジと取り組みました。
少し、新聞広告について説明すると、その当時の新聞は紙面が15分割(現在は12分割)されており、1列の単位を「段」と呼びます。
1段〇〇円と値段が付いており、スペースが大きくなると値段が上がり、モノクロがカラーになると更に料金が追加されます。
新聞紙面の1ページ全部や見開きの2ページ、テレビの番組表がある面の下のカラー広告なんかはお高いので、何百万といった金額がかかります。
新聞も朝刊と夕刊に分かれ、時には〇〇特集といった別刷り(別冊的なもの)も発行されます。
例としては「夏のおでかけガイド」や「仙台国際ハーフマラソン特集」なんかがあげられます。「河北ウィークリー」なんかも別刷りになります。
私がいた広告会社もシーズンごとに「春のレジャー特集」や「忘年会・新年会特集」といった別刷り(記事と広告からなる新聞)を、地方版(宮城県北・沿岸、岩手県南・沿岸)で発行しており、それがその後、月2回発行の情報紙のベースとなりました。
この情報紙の発行により、私は新たな分野である、編集やライター(取材をして記事を書く人)といった仕事も兼務することになりました。
21年間、営業と編集で出会った人は数えきれず、ジャンルは多岐に渡ります。
それぞれに会った方との会話やエピソードは手帳や記事、取材ノート、私の記憶に残されており、ここでも少しずつお伝えしたいと思います。
あっ 新聞広告を出したいという方はぜひご相談下さい。前職の担当者を紹介させていただきます!
新聞は信頼できる情報源で、しかも簡単に保存できます。色々な人が紙面に目を通すので、さまざまなビジネスチャンスの芽が生まれます。
各種メディアの担当者の情報源にもなっているので、取材のきっかけにもつながりますよ〜
続く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?