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【店主のひとりごと】6

私の大学時代の話です。

楽器店のアルバイト話に進む前にひとつ。

喫茶店を退職し、アルバイトを転々としていた時期、私はアルバイトを3つ掛け持ちしていました。
学校に行きながらで、夜はプライベートでも遊んでいたので、結構なハードスケジュールでした。

バイトは、高校時代から続けている製麺会社の配送助手とバッティングセンターのワンオペ、弁当の配達です。

夏の暑い盛り、バイトをしていると急に貧血状態になり、体調もすこぶる悪く病院に行くと「十二指腸潰瘍ですね」と告げられ、「出血しており輸血が必要なので入院してください」となり緊急入院することに。。

入院生活は1ヶ月半ほど続き、退屈な日々。
年配の方に囲まれた6人部屋では、若い患者が珍しいのか、色々とかわいがっていただきました。

ようやく退院すると、筋肉が衰えさすがにアルバイトに復帰するのは無理そうで、わりとすぐ学校に通うことに。
その時に「すぐ通うのではなく、体力が戻るまで自宅で少し休養すればよかった」と、後から思いましたがあとの祭りで、私はまた体調を崩し、謎の高熱に見舞われることに。。。

病院に行くと「肺炎ですね」と告げられ、また緊急入院することに。

39〜40度の高熱が続き、食事も喉が通らず、連日点滴の日々で、移動も車椅子の状態に。。。。

これが10日ほど続き、「もうアカン(なぜか関西弁)」という状態になり、もうろうとした意識の中で、上の方から何かお迎えのようなものが来て、体が少し「ふわっ」と浮く体験をしました。
「オレにはまだやるべきことがある」と、お迎えを追い返した記憶があります(夢だったかもw)。

途中、症状が改善しない私をみて先生が、「肺炎の薬が効かないので検体を検査してみます、もしかしたら他の種類の肺炎かも」と言われ、検査の結果は「マイコプラズマ肺炎」でした。なんか珍しい肺炎だったみたいです。
そこから、それ専用の薬を点滴され熱も下がり瀕死の状態から生還することに。

退院前に院長先生が「先日マイコプラズマ肺炎の人が亡くなったんですよ」とサラッとおしゃいました。約3ヶ月の入院生活でした。

この時の教訓は「無理をすると病気になる」ということでした。

まぁ この時の経験があるので、その後は体に気を配るようになり、この年まで大病もせず過ごすことができました。

そのうん十年後に、体じゃなく、精神的にやられる経験をすることになるとは、若かりし私には知る由もありませんでした。

続く。

#店主 #カフェ店主 #店主のひとりごと

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