なぜ書くのか
自分のことは書くのは好きじゃないなって、思っていた。
「書くことが好きない人」って、子供の頃から本を読んで、語彙力を身に着けてたり、現代文のテストで満点近い点数を取る人のような、先天的天才的文才を持つ人だとか、沢山の努力をして何かを大きなことを成し遂けた人だとか、他人とは違う視点で物事を考え、「伝えたいこと」を持っている人だとか、そういう人たちのことを言うのだろう。
僕はというと、子どもの頃から本は読んではなかったし、現代文のテストでは50点ぐらいだったし、何よりもまず読むことに集中できなかった。
だから、僕は「書くことが好きな人」にならない
人生を送るのだろうなって、思っていた。
自分が出来ない分、ずっと文章を書ける人に憧れていたし、本を読める人にも憧れていた。
大学入試の二次試験「小論文」を勉強したことをきっかけに、自分の「文字」に対しての意識が変わった。当時、小論文対策をしてくれた身長190㎝ある大型の巨人みたいな先生から、自分の書いた文章を見せた時に「お前の言っていることは全く伝わらない」ときっぱり言われた。真剣な顔で僕を否定した。
けれど、自分の文章を独りよがりだと、痛めつけたのと同時に、どうやって伝える文を書けるかも教えてくれた。何回も先生に見せに行き、赤ペンで修正してくれた。そのおかげで、自分が語彙力がないことも、どうやったら文章を書けるのかも気づくことができた。
それを機に、本を読むようになった。この人は何を考えて文章を書いているんだろうって思いながら。段々、「Siri」のように文字を読み上げていたのが、人の言葉や文章に自分の心を動かされるようになった。
いまだに数多くのレポートをこなしても、納得できるような文章を書けてる気もしないし、良い成績を取っているわけでもない。それでも、もっときれいな文を書けるようになりたい、面白かったことを面白く伝えれるような大人になりたい。そんな思いが強くなっていった。
自分という人間が、日常でどんな視点をもって世界を見ているかわからなかったから、大学3年から日記を書くようになった。一日の終わりに感じたことを記録して、普段目には見えない、気持ちの流れを知るようになった。
内面的な感情を素直に表現することで、心が整理され、客観的に重要なことが見えてくる。けど、最初の頃の日記を読み返すと、かなり恥ずかしい文章を書いていた。真剣で、ひたむきな文字。不安を抱き、葛藤しながらも頑張ろうと自分に言い聞かせるような言葉は、その時成長するためには必要不可欠だったなと思う。
もっともっと文章力を上げたくて、noteを始めました。
生まれてから今の今までずっと、人に自分の文章を見せたことないから、不安はあるし、下手くそだし、たとえ自己満だったとしても、またいつかこれを見返した時に、始めてよかったなと、思えるようになりたいです。
これからは感じたことをできる限り正直に書こうと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。