第三章 草創と守成、いずれが難きや
貞観十年(西暦636)、太宗は側臣に向かって言った。
「帝王の業として、国を建てる草創と、その国を維持する守成とでは、どちらが難しいだろうか。」
尚書左僕射の房玄齢が次のように答えた。
「天地が乱雑で暗い時には、群雄が競って立ち上がり、攻め破って相手を降し、戦いに勝ってようやく克服します。ことことから言えば、草創の方が難しいでしょう。
それに対して、魏徴は次のように答えた。
「帝王が現れるのは、必ず世が衰えと乱れを承けてのことです。愚かで悪賢い奴らを倒せば、民衆はその人を押し戴こうとしますので、天下は懐いてきます。これは天が授け人が与えるものであって、さして難しくはありません
。ところが、一旦それを成し遂げた後に、君主の心が驕って気ままに暮らしたいと思うようになると、民衆は安静を望んでも徭役は止まず、民衆が疲れ衰えても君主の贅沢の気持ちは止みません。国の衰退はこうして起こります。このことから言えば、守成の方が難しいでしょう。」
太宗は言った。
「房玄齢はかつて私に従って天下を平定し、つぶさに艱難辛苦を味わい、急死に一生を得るような経験をした。だから草創の方が難しいと見たのである。魏徴は私とともに天下を安泰にしようとし、驕りの芽が生じれば、必ず存亡の危機に立つことを心配している。だから守成の方が難しいと見たのである。今や草創の困難は過ぎ去った。守成の難しさこそ、まさに私は汝らとともに慎まなければならない。」
人の見方はその立場や経験から違ってきます。
リーダーはそれぞれの立場の背景をよく理解し、いますべきことを決めなければならないのです。
運命を好転させるには、現象の意味を知る必要があります。
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