質問:なぜイケてないUIをデザインしてしまう時があるんですか?
先日、社内イベントにてUIデザインに関するLTをした後に、他部署のメンバーから表題の質問を受けました。
Slidoでの匿名投稿ではあったものの、なんだかここまでリアルガチな「忌憚なき」質問も珍しいような。
はばからずに思ったことを素直に言い合える。たぶんakippaでは心理的安全性とかいうやつが、ちゃんと作られているのでしょう。
思いがけず投げかけられた豪速球。なんとか打ち返したかったのですが、残念ながらその場では「大人の事情で……」とお茶を濁しただけで、まともな回答ができませんでした。
そこに含まれる複雑な事情たちがグルグルと頭を巡り、目の前はずーっとロード画面のまま。即座にうまく言葉にまとめられなかったのです。
イベントから一週間ほどが経過した今、本当はあの時言いたかったことがようやくわかってきた気がします。
質問者さん的には「なんだよ今さら?お前との関係(登壇者と質問者)はとっくに終わったんだよ!」という感じかもしれません。
でも、重い女だと思われたってかまわない。
私なりの回答を忌憚なくつづってみたいと思います。
どの程度「してしまう」のか
まず、「してしまう時がある」という表現には「常時ではない」というニュアンスが含まれています。
つまり質問者さんは「イケてるUI」が平常運転で、「イケてないUI」はたまに起きるダイヤの乱れ、ぐらいに思ってくれているのか?
たとえばアンケートの回答なんかでも「当てはまる」のバリエーションとして「やや当てはまる」とか「かなり当てはまる」とか、程度や頻度の振れ幅がありますよね。
本件も、頻度によって疑うべき原因が異なってくるように思います。
「ちょくちょく・しばしば」の場合
こちらは何か根本的から改善すべき問題がありそうです。
まずはデザイナー自身のセンスや熟練度。精進するしかないやつ。
あるいはデザイナーが十分に能力を発揮できない環境なのかもしれません。なぜかオフィスがミートソースの匂いとか、社長夫人のフラワーアレンジメント教室に強制参加させられるとか。(※どちらも過去の勤め先での実体験です)
転職した方がいいやつですね。よかったらakippaの採用サイトを覗いてみてください。
「ときどき・まれに」の場合
こちらは外部的な要因も大いに絡んでいそうな気がします。
プロダクト開発の理想は、Quality(品質)、Cost(コスト)、Delivery(納期)のすべての条件を、高いレベルでバランス良く満たすこと。
ただ、事業環境などによってCやDを重視し、意図的にQの優先度を「最低限」に設定するような場合もあります。
このようなケースでは、工数のふくらみを抑えるため、たとえば次のような制約の元でデザインを進めることになります。
標準的なUIコンポーネントのみで構成する
既存システムには手を加えずに可能なデザインを考える
つまり、判断軸がどう使われるか?よりもどう作るか?にかなり寄せられます。主語が「ユーザー」ではなく「開発者」になるんですね。
その結果、ユーザーにとっては使いにくい・イケてないUIを作ってしまうということが起こりやすくなります。
デザインはトレードオフの集合体
UIに限らず、すべてのデザインはその過程に無数の判断を含みます。
最終的なアウトプットの裏側には、想像よりも遥かに多くの「やらなかったこと」がうず高く積まれているものです。
もちろんデザイナーの未熟さゆえに詰めが甘かった、ということも多々あるでしょう。
でもそれとは別に「状況による判断」という、デザイナー個人ではコントロールしがたい原因でダイヤの乱れが起こるケースも確実に存在するのです。
つまりさ、しょうがなかったんだよ。
とはいえ、門番として
開発者とユーザーの両者の視点を尊重できる存在がデザイナーです。
いかなる状況だったとしても、自身がクオリティの最後の門番であることを自覚し、責任感を持って公正な判断を下せるようにしなければいけません。
それにはユーザーを思う強い気持ちと、チームを巻き込む強い説得力が必要不可欠です。
あっ……結局どっちにしろ精進するしかないやつだった。
はい、頑張ります。
たまに不本意な判断をすることがあったとしても、「それでも自分は十分やった」と常に胸を張れるように仕事をしていきたいなーと思います。
それでは、また。
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