こどもとおとなの違いって必要ですか?
こんにちは、あきぽんぬです。
あなたは人との差を感じたことはありませんか?
「私が一番すごい」
「あの子のほうがかっこいい」
「なんでわたしにはできないの?」
こんなことをふと考えて、なんでこんなこと思わなきゃいけないんだろう。そう思いました。
コロナのニュースで...
今朝コロナウイルスのニュースの中で「ママさん」がとても困っているからという趣旨で議論が行われていました。
私が一番気になったのは学校にいかないことで「子供の教育に‘‘差‘‘が付いてしまう」という悩みが多かったことです。
私はとても違和感がありました。
``差``の何がいけないんでしょうか。
「こどもが家の中でゲームばっかやるようになって困っている。勉強させなきゃ...」
これも違うと思います。
子どもは勉強よりゲームの方が楽しいと思うからゲームに走るんです。
こんなときこそ勉強をしてきた「大人」の出番じゃないんでしょうか。
ゲームより楽しい勉強の仕方を一緒に考えてあげる。
ゲームやスマホより楽しめる外での一人遊び方を教えてあげる。
こんなときのためのおとなでありたい。
自分がこどもに遊びを教えられない言い訳をコロナウイルスのせいにしてはダメだと思います。
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かといってもママさんはとても大変ですよね。
家事に加え夫のごはんをつくり、こどもの面倒も見る。仕事並み、それ以上に大変なことだと思います。
私は「差」が付くことに不安を感じるような価値観をつくりあげた原因を考えました。
年次主義が「人との差」を強くした
自己啓発本に散見されるのは「自信を持てば人と比べなくても自分を認められる」という趣旨の本だ。
まあ間違ってはいないが、現状の日本の教育制度から「人と比べないで生きる」こと自体、不可能に近いと思います。
その教育制度こそ「年次主義」です。年次主義は1年単位で学年が上がることを言います。
年次主義の主なメリットとデメリットを考えました。
メリット:明確な成長基準を設けることができる。教育機関に任せておけば、子どもは学ぶ姿勢を身につけることが出来る。社会経済を担う成人を一定数供給することができる。
デメリット:十人十色のこどもの学習能力に対して柔軟に対応できる教育制度ではないこと。例えば小学校を飛び級できる子もいれば、12年間かけても良いような制度があっても良い。
年次主義は経済の安定をもたらしますが、一方で子どもたちに対する圧迫を生み人との差を意識させかねません。
こどもたちにはもっと柔軟に自分の未来を選択できるような「制度」があるべきと考えています。
おとなとこどもは人なんです
差はおとなとこどもという概念にもあります。
私がこの疑問を抱いたきっかけは大学1年の時にフランス旅行で見た風景がきかっけです。
フランスは日本とは真反対の気質だと感じました。
察する文化がなく自分の好きなことをおとなもこどもも思い切りしているように見えました。
町中の道路でバスケットボールを突きながら行く少年、公園で楽しく遊ぶ大人、その脇に本を読んでいる子供たち。
おとなとこどもって本来壁はないほうがいいんじゃないでしょうか。
たった60年、されど60年の人生だからこそ人との差やおとなとこどもとの差を意識しない社会になったいたら豊かな未来が描けるんじゃないか。
ふとそう思いました。
世の制度に抗うことは時には大切なことだと、そう伝えたかったですね。
あきぽんぬ