見出し画像

ハートはつかないけどまぁいっか。私が文章を届けたい相手は…

人付き合いは上手くない。
とっさの反応・会話が相手の望む物だったか反芻してしまう。

その点文字でコミュニケーションをとるのは気が楽だ。
受け取り手に委ねる部分は多々あるしやっぱり反芻もしてしまうけれど、時間に猶予がある分会話よりは自信がある。

高校生の頃、突然友達の元に行けなくなった。
ケンカしたとか仲違いしたとかではない。私が行って邪魔にならないかな?と不安を感じたのだ。
学年集会の前。体育館に集合して集会がはじめるまでの、各々仲の良いグループで雑談しているような時間のことだった。

社会人になってからも朝礼がはじまるまでのそういう時間が苦手だった。
だからギリギリに行ってたのだが直属ではない上司に怒られて、泣いた。(っていうかそもそも始業の30分前に集合させるとかおかしくないか?その時間タダ働きだぞ。)
その後朝礼システムが無くなったので非常に良いことだと思っている。

子供が学校に上がってから。保護者会で自由な席に座れる時は最前列で待機している。
こうすることで「仲の良いお母さん同士の会話があちらこちらで盛り上がっている中私だけぽつーん」状態を感じずに済むからだ。
自己防衛。我ながら良いアイディアだ。

1人って淋しいは淋しい。だからといって無理に誰かと話すのも面倒。
それに私の話や相槌は相手を満足させられないだろうと思うと、いっそ1人でいた方がマシだという結論に落ち着く。

もちろん誰かに話しかけられたら嬉しいけど、期待はしない。
私は私であなたはあなた。
私が操作できるのは私だけ。

あまり人と話をしない私だけど頭の中は忙しい。自動的に思いや考えや感情が湧いてくる。
それらを外に出すとスッキリするので私は書く。

書くだけなら自分しか見ない手帳やノートでも良いのに。でも私はこうしてnoteに書いている。
ずっとそれが自分でも謎だったんだけど、答えは単純だった。

私はこのnoteを、誰よりも私自身に読んでほしいんだ。

私は私と興味関心がまったく同じだ。
だからこの人の思考は面白いなぁと思うし、同じことを考えているんだなぁってホッとする。

手書きの文字だと私自身だってすぐわかっちゃう。
スマホのメモだと静かすぎる。
noteなら。できあがった自分の記事をスクロールすると自分と似ている人の記事が表示される。私以外の人の気配を感じられる。
私は私だけの世界にいるワケじゃないと安心できる。
そして似ている誰かの書いてくれた記事を読んで刺激を受けて、また書きはじめる。



#noteを書く理由

いいなと思ったら応援しよう!