安芸乃国酒造 オソラー・カーン さん
令和二年。新しい元号となって初めて迎えた桜の季節は、猛威を振るう感染症が影響し、例年のように桜の木の下で車座になっての賑わいを見ることが出来ません。気のせいなのか、それとも宴会に興じる人々の姿が邪魔にならないからなのか、今年の桜の艶やかさがひとしおに映ります。
安芸太田町に拠点を置き、町を発信し、町を開拓し、町を掘り下げ、あるいは表現し続ける「ひと」が驚くほどたくさん存在することは、この町に暮らしてみればよく分かります。それは、これまでにも新聞やテレビなどで多数取り上げられていますし、行政が運営するSNSなどいわば公的媒体でも紹介されていますが、その頻度も内容もまだまだ彼らや彼女たちを網羅するに十分とは言えないでしょう。そのあたり、表現が適切かどうかわかりませんが「氷山の一角」とでもいえばいいのかもしれません。
そこで、この度、我々“よそ者”の定住町民が地域づくりの団体として活動する「あきおおたDo」から配信することとなったのが、地域の魅力人紹介ブログ『あきおおたびと』地域の魅力ある人材を独自の視点で町内外へ配信する取り組みです。
この未曾有の状況の中、『あきおおたびと』を発信する事は、非常に意味があると考えています。
この『あきおおたびと』の発信によって、安芸太田町がもっと輝き、町外から魅力ある人々が住み、交流する事を強く願っています。
さらに、すでに活動をしてらっしゃる他の同様の取り組みから一歩踏み込み、一度取り上げた人物については継続して取材を続けて「その人のその後と今」も見つめていきたいと考えています。
さて、記念すべき初回号のゲストは安芸太田が生んだ“覆面鉄板焼職人”オソラー・カーンさん。町内外で活躍を続ける鉄板焼き職人が、今回地ビール醸造所を立ち上げる決断をしたその思いとはなんなのか?ビール好きならずとも必読の「あきおおたびと」です!
あきおおたびと(以降A)
A:オソラー・カーンさんが安芸太田町と出会ったのは、どんなきっかけがあったのですか?
オソラー・カーン(以降O)
O:2000年代にいわゆるリーマンショックがあって、そのころは日本中の企業が大きなダメージを受けましたが、私はそのころちょうど就職活動の時期と重なっていて、すでに内定をいただいていた企業があったのですがリーマンショックのあおりを受けてその内定を取り消されてしまったのです。
A:それは災難でしたね。
O:しかしながら、そこはやはり当然ですがそのままでいるわけにはいきませんよね。そこで新たな働き口を探している中で、恐羅漢(おそらかん)筆者注のアルバイト募集が目に留まって興味を惹かれ連絡を入れました。それがこの町*筆者注と出会った最初のきっかけですね。
筆者注「恐羅漢山(おそらかんざん)/恐羅漢」
恐羅漢山は広島県安芸太田町と島根県益田市にまたがたる標高1,346mの山。広島・島根両県内の最高峰(西中国山地国定公園指定)。オソラー・カーンさんが出会った「恐羅漢」はこの恐羅漢山の南北に延びる稜線に造成されているスキー及びキャンプ施設。キャンプシーズンには自然に親しむ利用者が、また冬になれば日本最西端最大の自然雪を楽しめるゲレンデに、毎年多くのスキーヤーが賑わいを見せる(現在は人工降雪機も併設)。なお戸河内町、筒賀村、加計町の二町一村が合併し安芸太田町となったのは2004年10月。オソラー・カーンさんが初めて恐羅漢山と出会ったのは旧戸河内町時代。
A:アルバイト先ではどんなお仕事を?
O:キャンプ場の整備やスキー客の対応などが仕事でしたが、ブナ坂レストランでお好み焼きも焼いていました。恐羅漢では前半はアルバイト、後半は正社員として都合10年程度働かせていただきましたが、その時の経験が今の仕事に役立っています。
A:なるほどそれが今の覆面鉄板職人オソラー・カーン!
O:そうですね(笑)
A:その覆面鉄板職人の「覆面」なのですがこれにもやはり何かのきっかけが?
O:恐羅漢で働いていたころ、現地で結婚式をあげられた方がいらっしゃいまして、その時出席者が仮装をして参列するということになっていたんです。そこで僕ら従業員も何かやろうということになりまして僕が持っていたレスラーの覆面を数人で被って仕事をしたのが最初でした。
A:覆面をかぶってお好み焼きを焼いたのですか?
O:そうです。これが予想外にお客さんのウケが良くて、それからずっと覆面したまま仕事をするようになってしまった・・・。
A:多分ですが、その覆面なのですが・・・、単純に暑くないですか?
O:暑いですよ!そりゃあもう暑い。何しろ目の前にあるのは鉄板ですしね。夏なんてたまらんですよ。メガネは曇るし。
A:(オソラー・カーンさんの巨体を食い入るように見つめ)まさに痩せる思いですね(苦笑)
O:(苦笑)僕は高校生のころラグビーをやっていたのですが、体育会系出身者アルアルで、大人になったら「運動量は減るけど食欲は落ちない」っていうやつの典型でして、いくら汗かいても体形は“維持”できています、というか成長しています(笑)
A:なるほど(笑)それは仕事の後のビールがウマいですね。
O:めちゃウマです(笑)
A:さて、今日取材をさせていただいたのはほかでもありません、そのビールのことなのですが、今回オソラー・カーンさんが地ビール。最近はクラフトビールとも言いますが、それの製造販売を始められたということでお話をお聞かせいただければと。
O:ありがとうございます。
僕は移動販売車を使って各地を回り、ハンバーガーやお好み焼きを販売して
いるのですが、その中でそれらを買っていただいたお客さんから「ビールはないの?」といった質問を受けることが良くあるんです。鉄板焼きとビールは、黄金の組み合わせですからね、そういうご要望が出るのも無理ありませんから次第に商売としても気になり始めていたんです。そんなとき、一昨年の6月だったと思いますが島根県の益田市にあるMランドという自動車学校で開かれた「Mランド祭り」というイベントに出店しまして、その際に一緒になった移動販売車があったんですが、それが偶然ですがビールの販売車だったんですよ。気になっていたビールですし、しかも移動販売車という。
A:運命的な出会い
O:どうでしょうか、でも、今思えばなにかに導かれたのかもしれませんね。その日はお話をお聞きするだけだったのですが、その後は何度もその方の醸造元「石見麦酒筆者注」さんに通って、ビールづくりの基礎や必要な設備のことなどを学ばせていただきました。
筆者注「石見麦酒」
平成27年、「地域の特徴を活かした地酒をつくりたい」と島根県江津市に夫婦二人で立ち上げた醸造所。江の川の恵みをいっぱいに受けた大麦や日本海の潮風に耐えた柚子などの農産物を最大限に活かし、バリエーションに富んだクラフトビールを作る注目のブルワリー。
A:石見麦酒さんでの“研修期間”を終え、ますますビールづくりへの思いを強くされて、引き続き試行錯誤の末、ついに醸造会社を立ち上げることになりましたね。
O:そうですね。昨年の3月にこの「安芸乃国酒造」を立ち上げました。
A:移動販売のお仕事をしてらっしゃるとはいえ、アルコールの製造販売となると全く一から始めることになると思います。場所の確保、機材の準備、材料の手配など相当なご苦労と、なによりも決意が必要だったと思いますが。
O:場所は安芸太田町の玄関口ともいえる「道の駅来夢とごうち」の敷地
内に、以前はパン工房だった場所が開いていてそこを買い取りました。土日や休みの日には町外から大勢のお客様がみえられますので、集客の面では好立地だと考えています。また、設備関係は「石見式」と呼ばれる設備の考案者である石見麦酒さんにお願いしました。さらに副原料の材料ですが、これはもちろん地元の生産者様から直接仕入れさせていただいています。昨年の8月いっぱいでこれまでお世話になっていた恐羅漢(株式会社恐羅漢)も退職させていただき、いわゆる退路も断った形です。安芸乃国酒造の代表取締役として生きていく、大きな決断となりました。私は今回の挑戦を「人生最大の賭け」と呼んでいます。不安ももちろんありますが、自分自身の成長と安芸太田町の将来に必ずプラスとなる、そう信じています。
A:いや、素晴らしい決意です。およばずながら応援しています。またこの「あきおおたびと」では、一度取材をさせていただいた方に期間を開けて時系列的な取材をさせていただくことにしています。私共としても今回の取材が第1回目の取材になりますが、ともに刺激しあいながら成長していければいいかと思っています。共に張り切ってまいりましょう!
最後になりますが、オソラー・カーンさんから安芸乃国酒造の未来図をお聞
かせください。
O:安芸乃国酒造を立ち上げる際に日本酒も作りたかったのですが、日本酒づくりの免許取得はとてもハードルが高くて断念しました。ビールを選んだのはそういうこともあったのですが実はそれだけではなくて、ビールは日本酒と違い副原料として地元の産品を取り入れることが出来るんですね。これが大きなポイントでした。実際今回の4品目は米や紫芋など、地元でとれた食材を使用してそれぞれの特徴を出していますが、私はこのビール販売を通じて、安芸太田町の良いものや豊かな個性を町外の方々にお届けし、また、町内の皆さんには再評価してもらえるような、そんな安芸乃国酒造にしていきたいと考えています。また、当面この場所は醸造所とビールの販売場所という形になるのですが、まだ飲食スペースに余裕があるので、将来的にはここの場所でおつまみになるような食事も提供して、工場直の出来立て生樽ビールが飲める飲食店というのもやりたいですね。
編集後記
取材をお願いしたのは工場オープン初日の三日前。まさに四角いジャングルに試合開始のゴングが鳴る直前だったにもかかわらず、体も器も大きなオソラー・カーンさんはウオーミングアップの合間を割いて快く応じてくださいました。コロナ対策が必要な今、覆面をした後ではマスクが装着できないということで、防菌マスクをした上から覆面のマスクを装着するという「ダブルマスク」で挑んでいただいたことに、あらためて感謝いたします。
そして4月18日のオープンの日。筆者はさっそく安芸乃国酒造が丹精込めて醸造した「井仁の棚田」「温井ダム」「三段峡」「恐羅漢」の四種類のビールを購入、そしてさっそく飲み干しました。筆者は年間0.5㌧は確実に消費する自他共に求めるビール党で、さらに新しい物好きなので、新製品で手の届くものはとにかく試しますし、地ビールもこれまでにも何度か味わってきました。その中には残念ながら私の嗜好には合わないものもいくつかありましたが、今回の4種類は正直「当たり」です。美味しいというか「ウマい!」。なかでも独断で決めさせていただけば、紫芋を使っている「温井ダム」が特におススメです!
なお、初回とはいえ不慣れな取材で失礼があったかもしれません。そしてこの
記事をお読みいただく方々にも十分にお伝えしきれていない部分もあろうかと思います。申し訳ありません。もっと深く知りたいと思われたとしたら、ぜひ一度、安芸太田町の安芸乃国酒造を訪れていただければ幸いに存じます。
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