筒賀 みんなのいえ 『まつおかギター教室』 開校準備中 松岡建次さん
きっかけは日常の中に/筒賀おやじのギター教室
とある向きの調査結果によると「おやじ」と呼ばれるのは43.9歳からという結果が出たそうで、それから行くと筆者の「おやじ歴」は十年以上ということになるのだけど、それってすでに「初老」かなにかでしょうか?
おやじという冠が付くと、そのあとに続くのは「ギャグ」だとか「臭い」だとかどうにも三枚目チック、というよりも小ばかにされ疎んじられるニュアンスになってしまいがちなのですが、実はそんなのばかりでもなくて、中にはカッコイイとまでは言えないけどもある程度の支持層と需要があり、イケてる人もそれなりに存在する「おやじバンド」というカテゴリーもありますね。
ということで今回のあきおおたびと、ゲストは御年五十うん歳の筒賀のおやじ、松岡さんをお招きしました。近々ギター教室を立ち上げる予定の松岡さんと安芸太田町とのかかわりをじっくりご賞味ください。
移住の決断
<安芸太田町に移住されたきっかけもと自己紹介をお願いします>
松岡
ざっくり質問してきますね(笑)
<同年代のおやじ同士なので、若干気を抜いています(笑)>
松岡
ですか(笑)まあいでしょう。
僕が安芸太田町に移住したのは今から4年前です。それまでは広島市内で家族(妻と男の子)三人暮らしていたのですが、息子が保育園に上がる時期になって子育て環境を改めて考えた時にこの安芸太田町の情報に巡り合って、結果、移住を決めたという感じですね。
<ありがとうございます。かなりざっくりですが…>
松岡
おやじ同士なので気を抜いています(笑)
<子育てを考えて中山間地へ移住するという話はよく聞くのですが、言葉で言うほど割り切れるものではなかったと思いますが?>
松岡
正直なこと言えば「まさか自分が移住なんて!」と思いました。安芸太田町に移住するということは当時30年近く勤めていた会社も辞めなきゃならなくなるし、安芸太田町で新しい仕事も探さなくちゃならないわけでしょ。この歳で。しかも近くに海のない中山間地に暮らすなんて…!
僕は大阪生まれなのですが11歳の頃からはずっと広島の宇品で暮らしていましたし、宇品には近くに海があってそれが普通でしたから、まず海のない町に住むなんて想像の片隅にもありませんでした。市内の繁華街も生活圏ですし、カープの試合もサンフレのゲームもスタジアムで観戦するのが普通でした。まあ今考えれば根っからの都会っ子だったのだと思います。ちょっと大げさかもですが青天の霹靂に近かった。
それに僕、寒いのが苦手なので。あ、でもスノーボードは好きですよ。
<それがいきなり過疎化の進む中山間地のしかも豪雪地帯>
松岡
人生の想定外です。
<それでも最終的に移住を決断なさったわけですが、改めて決め手はなんだったのですか?もう少しだけ詳しく(笑)>
松岡
妻から「子供のこれからのために」って言われたことが一番です。
当時2歳半だったうちの息子は発育障害と診断され、今後幼稚園から小学校中学校と息子の将来を考えると、喧騒に包まれた都会の生活よりも、多少不便かもしれないけれど自然に囲まれ近所の顔も見える田舎での暮らしをベースにした方が良いのではないかという彼女の強い思いがありました。
<やはり子育て環境が決め手になった?>
松岡
そうですね。
その後、加計のこども園へ快く受け入れていただけることになった時は、嬉しくてありがたくて夫婦揃ってガッツポーズするやら手を合わせるやらで、悩みはしたものの移住を決めてよかったと心のそこからそう思いました。
<本当に良かったですね。そのほかにポイントになったことは?
何かありますか?>
松岡
検討していた頃ちょうど「ふれあい戸河内まつり」が開催されて、僕たち家族も足を運んだのですが、この時駐車場の案内係をしてらした方がとても感じが良くて、ここでまず軽いジャブを受け、そのあと美味しいトウモロコシが300円で売っていて最初のダウンを奪われた感じですね。宇品の縁日だと美味しくないトウモロコシが500円ですからね(笑)
それはそれとして、移住を決めて役場に相談したのですが、窓口の方や住まいを一緒に探していただいたりしてくださった行政職員の方々も非常に感じが良くて、親身になっていただいているのが伝わってきました。そういったすべてのことが移住を決断させましたが、息子の保育園といいこれらの出会いといい、なんだか見えない何かに「安芸太田町に来なさい」って導かれていたようにも思いますね。
(長男 隼矢君とツーショット)
ギター教室への思い
<さて今回の最重要テーマ「ギター教室」ですがその前に、ご自身とギターとの関係について、ギターを手にしたきっかけやエピソードなどついてお聞かせください>
松岡
ギターとの決定的な出会いは中学校2年、14歳の時にさかのぼります。当時、体育教師に田中先生という方がおられて、確か遠足の時にその田中先生がギターを持ってきていて演奏してくれたのですよ。いわゆる弾き語りで。これがもうね、衝撃だったのです。「かっこいい!」素直にそう思いました。
<体育教師でギター弾き語りって、絵にかいたようなさわやかさです!田中先生最高!レッツビギン!>
松岡
いや、同じさわやか青春シリーズでもそれは村野武則さんの方ですね。弾き語り教師と言えば中村雅俊さんの方です。英語教師だし(笑)
<失礼しました。どのみちわかる人は我々くらいの年代のみでしょうが・・・
さて、田中先生の影響を受けた少年松岡は早速ギターを買った?>
松岡
そう!買いました!ギター、のピックを!
<え?ピックだけ?>
松岡
ええ。ピックだけ。ギター本体を買うお金はありませんでしたがどうしてもギターに関係したものが欲しくて、当時宇品にも楽器店があったのですがそのお店でギブソンのピックを100円で買いました。
<なんとなくわかりますよ、その気持ち>
松岡
ありがとうございます。
で、翌年のお年玉総額12,000円を握りしめ第一産業(現在のエディオン)6階の楽器売り場に行って、ついにフォークギターを手に入れました。本当はマーチンが欲しかったのですがそんな高級機には手が出ません。買ったのは鈴木バイオリンというメーカー作っていたマーチンのコピーで、15,000円のものを値切って12,000円。めちゃくちゃ嬉しくて興奮しました。
<それからはギター三昧の日々ですか?>
松岡
当時はフォークソングが下火になりつつあって、それに変わってニューミュージックが台頭し始めていた時期でした。中島みゆきとか吉田拓郎とかがラジオから頻繁に流れている中、僕は「南こうせつのオールナイトニッポン」で、その中で長渕剛が持っていた「裸一貫ギターで勝負!」っていうコーナーが好きで良く聴いていました。テレビでは「コッキーポップ」という番組をやっていて、大石吾朗さんの司会がおしゃれでこれも好きでした。
そういった番組から流れる曲に影響を受けて色々と練習をしてみましたが、初めて最後まで弾いた曲は森田公一とトップギャランの「青春時代」ですね。使っているコードが少なかったもので(笑)もっとも最後まで弾いたといってもチューニングも何もデタラメだったと思いますが、あの頃は情報といえば教則本くらいしかありませんでしたからね。教則本とラジオの放送やテレビの画面を教材にした、まさに見よう見まねでしたね。テレビ見た野口五郎やCharに憧れました。
<当事はYouTubeなんて便利なものもありませんしね>
松岡
そうそう。そこの部分って今はものすごく恵まれていますね。ギターに限らずですが、大抵のマニュアルはYouTubeの中にありますから。
<以後、ギターはずっと続けてらっしゃって40年以上経つわけですが、魅力ってなんでしょうか?>
松岡
ギターというよりも音楽に魅力があるのだと思います。
僕はこれまでに様々な曲を演奏してきました。フォークもあればニューミュージックと呼ばれるものもあったし、洋楽も好きだしビートルズも弾けばヘビメタも演奏します。大学生時代はオリジナルバンドを持っていましたし、当事「イカすバンド天国」っていう番組があって、僕たちも「目指すはメジャーデビュー!」って頭の片隅にでも考えていなかったわけではないですが、そんなことよりも基本的に楽しむために演奏していたと思います。音楽に魅力を感じていたのは間違い無いでしょうね。
ただ、それでも唯一楽しくなかったことがありまし、なんなのかというとそれはある場所でお金をもらって演奏していた時期でした。なぜ楽しくなかったのかと今思い返せば、オーナー側の意向に沿った曲を演奏しなければならなかったからなのでしょう。結局そこは短期間でやめてしまいました。
よく言われることですが「音楽」というのは「音を楽しむ」って書くじゃないですか。やはり楽しめない演奏というのは続かないのですよ。「音楽」ではないってことなのでしょうね。魅力がない。
<音楽の魅力ですか。なるほど。
さて、今回安芸太田町でギター教室を開かれるわけですが、これはどのような思いが?>
松岡
僕が田中先生の演奏に出会ってギターを手にしたように、物事には必ずきっかけっていうのがあると思います。それっていうのは間違いなく日常生活の中にあるのです。そしてそのきっかけがあったからこそ、僕はこの40年間の中でギターを通じて実に様々な出会いと思い出を手にすることができました。それって全部僕の宝物ですよ。僕が教室を始めようと思ったのは、なにも街まで出かけなくてもこの町にはたくさんのきっかけがあるんだっていうことを伝えたかった面があります。じゃあそのきっかけづくりに、僕がなにをできるのかと考えたら、やはりギターかなと。
<一生もののきっかけづくり?>
松岡
そう言われるとちょっと大それた感じになりますが、そういうことになるのかもしれません。
<教室ではどのような教え方になりますか?>
松岡
一般的にギター教室っていえばコードの抑え方とか奏で方とか、そういう部分ももちろん大切だと思うのですが、自分で弾けるようになりたい曲をまずは一曲弾けるようになってもらいたいと思っています。そうすることで「次の曲」にもチャレンジする意欲がわくはずだし、何よりギターという楽器を好きになってもらえるのではないかと思っています。
<それいいですね。「F」で何度も挫折経験のある私も大丈夫かも(笑)>
松岡
まずは成功体験ですね。これが大事かなと。ギターを好きになってもらえばあとはもう、惰性でもなんでも続きますから(笑)
うちの息子も以前はなぜかギターが嫌いだったようで、私がギターを引っ張り出して抱えた瞬間「ギターおしまい」と言って持ってっちゃうんですよ(笑)でもそれを繰り返しているうちに今は自分で弦をガチャガチャ鳴らしてますからね。
<血は争えないってやつですね>
松岡
どうなんでしょうか(笑)ただ私は、「音楽」っていうものはジャンルの違いこそあれ、それぞれがそれぞれの体の中に「鳴って」いるんじゃないかと思うのです。自分の中の音色と出会ったとき、そしてそれを自分で奏でることのできる手段を得た時っていうのは、それはもう最高の瞬間なのではないでしょうか。そういった時間を得るお手伝いがギター教室の中でできれば、私としてはもういう事なしって感じですね。
-編集部-
ギター教室はコロナ感染予防の点から現在保留中だが、教室で使用するギターをネットオークションで揃えるなど準備は完了しているとのこと。松岡講師の思いと豊富な経験に裏付けされた教室の開催が待たれるところだ。
「まつおかギター教室」
場所:「みんなのいえ」内 安芸太田町中筒賀(旧割烹岩崎)
料金:未設定(500円〜1000円想定)