中国提案"New IP"をIETFが蹴る、インターネット分断を懸念〜インターネットと人権
インターネット技術を推進する団体IETFは、中国が提案したインターネットの中核を置き換える新技術New IP(IP: internet protocol)に全面的な「ノー」を突きつけた。
中国HuaweiがITUに"New IP"提案、IETFは連絡を受け検討
経緯は次のようになる。2019年9月、中国企業Huaweiの専門家らが、国連機関ITU(国際電気通信連合)に対して新たなインターネットの基本技術"New IP"を提案した。この提案は、ITUからインターネット技術を推進するIETF(The Internet Engineering Task Force)にも伝えられた。2020年3月28日、Financial Timesはこの新技術New IPへの懸念を伝える長文記事を掲載した(Inside China’s controversial mission to reinvent the internet, Financial Times Mar. 28 2020、日本経済新聞電子版に抄訳あり)。ITUから連絡を受けNew IPを検討してきたIETFは、2020年3月30日にNew IPを全面的に否定する声明を出した。
前述したFinancial Timesの記事によれば、新技術への懸念は大きく2つある。
(1) New IPは、中国が主張する「国家によるインターネット統制の権利」、すなわち"サイバー主権(cyber sovereignty)"を実現する方向の技術だ。現行の非中央集権で"パーミッションレス"で国境がないプロトコルであるIPとは異なり、New IPは国家が中央集権型のアクセスコントロールやインターネット遮断をやりやすいように作られている。
(2) New IPのアドレス体系は現行のIPとは異なる。New IPを採用する国と、現行IPを選択する国の間で互換性がなく分断された別のインターネットができあがってしまう。
皆さんよくご存知の通り、IP(internet protocol)はインターネットで最も基本的で重要なプロトコルだ。新技術New IPの提案内容は、トップダウンで再設計したNew IPを使うことで、衛星通信やIoTのような多様な形態の通信に対応でき、より高速で、より安全なネットワークを構築できるとするものだ。もっとも、あらゆる技術提案は「従来より良くなる」点を強調する形でプレゼンテーションされる。その背後にある懸念点についてFinancial Timesは警鐘を鳴らした。
ITUの会議でNew IPの提案を受けた英国、スウェーデン、米国ら西側諸国は「世界のインターネットを分断し、国営のプロバイダーが市民のネット利用を隅々まで統制するようになる」と懸念を持っている。Financial Timesの記事中、スウェーデンのインターネット専門家は「インターネットの魅力はパーミッションレス、許可なく利用できる点にある。New IPはそれを壊してしまう」と語っている。
一方、サウジアラビア、イラン、ロシアの各国は中国提案を支持している模様だ。New IPに反発する西側諸国と、国家の権威を保つためにインターネット統制を望みNew IPのコンセプトを支持する国々の間で、インターネットが分断される可能性が懸念されていた。
IETFはインターネットの歴史的経緯を盾にNew IPを全面的に否定
IETF側の反応を見てみよう。IPの開発の中心となるのはインターネットの各種技術標準RFC(Request For Comments)を定める役割を担う組織であるIETFである。IETFはITUからNew IP提案の連絡を受けて検討を進めていたが、前述したように全面的に否定する声明を出した。
Hacker Newsへのある投稿では、IETFの声明に対して「これはITUとIETFの文化の違いという以前に、西側諸国と中国の文化の違いだ」と指摘しつつ、「スタートアップやIETFのカルチャーと違い、大企業の研究部門や古い体質の標準化機関ITUでは馬鹿な提案が生き残りやすい」と厳しく批評している。
IETFはNew IPの提案を蹴った形だが、中国や、中国を支持する各国がNew IPの導入をあきらめるかどうかは、まだ分からない。そして一部の国家によるインターネットの統制強化の動きが今後も続くことは間違いない。
デジタル分野で「技術は価値中立」の論法はもはや成り立たない
New IPをめぐる一連の経緯を見て筆者が気になるのは、「このような種類の問題に取り組むときの思考法(フレームワーク)が必要なのではないか?」ということだ。
ITUは技術標準を定める団体なので、正当な手続きに則って提出された技術提案を検討するのは自然なことだ。IETFも技術を推進する団体だ。先に紹介したIETFの声明は、技術およびインターネットの歴史的経緯に基づく観点から提案に反論するものとなっている。技術とインターネットの歴史以外の価値判断は含まれていない。
筆者が感じていることは、このような種類の問題に取り組む上では、普遍的な価値判断を含む思考法(フレームワーク)、すなわち人権フレームワークが必要になるのではないか、ということだ。先日紹介したContract for the Web(ウェブの約束)では、インターネットへの自由なアクセスや、検閲されず監視されない権利も人権として位置づけている。
もっともIETFも、純粋に技術だけに取り組んでいる訳ではない。IETFの成果物の一つであるRFC 8280 Research into Human Rights Protocol Considerationsは、その名も「人権プロトコルへの考察」だ。このドキュメントには「インターネット上のプロトコル設計にあたり人権の観点から考慮すべきチェックリスト」が含まれている。
技術は価値中立なものであり、技術の使い方に技術者は関与しない──このような態度は、理工学分野で長年にわたる習慣として定着している。とはいえ、複雑な問題がつながりあっているこの先の世界では、同じ態度をとり続けることは難しくなるだろう。例えば、医学の分野では早くから倫理に関する議論が盛んだが、デジタルなテクノロジーも同様に倫理基準とセットで語られるようになっていくだろう。
そのさいの判断、思考の基礎となるのは、Contract for the Webのような人権概念に基づくフレームワークだ。私たちは、このようなフレームワークをより強固に整備して普及させていくやり方を考えるべき時期にきている。
●以下の図はNew IPのプレゼンテーション資料"New IP, Shaping Future Network"から。
なお、下記の資料にはブロックチェーン技術への言及があるのだが、New IPの本質とはあまり関係がない可能性もある。
現時点で入手可能なNew IPの資料を下記に記しておく。
●Financial Timesの記事
Inside China’s controversial mission to reinvent the internet, Mar. 28 2020
●ITUへの提案資料
“New IP, Shaping Future Network”: Propose to initiate the discussion of strategy
transformation for ITU-T, Geneva, 23-27 September 2019
●New IPに関連する文書
Internet 2030, Towards a New Internet for the Year 2030 and Beyond
Written by: Future Networks Team, Huawei Technologies, USA
For ITU-T, SG 13
●ITUからIETFへの連絡
Liaison statement
LS on New IP, Shaping Future Network, 2019-09-30
上記資料の"Attachments"欄に注目。
上記記事で引用したNew IPのプレゼンテーション資料"New IP, Shaping Future Network"など重要な資料がダウンロード可能な形で掲載されている
●IETFの返答(全面的に否定)
Liaison statement
Response to "LS on New IP, Shaping Future Network", 2020-03-30
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