来し方 (4) – 92年・カルカッタ -1-
92年に参加した、JIFH主催のワークキャンプから、カルカッタでの体験について。
ワークキャンプは8月4日〜21日まで。
4日に成田からバンコクに飛び、バンコク泊。翌日にカルカッタに入り、15日まで滞在。そこからバングラデシュの首都ダッカへ移動して18日まで滞在。ダッカから再びバンコクへと戻る。20日夜にバンコクを飛び立ち日が変わって21日に帰国、というスケジュールだった。
現在では、コルコタと言う呼び方が一般的だが、当時はカルカッタという名称だったのでここではそれを踏襲したい。
カルカッタでは、ホープアカデミーというスラム街の中にある学校に寝泊まりし、授業を手伝ったり、施設の補修を手伝ったり、といったことをした。
ネットで検索してみると、ホープアカデミーのHPらしきものを見つけた。正確な場所は覚えていないが建物の写真は見覚えあるので、間違いないかと思う。今でも重要な使命を帯びて活動をしていることを嬉しく思う。
安全の問題があったせいだと思うけど、基本的に個人行動が許されていなかったので、自由時間にバックパッカーみたいにあたりを好奇心の赴くままにうろつくようなことはできなかった。せいぜい、早起きして門を乗り越え、早朝の街をちょろっと散歩するのが関の山。
でも、そんなことをしなくても刺激に溢れた滞在だった。
ホープアカデミーでの話をいくつか紹介したい。授業は月曜日から金曜日まで朝八時半から夕方四時まで。途中、休憩や昼食をはさみつつも一日八時間、みっちり授業が入っている。科目は、英語、理科、数学、国語などはもちろん、当時としてはまだ珍しいコンピューターのクラスもあった。キリスト教系の学校なので聖書を学ぶ時間もあった。
通ってくるのは日本で言う小学生から中学生くらいの子どもたち。家は貧しく、それまで教育など受けたことすらなく、そもそも親にも子供に教育を受けさせようという発想すらない、そんな暇があるなら少しでも稼げ、と言われるような環境の子どもたちだ。
教材や、制服、ランチが無料だとしても、それじゃ金にならん、と考える親たちを説得するには随分苦労したという。
もともとは、教育の機会を与え、中級の職に就かせることができればという思いで始めたが、教育の成果が非常に良く、今ではさらに高い教育の機会を与え、もっといい職に就けるようにしたいと思うようになったという。
各教科は専門の先生がいるし、日本からきてちょっとだけしか滞在しない人間が授業の手伝い、といってもできることはたかが知れている。当時の僕はまるで英語が分からず、日常会話もひぃひぃ言う程度のレベルだったのだが、子供が一度聴けば覚えられるような歌や、手遊びなどは沢山レパートリーがあったので、それらを教えて、子供と一緒に遊んでいた。教会学校で多種多様なレクリエーションの技術を身に着けていたことが、思わぬところで役に立った。
授業以外では、ホープクリニックと言う校内にある診療所のようなところで雑用をしたり、給食の配膳をしたり、屋外にあるトイレの壁や屋根のペンキ塗りをしたり、ホープアカデミーの先生方を招待して日本食を振る舞ったりした。
案の定、一回では紹介しきれないのだが、ワークキャンプの記録を記すのが目的ではないので、次回はホープアカデミーの外で体験したことを紹介したい。
マザーテレサの修道会が運営している「死を待つ人々の家」を訪問したときの話だ。