見出し画像

「挑戦しよう」とニーチェも言っている。

こんにちは。
哲学に触れて3日目の28歳AKIOです。

「人間は本当はどう生きるべきか?」
「世界は本当はどうなっているのか?」
哲学とは、モノを超えた抽象的な様々について「本当は?」という真理を探求する学問。

哲学に触れて僕はこう思いました。
「自分が探している答えが、哲学にあるのではないか?」と。

僕は会社を経営しています。経営者の仕事は未来(VISION)を描くこと。
そんな「未来を描く」という抽象度高い仕事のヒントが哲学にあるはずだと思ったのです。

「人間はどう生きるべきなのか?」
「どんな世界であるべきか?」

僕は普段こんなことを歩きながら、サウナに入りながら、チャリンコに乗りながら考えています。しかしこれらの問いは、実は過去の哲学者たちも同様に考えまくってきたことなのです。

それに気がついてからは哲学の入門書「史上最強の哲学入門」のページをめくる手が止まらず、「ソクラテスかっけぇ、、」などと言いながら本を読み進めていました。

そこで出会ったのです。「ニーチェ」に。
もうビビっと来ました。完全にきました。もう、ニーチェです。
「ニーチェ、俺と同じこと言うてるやん!!」と思いました。

自分が探している問いの答えを、ニーチェが持っているのではないか?と思いさらに学びを深めるべく、「ツァラトゥストラはかく語りき」「ツァラトゥストラかく語りき ─まんがで読破─「飲茶の「最強!」のニーチェ」を読みました。

解像度はまだまだ違うかもしれませんが、やっぱり「ニーチェ、俺と同じこと言うてるやん!!」と思いました。

僕(株式会社GOAL-B)のビジョンは「挑戦が溢れる世界」をつくること。そして僕の解釈では、ニーチェも「挑戦しようぜ」と言っています。

ニーチェの哲学に触れて今の気持ちを残したくなったので、書き殴ります。


現状に留まってはいけない。

戦争や飢餓がなくなり、奴隷として死ぬまで働かされるような苦境に立たされることもなく、ズタボロになるまで働かなくても、安心安全に生きることができるのが今。日本に生きる僕たちは、豊かな世界に生きている。

そんな中
「別に今が幸せだからこのままで良い」
「もっとこうなりたいけど、めんどくさいから今のままで良い」
などと何も目指さず、安心安全だけを求め、ただなんとなく現状に留まって生きるだけの人間はクソだ。

「今のままで良い」「自分にはできない」と自分の可能性に見て見ぬふりをして、自分で自分に都合の良い言い訳をして、現状に留まり続けたまま人生が過ぎ去るような、そんな自らの生き方を肯定するような人間を、僕は軽蔑する。(「同じ場所で草を噛み続ける家畜」のような彼らのような人間のことをニーチェは末人と呼んだ。)


弱者の嫉妬や恨み、自己肯定はクソだ。

学歴がある人に対して「学歴だけじゃない」
お金がある人に対して「お金が全てではない」
権力がある人に対して「責任が増えるだけだ」
大企業に入った人に対して「会社に属すること自体がリスク」
美男や美女に対して「人は見た目ではない」
筋骨隆々の人間に対して「筋肉バカ」

これらの言葉は弱者の嫉妬や恨みであり、弱者が自らを自己肯定するための情けない言い訳である。

「弱者が良い、力がないことが善い」とする歪んだ価値観を持つことは間違っている。(宗教がこの倒錯した幻想を作り出したとニーチェは言う)

イソップ童話の「取れなかった葡萄を酸っぱいと言ったキツネ」と同じだ。キツネは木の上に生えている葡萄を食べてたくてジャンプをするが届かず、結果「あの葡萄は酸っぱいから食べなくて良かった」と自分に言い聞かせる。本当は食べたくてたまらないのに。葡萄が食べられる高さにあれば必ず食べるのに。自分で葡萄の価値を落としめる。

弱者である自分が惨めではないと思うために、自分に価値が出るような価値観を自ら作り出しているのだ。

力が、権力が、学歴が、お金が、実績が、抜群の容姿が、
「ある」と「ない」では「ある」を必ず選ぶ。それが人間の本来の姿だ。
「強くある」「より良くある」という思想こそが人間の本来の姿だ。


挑戦しよう

食べたいと思う葡萄が木の上にぼんやりとでも見えるのであれば、挑戦しよう。

「自信がないから」
「失敗する姿を見られるのが恥ずかしいから」
「惨めな思いをするのが嫌だから」
そんな言い訳をしながら葡萄が欲しいという思いから目を背け、「望まないことが良い」「無欲が良い」「謙虚が良い」「弱いことが良い」なんて歪んだ価値観にすがりつくような生き方は辞めよう。ダサすぎるぜ。

食べたいと思う葡萄が木の上に生えているのであれば、葡萄を取るために挑戦しよう。自分の可能性から目を背けず、挑戦しよう。

葡萄を取れるか取れないかは重要ではない。
「葡萄を取りたい」という意志を自覚し、葡萄を取るために挑戦する姿勢が、生き様が重要なのだ。

より強く/より良くという果てなき向上心を持ち続け、失敗を恐れず、言い訳をせず、人間が本来持つ欲望にしたがって真っ直ぐに挑戦して生きるべきだ。(ニーチェはこのような人間のことを「超人」と呼び、「末人」ではなく「超人」であれと言った)


さいごに

自分の望む未来を現実にするために、挑戦しよう。なぜなら、全ての人に可能性があるから。

豊かな現代において、全ての人に可能性がある。
やればなんでもできる時代に僕たちは生きている。

木の上の葡萄を取るために挑戦しよう。
ジャンプ力が足りないのであれば脚を鍛えよう。

誰がなんと言おうと、人は挑戦を続けるべきだと僕は思う。正解がない中で、自分なりの仮説、「本当はこうあるべき」という自分勝手な哲学を持ちながら進むのが人生。

「本当はこうあるべきだ」なんていうのは人それぞれ。
しかし、真理を探究する姿勢を持ち続け、「本当はこうあるべきだ」という自分なりの仮説、哲学を強く持ちながら生きよう。

それは個人もそうだが法人も同様。
自分なりの哲学を元に社会に価値を提供するのが会社。

株式会社GOAL-Bの「本当はこうあるべきだ」という哲学、会社のVISIONは「挑戦が溢れる世界」。
挑戦が溢れる世界であるべきだと心の底から思っています。そんな僕たちGOAL-Bの使命は「挑戦をつくる」こと。

今は挑戦をつくるためにコーチングの提供フィットネスジムの運営を行っています。挑戦が溢れる世界をつくるためにやるべきことは他にもたくさんあるので、今後もコーチングやフィットネスに留まらない新たな事業を行います。GOAL-B自身も現状に留まらず挑戦を続けます。

GOAL-B ドキュメンタリーロゴ(黒背景)


いいなと思ったら応援しよう!