でき太くん三澤のひとりごと その166
◇ 偽善者
この言葉をはじめて知ったのは、私が中学生くらいのころだったように思います。
忌野清志郎さんが、タイマーズというバンドでこのことをテーマにした曲を歌っていたのがきっかけです。
その当時から私は「偽善者」という言葉の意味を理解したつもりでいました。
しかし、その言葉の意味を本当に理解したのは、今の仕事を始めてからだと感じています。
私は日々子どもたちの学習をサポートしています。
サポートをしているお子さんが、前よりも算数ができるようになったり、自信が持てるようになったら、これほどうれしいことはありません。
「成績が上がった!」
「自信が持てるようになった!」
「算数が好きになった!」
「受験に合格した!」
というような報告をご父兄からいただくとき、私はこの仕事をしていてよかったな、とつくづく思います。
しかし、ここで気をつけなければいけないことがあります。
それは、その良い結果を得た子どもが、「自分のちからでできるようになったんだ!」という認識を持つことができているかどうかです。
私にとっては、ここが重要なポイントなのです。
私が「偽善者」にならないための重要なポイントだとも思っています。
もしそのお子さんが、私のサポートがあったからできるようになったという認識を持っていたら、私はその子をサポートしていく中で「依存させる」ということを教育したことになってしまうのです。
私は、教育の目的のひとつは、子どもに自信を持たせることだと思っています。
子どもが自分の能力に自信を持ち、そこから自分の存在そのものにも自信が持てるようになる。
これが私が目指すゴールのひとつです。
ですから、もし私がサポートしてきたお子さんが「自分のちからでできるようになった!」という認識を持てていなかったら、私は教育という名のもとに、全く逆のことをしてきたことになります。
本来子どもに自信を持たせるべき教育において、依存という自信とはほど遠いことを教えてしまったことになるのです。
私がこの仕事を始めて自分の指導方法や技術に自信が持てるようになった頃、数多く著書も出している立派な先生から、アドバイスされたことがあります。
それは以下のようなものでした。
いいですか、三澤くん。
先生と名のつく人の多くは、自分は良いことをしていると思っています。
とくに教育においてはね。
三澤くんもこれからさらに指導経験を重ねていけば、良い報告をご父兄からたくさんいただけるようになるでしょう。
そのとき、きっとあなただったら、”この仕事をしていてよかった!”と感じるでしょう。
でもそういうとき、よくよく注意しないと、あなたは自分の指導方法、技術にうぬぼれるようになります。
そういう危険性があることをしっかり理解して、自分を戒めていないと、あなたは子どもに「依存」を教育することになります。
「依存」を教育された子どもがどうなるかといえば、簡単です。
あなたがいないと自分で勉強ができなくなるのです。
あなたのように指導方法や技術に自信を持ち、カリスマ性があるような人のもとでしか勉強ができない子を育ててしまうことになるのです。
教育って、依存をさせるためにするものではないですよね?
もしあなたが、自分の指導方法や技術にうぬぼれるだけの存在になってしまったら、あなたは教育という名のもとに偽善活動をしていることになるのです。
ここは十分に注意しないといけません。
とくに先生という職業は、無自覚な偽善者になりやすいのでね。
このアドバイスを受けた当初は、キツいことを言う先生だなと思いました。
そしてこれから先、具体的にどうしていくべきかという「答え」を、私自身に考えさせる余白を残すようなアドバイスだとも思いました。
昔の人って、簡単に「答え」を言わないんですよね。
でも、今はその「答え」がわかったように感じています。
「三澤先生、今日まで色々アドバイスしてくれてどうもありがとう。もうあとは自分でできるからだいじょうぶ!」
このひと言を、子どもに言わせたら本物なのだなと思っています。