でき太くん三澤のひとりごと その127
◇ わたしの命のつかい方
年末29日から4日まで、でき太くんの算数クラブはお正月休みでした。
いつもであれば、普段ゆっくり過ごせない人たちと会って食事をしたり、出かけたりするのですが、今年はどうもそういう気持ちになれず、家でじっとしていました。
その理由は元日の地震、そして2日の羽田での事故。
被害にあわれた方のことを想像すると、どうも気持ちが上向かず、人と会ったり、外に出たいと思えませんでした。
私が外に出ずに、お家でじっとしているからといって事態が変わるわけではありませんし、日常を不自由なく過ごせることに感謝して、いつも通りの行動をするということが大切だということも、頭ではわかっているのですが、気持ちがついてこない。
ずっと重たい気持ちのまま、2024年の数日が過ぎていきました。
そんな数日間で考えたことのひとつは、
私たちの命には限りがあり、そしてそれは私たちの自由にはならない
ということです。
このことは、私が改めてコメントしなくても、みなさん知っていることです。私たちの自由にはならないから、突然の別れに泣き、苦しみ、つらい思いをしたりするのです。
ここで改めて私は、その自由にならない限りある命のつかい方について考えてみました。
私は自分の命をどのようにつかっていきたいのか。
もしかしたら、明日突然終わってしまうかもしれない命をどのようにつかっていきたいのか。
じっくり考えてみました。
そこで導き出された答えは、自分が「これだ!」と感じたことを次世代に伝えていきたいということでした。
それは、「自分のスタートライン」からの学習を、積み木を積み上げていくように、ひとつ一つ丁寧に積み上げていけば、必ず学習はできるようになるということです。
学年枠、国籍、不登校、学習障害などといったものにとらわれず、「自分のスタートライン」からの学習をひとつ一つ積み上げていく。
日々淡々と、じっくりと、大切に積み上げていく。
そうすると、必ず子どもは成長し、光り輝いていく。
これはとても簡単なことのようでいて、実現するのはなかなかむずかしいことです。
公立でも、私学でも、国立でも、塾でも、なかなかできない。
なかには光り輝ける子もいるけれど、どんどん、どんどん自分に自信をなくしていく子、自分のことをダメだと思ってしまう子、自己肯定感が低い子が増えているように感じます。
私の命だけでどこまで伝えることができるのかはわかりませんが、この難題を解決することを私の命は望んでいるようです。