でき太くん三澤のひとりごと その169
◇ 「でき太くんをやめたい」
先日、東京に住む小学4年生の会員の方から、「でき太くんをやめたい」という連絡がありました。
「でき太くん」は、他の一般的な通信教育とくらべると、退会率は低いほうだと思いますが、日々入会される方もいれば、退会される方もいるものです。
その小学4年生の親御さんのコメントには、子どもに毎日「でき太くんやったの?」と声かけするのに、ほとほと疲れてしまいましたと書かれていました。
日々の家事や仕事がある中で、子どもができ太を学習しているのかどうかまで心配しなければいけないというのは、確かに負担だと思います。ましてや、毎回声かけしたあとに、イヤイヤシブシブ取り組む子どもの姿を見るとなると、余計に疲れてくると思います。
親御さんからいただいたコメントには、「イヤイヤシブシブ取り組んでいた」というようなことは書かれておりませんでしたが、「ほとほと疲れてしまった」というコメントから、おそらくそういう状況であろうことは容易に想像できました。
子どもとこのような日々を過ごしていると、「そんなにやりたくないのではれば、やめたほうがよいのではないか」という思いが浮び、日に日にその思いは強くなってくると思います。
そしてついに意を決して「そんなにやりたくないのであれば、やめたらどう?」と、子どもに話をしてみる。
すると子どもは、「うん、やめるよ。学校の宿題もあるし大変だから」という。
こうして「でき太くん」をやめることになったお子さんは、少なくないように思います。
私は、子どもがイヤだと思っていることを無理に強要するつもりはありません。
「やりたくない」というものを無理にやらせても、取り組み方が雑になり、学習効果も期待できないからです。
ただ、私が一番注意していることは、その「イヤだ」、「やりたくない」という気持ちが一時的なものなのか、それとも子どもの性格や個性に合わない教材なのかどうかは気をつけてみるようにしています。
私たち大人でも、日々過ごしていれば、大変なこと、イヤなこと、面倒なことがたくさん起きてきます。
私たちはそのひとつ一つを、自分の気持ちや感情をコントロールしながら乗り越えていると思います。
なぜ乗り越えることができるのかといえば、これまでの人生経験や知識から、それらをあいまいにすると、数年後痛い目をみるということを知っているからです。
しかし、小学4年生となると、わずか10年程度の経験と知識しかありません。その短い経験と知識で下す決断は、感情の影響が強い非常に近視眼的なものであるケースが少なくないように思います。
今回の小学4年生の子も、おそらく3年後の自分、5年後の自分のことを視野に入れて「やめる」という決断はしていないと思います。
「宿題以外の課題がなくなってラッキー。ちょっと楽になるぞ!」
「めんどくさいことがひとつ減った」
というような認識かもしれません。
その子が「でき太くん」を退会したあと、新たな算数の課題を見つけ、それを継続できれば良いのですが、もし学校の宿題以外には何も取り組まないとすると、3年もすれば、宿題以外の課題をしっかり継続してきたお子さんとは、かなりの学力差が生じてきます。
10代のころの3年は、重みが違います。
私の感覚では、大人の6年分(それ以上?)に相当するのではないかと思っています。
また、算数・数学という教科は「追い込み」がききません。
受験期にグッと集中的に取り組んでも、なかなか「ブランク」を取り戻せない教科です。
小さなときからの積み上げがあるかないかに、非常に影響される教科です。(36分の12を、1回で3分の1と約分できないなど)
このようなことが経験から痛いほどわかっている私は、子どもが「やめる」というとき、それが一時的な感情であるのかどうかを確かめる意味でも、じっくり子どもと向き合い、話し合うようにしています。
そのときには、私が経験からわかったことや、予想される3年後、5年後、10年後のことも伝えてあげるようにしています。
その上で、子どもにじっくり考えてもらいます。
それでも「やめる」という決断をした場合は、子どもの意思を尊重するようにしています。
ただし、その決断は自己責任ということも伝えます。
受験期になって「なんであのとき無理にでもやらせてくれなかったんだ!」というような、人のせいにすることはないように伝えます。
今回「やめる」といってきた小学4年生の親御さんには、上述したような私の考えも伝え、もう一度じっくり話し合いをされるようにアドバイスさせていただきました。
日々、色々ありますね。