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でき太くん三澤のひとりごと その179

◇ ギョーザ定食


長野県には、県内を中心にチェーン展開している大衆食堂的なラーメン屋さんがあります。
名前はあえて伏せますが、おそらく長野県に住んでいる方ならこのお店を知らない方はいないでしょう。

月に2回ほど「ギョーザ半額の日」というものがあって、その日はギョーザを目当てに多くの方が訪れます。
このギョーザは、正直なところ絶品といえるほどの味ではなく、どこか屋台の焼きそばのような、B級グルメといいますか、ちょっとクセになるような味わいがあります。

「うまい!」というわけではないけど、なんか「クセになる」。
そういうギョーザです。

先日も、そのギョーザが食べたいという衝動にかられて、お昼休みをちょっとズラした時間帯に「ギョーザ定食」を食べにいきました。
そのお店のギョーザ定食は、2人前のギョーザにご飯とお漬物と半熟卵、そしてスープもついて810円という、コストパフォーマンスのよい定食です。まさに庶民の味方。すばらしい!

お昼休みをちょっと外した時間に行ったということもあり、お店についたら、私はすぐに席に案内してもらうことができました。

私の席からちょっと離れたところでは、おそらく30代後半くらいの主婦と思われる方が3人で、ラーメンやギョーザを食べていました。
どのような会話をしていたのかはわかりません。
私はこういうお店に一人でくると、オーダーをしてから食事が来るまではずっと本を読んでいます。

ですので、まわりがどのような会話をしていたとしても、その内容は一切耳には入っていきません。(昔、東京のラーメン屋さんで、ゴルゴ13を読みながらラーメンをすするという器用なサラリーマンの方がいましたが、私にはそのような芸当はできません)

ギョーザ定食が運ばれてくると、私は本を読むのをやめて、小皿に醤油とラー油、酢を適量入れ、ギョーザを頬張り始めました。
「食べたい!」という欲求が満たされる満足感を噛み締めながら、ギョーザを一口頬張ったら、それが咀嚼される前に白いご飯を口の中に投入。2つの食材が口の中で交わり合う感覚に酔いしれながら、「生きててよかったなー」などとひとりごちしておりました。

「このギョーザ、最初はマズイと思っていたんだけどな、、、」
「人の味覚は変わるものだな、、、」

などとも思っていました。

そうこうしているうちに、私はギョーザ定食を食べ終わり、いざ会計へ。

私は食べ終わってから、お茶を飲みながらお店でまったりするというのがどうも嫌いで、食べたらすぐに店を出るというタイプです。
ですから、今回も入店から30分も経たないうちに会計となりました。

そのとき、会計のタイミングが前述した主婦と思われる3人と重なりました。

その3人の主婦の方は、会計を別々にしたかったらしく、ひとり一人順次会計をされていました。

ところが、最後のひとりがどうもおしゃべりが好きな方のようで、レジにいるお姉さんと会計をする前に話を始めてしまいました。

どういう会話だったかは正確に覚えていませんが、天気のことだったり、ラーメンの味のことだったりだったと思います。

その主婦と思われる方は、私がつぎに会計を待っているのを見て知っています。
当然、店員のお姉さんも私が並んでいるのも見えています。

でも、その2人はその後10分間ほど、緊急を要するものでもない会話を延々と続いているのです。
(ただ待っているだけの10分は長いです)

私が10代後半から20代前半だった頃なら、「早く会計してくれませんか?」(本当はもっと下品な言い方をします。東京下町生まれの直球ストレートの言葉です。その内容はみなさんのご想像にお任せします)と言ってしまうところですが、あえてこの状況を見守ることにしました。

「いつになったら、まわりの人に対する気遣いという気持ちが出てくるかな」と思いながら、ゆっくりこの状況を見ていました。

ところが、一向にその気配はありません。
まるで後ろに並んでいる私が見えていないかのように、話は続いていきます。

「いったいいつになったら終わるんだ、、この会話、、、そろそろ終わりにしませんか。うしろに人が並んでいることですし、、、」

そんなことを思ったとき、ようやく会話はエンディングを迎え、私の会計となりました。
(私が会計をしているときも、そのおしゃべりが好きな主婦の方は厨房のスタッフの方やら、近くにいたママ友と会話をしていました)


店員
「ありがとうございます。810円です」

「では、1010円でお願いします。それと領収書もいただけますか」
店員
「わかりました。領収書ですね。おつりは200円になります」


ここで気遣いのできる方なら「あれ?」と思いますよね。

自分とは関係のない会話を聞かされながら、ずーーーと会計を待っていたのに「お待たせしてしまい、申し訳ありません」のひと言くらいないのかな?

そして、その会話に付き合わせていた主婦と思われる方からも、「ごめんなさい、お待たせしてしまって!ついつい会話がはずんでしまって!」くらいのひとことはないのかな?

なーーーんの気遣いもなく、まるでだれにも迷惑はかかっていないかのように、会計に要した10分は浪費されたのでした。
(ただ待っているだけの10分は長いですよ)

会計が終わり店を出て、自分の車が置いてある駐車場まで向かうまでの間、ふと思ったことがあります。
それは、今回のおしゃべりが好きな主婦と思われる方や、店員さんが育てる子どもは、いったいどんな子になるのだろうということです。

たぶん、その人たちに育てられた子はまわりが見えない子になるのだと思います。
自分のしたいこと、自分の気持ちが中心で、他の人がどう感じているのか、どう見ているのかを察する意識は育ちにくいのではないのかな、と思います。

状況がよめない。
今の状況下で自分がどうすべきなのかが判断できない。
これは、社会において自分のしたいことを実現していく上では致命的です。

まわりに気を使いすぎて、自分を主張できなくなってしまうというのはよくありませんが、ある程度はまわりに気を配る意識は必要だと思います。

このような日常の小さな出来事は、一見、学習とは無関係なように思えますが、長年この仕事をしていると、「無関係とは言い切れない」と感じています。

この「ひとりごと」を書きながら、今後は傍観せずに、やさしい言葉で、誤解の生じないように「私の会計を先に済ませていただけますか?私、急いでいますので」と声かけするべきかなということです。
そうしないと、まわりが見えない人は状況が判断できないことってありますものね。

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