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でき太くん三澤のひとりごと その167

◇ 「ショーシャンクの空に」と母。


みなさんは、映画をよく観ますか。
私は東京に住んでいたときはよく映画を観にいっていました。
映画を観ると気分転換になりますし、映画を観ている間だけは仕事での悩み、不安なども忘れることができます。

ただ、記憶に残る映画というのは意外と少ないものです。

パンフレット等を購入していれば、思い出すことができるのでしょうが、私はあえてパンフレットを購入しないようにしています。

パンフレットを購入しておかないと忘れてしまうような映画はたいしたものではないという、自分なりのこだわりがあるからです。(変なこだわりですね)

私の記憶に残っている映画で、すぐに思いつくのは「ショーシャンクの空に」という映画です。

これは結構前の映画です。
1994年公開の映画ですから、もう30年前の映画になります。


私は、この映画をおそらく10回以上は観ていると思います。

なぜ、この映画をそんなにたくさん観ているのか。

それは、自分が本当に辛いときや、だれにも相談できない悩みを抱えていたとき、自分の人生に行き詰まっていたときなどに、必ずといってよいほど、この映画のDVDに手が伸びていたからです。

この映画の主人公は、冤罪にもかかわらず刑務所に行くことになってしまいました。

不幸にも自分に不利な証拠ばかりが集まってしまい、冤罪であることをいくら主張しても、だれもそのことを信じてくれないのです。

普通こういう状況になると、人はあきらめてしまいます。

自分の冤罪をはらすこと。

これからの自分の人生。

すべてをあきらめてしまうものです。
おそらく私も同じ環境にいたら、あきらめてしまうのではないかと思います。

しかし、この映画の主人公はあきらめませんでした。

これ以上はネタバレになってしまうので、あまり詳しくは書けませんが、この主人公はどんなことがあっても本当にあきらめない人でした。

「もう普通はあきらめるよね?」という状況でも絶対にあきらめません。

コツコツと毎日少しずつでも前進します。
たとえそれがアリの一歩のような小さなものでも、あきらめず継続していく。

「本当にそんな小さな歩みで未来が変わるの?」と、こちらが心配してしまうくらい年数が経ってもあきらめません。

そして、最後にはついに、、、


この先は、映画を観ていただくとして、私はこの映画を観るたびに勇気づけられるのです。

あきらめない姿。

どんなに小さな歩みでも目標に向かって進んでいく姿。

そういうひたむきな姿勢を観ると「明日もがんばろう!」と、自分をリセットできるのです。


私は自分の悩みや苦しみを、あまり人には相談しないタイプです。
ほとんどひとりで抱え込み、自分で悪戦苦闘しながら今日まで生きてきました。
これは決して器用な生き方ではありません。

すべての責任が自分にふりかかり、失敗も挫折もすべて自分で受け止め、挽回していくしかありません。

でも、そういう不器用な生き方も決して悪いものではなかったなと、今では思っています。

だれにも相談しなかった分、だれにも頼ることができなかった分、私は自分に自信を持つことができました。

ひとつ問題を乗り越えるたびに、ひとつ悩みを解決するたびに、私は自信を持つことができました。

「自分なら、やれる!」

そういう自信を手にすることができました。


これは、決して多くの人にお勧めできる生き方ではありません。
辛く、キツい日々が続くことが多々ある生き方だからです。

こんな自分の不器用な生き方を、ずっと支えてくれた映画が「ショーシャンクの空に」です。映画のようなフィクションに人生を支えられたというのは、少しおかしな話かもしれませんね。


そして、もうひとつ大切なこと。

それは、私の母の存在です。

母は、私が中学生3年生くらいになったころから、私の人生に一切関与してこなくなりました。

「あなたの人生はあなたのもの。私の人生ではない。あなたがどう生きたいのか、何をしたいのか、すべてあなたが決めなさい」

そう言って、私の人生には関与してこなくなりました。

勉強をするか、しないかも自分で決める。

就職するか、進学するかも自分で決める。

すべて自己責任。

(成人してから、なぜ3年生になったころからそうなったのかを尋ねたことがありましたが、適当に答えをはぐらかされました)


ここだけ切り取ると、少し冷たいような印象を持たれるかもしれませんが、それは違います。

母は私の能力や、存在そのものに対して、常に疑いもなく肯定的なまなざしを向けてくれていました。

私が中学3年生で成績も悪く「就職組」であったときも、否定的なまなざしを私に向けたことはありません。

私を「バカだ!アホだ!」、「頭が悪い!」と言ったことは一度もありませんでした。

「この子ならだいじょうぶ!」

「ちゃんと自分の人生を歩んでいける!」

そういうまなざしを、いつも向けてくれていました。


私が「でき太くんの算数クラブ」を立ち上げるときも、一切否定的なことは言いませんでした。

立ち上げのときは収入もなく、不安定なものです。

それでも、「あなたならだいじょうぶ!あなたが信じることを一生懸命やりなさい」というまなざしで、私も見守ってくれていました。

私は辛くても、悩みがあっても相談しない生き方をしてきましたが、それでもやってこれたのは、母による心の援助も大きかったなと思います。映画は、それをちょっと補っただけなのかもしれません。


母は、子どもにとって太陽のようなものだなと、つくづく思います。

太陽が子どもを信じて光を照らしてくれている限り、子どもは自分を信じて生きていくことができるのですから。

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