でき太くん三澤のひとりごと その168
◇ クリームシチュー
10月も下旬となり、信州も少し寒くなってきました。
先日は寒さに耐えきれず、ついにストーブをつけてしまいました。
少し寒くなると食べたくなるもの。
おでん。
鍋料理。
肉まん。
そして、クリームシチュー。
私は少し寒くなると、クリームシチューが食べたくなります。
どうしてクリームシチューが食べたくなるのか。
たぶんそれは、子どもの頃、母が寒くなるとクリームシチューを作ってくれた記憶があるからだと思います。
「おいしいね!」
「やっぱりシチューはあたたまるね!」
こういう何気ない日常の会話ができる家族がいる。
これは本当に幸せなことだと思います。
このような小さな幸せの大切さは、年月を重ねないとわからないものなのかもしれません。
私は数年前まで、児童養護施設の子どもたちの学習サポートをしていました。
今は完全にサポートは終了してしまったのですが、残念ながら、これはコロナの影響です。コロナが流行したことで、施設への訪問が難しくなり、サポートの継続ができなくなってしまいました。
オンラインでのサポートも提案してみましたが、zoom等を使用すると、サポートを受けていない子どもたちの顔なども映像に映る可能性もあるため、個人情報保護の立場から、zoomの使用は許可できないという施設の判断により、一旦サポートは打ち切られることになったわけです。
コロナが流行するまでは、私は比較的自由に施設を訪問することができました。
施設長にお願いをして、子供達と一緒に食事をとり、施設に宿泊させてもらうこともありました。
施設の子どもたちの学習をサポートしていく上では、彼らがどのような暮らしをしているのかを、肌で感じる必要ががあると感じたからです。
あれは、ちょうど秋頃でしょうか。
施設の子どもたちと食事をしているとき、ふと、「みんなでクリームシチューを作って食べてみたい!」と思い立ちました。
ちょっと寒くなると、私の細胞が反応するのかもしれません。
そこで私は施設長にお願いをして、子供たちと一緒に調理室を使って食事をする許可を得ることができました。
子どもたちと一緒に、たまねぎを炒めたり、鶏肉を焼いたり、ジャガイモの皮のむいたり、、、
ひとつ一つの作業を楽しみ、何気ない会話をしながら、クリームシチューを作りました。
彼らの多くは、小学生。
育ち盛りですから、だれの鶏肉が多いとか、「おれのシチューは量が少ない!」とか、「にんじんが嫌いだから、おれのシチューには入れるな!」とか、いざ食事を始めるまでには色々ごたごたがありました。
そんなごたごたもあって、「いただきます!」となるまでには少し時間がかかり、シチューも少し冷めてしまいましたが、シチューを食べている子どものたちの顔は、みんな笑顔でした。心のこもった、手作りの料理というものは、みんなを幸せにするのですね。
「おいしいね!」
「おかわりあるかな?」
「あたたまるね!」
そんな子どもたちの会話を耳にした私は、子どもたちと共有する時間を設けてくださった施設長に心から感謝しました。
(あとからわかったことですが、施設には色々規則があるようで、私のような調理師免許も持たないようなボランティアが施設の子どもたちに食事を提供することは、かなり問題があったようです。そういうことを微塵も顔には出さず、「子供たちのためなら」と言って、全ての責任をおってくださった施設長には本当に感謝しています)
施設にいる子どもたちの多くは、親御さんが健在です。
昔と違って、親御さんが不慮の事故で亡くなったため施設に預けられるというケースは少なくなってきているのです。
親御さんの児童虐待、育児放棄。
そういった事情で、施設に預けられるケースが増えてきているのです。
そんな彼らは、親のぬくもりや、人の暖かさをほとんど経験したことがありません。
お正月やクリスマスも、家族と過ごすことはできません。
中には行政の判断で親御さんとそのときだけ時間を共有する許可を得ることができるお子さんもいますが、許可が出ないお子さんは、施設にずっといなければいけません。
私はそんな環境がいたたまれなくて、お正月に施設を訪れたことがあります。
私がお正月に訪れた際には、親御さんと過ごす許可が出ていない数名の子どもが残っていました。
私はその中のひとりだったOくんと一緒に書き初めをしました。
一緒に墨をすって書き初めをして、ちょっとゲームをして、何気ない会話をしながら、新しい年のひとときを過ごしました。
私にとって、このOくんとの時間は、本当に幸せなひとときでした。
Oくんとは、何の血のつながりもない赤の他人ではありますが、一緒にシチューを食べた家族です。
「食事」というものは不思議なもので、それを一緒に作って、食べる時間を共有するだけで、グッと「距離感」が縮まってきます。Oくんと私は、クリームシチューを一緒に食べてから、心の距離が縮まっていたように思います。
それまでは気を遣って、他のボランティアさんと同じように敬語を使っていたOくんも、そのときには自然に私と会話できるようになっていました。そんな素のままのOくんと時間を共有できることを、私は本当にうれしく思いました。
そんな楽しい時間というものは、あっという間に過ぎてしまいます。
夕方になり、そろそろ施設を出ないと長野への最終電車をのがしてしまうというとき、私は「そろそろ帰るね」と、Oくんに告げました。
すると、Oくんは少し寂しそうに、「うん、わかった。駅までおくるね!」と言い、私を駅までおくってくれました。
何度も訪れたことのある施設です。
私は駅までの道はよく知っています。
本来であれば、おくる必要はないはず。
でも、Oくんは私を駅までおくりたかった。
きっと、駅までおくるちょっとした時間も、人のぬくもりがほしかったのだと思います。
少しでも心を許せるだれかと時間を共有したかったのだと思います。
駅まで一緒に手をつないで歩いた道。
今でも覚えているよ、Oくん。
その当時、Oくんは小学5年生。
もう高校生になっているのかな。
Oくんの親御さんの状況からすると、おそらくずっと親御さんと生活を共にする許可はおりず、高校生の今でも、お正月やクリスマスもひとりで過ごしているのだと思います。(施設の仲間はいたとしても)
どれだけ寂しい時間を過ごしてきたのだろう。
どれだけ人のぬくもりがほしいと願う日々を過ごしてきたのだろう。
そんなことを想像すると、胸がひきさかれるほど辛くなります。
私が今、クリームシチューを食べるとき。
母との思い出とあわせて、施設の子供たちや、Oくんが駅までおくってくれたときのさみしそうな、でもなんとかがんばって笑顔を作っていた姿を思い出します。
またいつか、Oくんたちとクリームシチューを作りたいな。