でき太くん三澤のひとりごと その133
◇ 最初で最後の退塾 #3
さて、Yくんと再度約束をして迎えた1週間後の授業の日。
Yくんは6日分のプリント学習を進めることができたのでしょうか。
このときの私は最悪の状況を想定して、すでに腹を決めていました。
もしYくんが今日6枚のプリントを学習してきていなければ、Yくんには退塾してもらおうと決めていました。
数ヶ月に渡ってYくんとは話し合いをかさね、さまざまな方法を試してきました。
プリントに日付を書いたり、カレンダーを活用したり。
それでもYくんは先週までしっかりと家庭ででき太の学習を進めることができませんでした。
もし今日も6枚のプリントが学習できていないのであれば、もうこれは、でき太くんは学習したくないというYくんの本心の現れだと、当時の私は考えたのです。
いくら言葉で「続けていきたい」と言っても、なかなか行動が伴わないのは、Yくんが心の奥底では「やりたくない、めんどうくさい」と思っているからでしょう。でき太くんは学習したくないという気持ちがある子に、無理に学習をさせても、勉強嫌いを助長してしまうだけだと考えたのです。
算数に強い苦手意識があるお子さんは、その苦手と向き合うのがつらくて、なかなか家庭学習が習慣化しないことがあります。
そういう子は自分が変わるために学習したいと思いながらも、学習するとわからないことやミスすることが出てきて、また自分がダメなんだということを体験させられる。そういう恐怖や不安を感じて学習ができないことがあります。
もしYくんがそういうお子さんだったら、私は退塾という選択肢は選ばなかったでしょう。Yくんは算数には苦手意識もなく、自己肯定感もそれほど低くはない。
ただ、やりたくないことをやりたくないと言えない。だれかに気を遣ってそれが言えないでいるのか。親御さんが怖くで本心が言えないのか。日頃の様子を見ていると、そういうわけでもなさそうでした。
私がこのはじめての退塾を振り返って反省している点は、親御さんともう少し密に連絡を取り、話し合いの場をしっかり設けておけばよかったということです。Yくんの親御さんは、お仕事以外にもスポーツチームの監督などを行なっていたようで、とても忙しい方でした。面談をしようにも日程が合わないことが多く、なかなかこちらの考えをお話する機会が設けられませんでした。
電話で話をすることもできたのですが、会話から「時間がない」ということが伝わってくることが多々あり、話をしっかりすることもできませんでした。このようなこともあり、YくんとのことはYくんと私で解決していくしかないと考えるようになったのです。
いつも通りYくんは、授業の10分ほど前に教室にやってきました。
私が「こんにちは!」と、いつも通りに挨拶をすると、Yくんは私とは目を合わせることなく、あいさつもしっかりできないような状況で教室へと入っていきました。まるで私を避けるように。
「あ、これは最悪の事態を考えなければいけないな」と思うのと同時に、かつて昭和のストロングスタイルの塾長(注1)がどういう思いで退塾という選択をしたのか、この時その真意がわかったように思いました。
Yくんは、教室に来たときだけしかでき太のプリント学習は進めていません。教室に来ているとき以外は、ほとんど学習していない状態です。
この状態だと、成績は下がることはあっても、今よりさらに上がることはあまり期待できません。
もしYくんの親御さんが、「三澤さん、うちの子は教室に通っているのに、成績が下がったんですけど、これってどういうことでしょうか?」と言ってきたとします。
このとき一般的な塾や教室なら、「Yくんは教室に来たときしか学習できていません。おうちではほとんど課題が進んでいない状況です。この状況だと、成績が上がるということはなかなか望めないと思います。こちらとしても、何とかおうちで課題を消化するように促してはいるのですが、、、。課題をしっかり消化してもらわない分には、結果の出しようがありません。もう少しおうちでのサポートをお願いできないでしょうか」と言うでしょう。
つまりYくんは、親御さんからのそういった話に対して、教室側の「言い訳」をしっかり用意してくれているお子さんなのです。
ですから、もし教室の運営だけを優先するならば、Yくんのようなお子さんはとても都合の良いお子さんなのです。
Yくんがいつかやる気になるのを待つというスタンスをとりながら、Yくんが成績が上がろうと下がろうと関係なく、毎月月謝を払ってもらう。Yくんが何かのきっかけでやる気になればよし、やる気にならなくても実害はない。
このスタンスを突き詰めていくと、教育よりも運営というものに意識の比重が傾いてしまいます。そうなると、教室や塾で子どもと対峙する先生は、教育の経験もない学生のアルバイトでも問題ないということになってきます。
小学校、中学校の内容を教えることができるくらいの知識がある人であれば、「子どもがやる気にあるのを待つ」というスタンスさえとっていれば、あまり問題は起きませんし、実害はないわけです。
教室や塾は、学校のように税金で運営されているものではありません。ですから、きれいごとだけでできるものではありません。しかし実害がないからといって、Yくんのように、明らかに「やりたくない、めんどうだ」という無言の意思表示をしている子を月謝目当てに通わせ続けることに教育的な意味があるのでしょうか。
確かに子どもを信じて「待つ」ということも意味があるときもありますが、本当に教育的な意味があって、覚悟を持って「待つ」というスタンスをとっている方がどれほどいるかは疑問です。
昭和のストロングスタイルの塾長は、きっとそういう様々な葛藤があったのでしょう。
退塾をさせたことで、おそらく経営的には厳しくなった時期もあると思います。でも、「やりたくない、めんどうだ」という意思表示をしている子を通わせ続けて経営を安定させても、そこに教育的な意味はないと判断したのでしょう。
退塾させる塾や教室の言い分だけを汲み取れば、これは実に誠実な対応ではないかと思います。
子どもが宿題をせず、筆記用具を忘れ、遅刻をする。これは子どもの「やりたくない、めんどうくさい、まだ本気で勉強すると決めてはいない」というサインです。こういうサインを見逃さずに、ズバッと退塾させ、その子が自分のことを本気で考えることを促す。その方がずっと教育的には価値があると思ったのでしょう。
ただ、こういう誠実さが何の説明もしなくても通用したのは、昭和という時代までだったのではないかと思います。考えてみれば、昭和という時代は、あるひとつの共通した価値観のようなものが共有されていたかもしれません。
たとえば、技は教わるものではなく盗むもの。
私の狭い範囲の知識では、一流の人はその技をなかなか教えてくれなかったと聞きます。
もし自分が一流のシェフになりたいのであれば、そのシェフから料理のコツ、レシピを教わることばかりを期待するのではなく、シェフが料理したフライパンを洗う前に、そこに残っているソースの味を自分の舌で確認してから洗い始める。シェフがお魚にどのように包丁を入れているのかを、シェフに気づかれないように後ろからそっと見ているなど。
もし自分が一流になりたいのであれば、このような貪欲な主体性が必要であるというような価値観が昭和という時代にはあったように思います。学ぶ側にはやさしくはない世界です。今の世の中では通用しない感覚でしょう。
そういう、今ではちょっと受け入れにくい価値観を共有した昭和という中で、塾や教室側が、自分たちの運営は度外視して、退塾という選択をした。運営を危うくするかもしれないことをかけてまで退塾にしたときに、親御さんはどう感じるのか。
昭和の時代は、この決断を塾や教室側のエゴとは捉えずに、そこに何か意図があると考えてくれる親御さんが多かったように思います。「教育のプロ」が退塾という選択をしたのならば、そこに何か教育的な意味があるはずだと捉えてくださる親御さんがいてくれました。
しかし、Yくんの親御さんの世代になると、日本は利益を追求する「競争社会」という空気が強くなってきたように思います。社会全体の雰囲気として「自分の会社が儲かるかどうか」に意識が向かい、理念や人間性を置き去りにしたような価値観の世の中になっていったのではないでしょうか。
良くない商品でも、良いものであるかのようにPRし、自分の会社だけが儲かればよいということが増えてきました。
「勝ち組」、「負け組」、「ババをひく」というような感覚の中で、誰を信じていいのだかわからない世の中。
自分の家族を守るために他人のエゴと真っ向から立ち向かわないとやっていけないような社会へと、日本は急速に変わっていったように思います。
そのような世の中で日々過ごしている親御さんに、今回の退塾はどのように映るのか。
それは、塾や教室側の単なる教育の放棄です。
塾や教室側にとって都合がわるいものを排除した。
そういう印象を持たれてしまいます。
確かに世の中には、自分たちのエゴで、自分たちの実績に傷をつけないために退塾という決断をするところもあるかもしれませんが、でき太くんの教室がそういうところではないことは、入塾前の面談などで伝わっていたと思います。
それでも、日々「時代」という空気を吸っている親御さんには、今回の退塾という事態は、前述したようなイメージとなってしまうのです。
私はYくんを退塾させました。
案の定、Yくんは1枚も学習できていませんでした。
Yくんは、この前そうだったように「忘れた」と言いました。
私は、再度Yくんに話をしました。
「Yくん、もう忘れたというのはやめようよ。無理に勉強しなくてもいいんだよ。いつだって勉強はできる。でも、今はYくんはやりたくないんだよ、きっと。本当はやりたくないんだと思うよ。その本当の気持ちが、今ただ現れているだけなんだ。今日でYくんはこの教室をやめなさい。その方がきっといいと思う。また、勉強したいと思ったら、来ればいいだけなのだから」
そういうと、Yくんはだまって机に向かい、でき太くんの学習を始めました。
私は黙ってその様子を見ていましたが、私の決断は変わりませんでした。
教室が終わり、帰り際のYくんに、私は声をかけました。
「いいかい、Yくん。今日で教室を辞めることになったことは、Yくんからもお父さん、お母さんにお話しなさいね。私の方からも電話をしておくからね」
そう言うとYくんは、「うん、、」と答えました。
翌日私はYくんのお宅にお電話をしました。
電話を受けたのはお母さまでしたが、あきらかに口調に苛立ちや怒りのようなものが含まれていました。
私がYくんを退塾にしたことや、それまでの経緯についてお伝えすると、「今からそちらに伺います!」とだけ言って、ガチャンと電話を切りました。
それから数分もしないうちにYくんのお母さんは教室にやってきました。
教室に着いてからすぐに話し合いとなりましたが、お母さまからは、どうしてYくんが退塾となったのか、その理由がわからない、納得できないという話が何度も何度も繰り返されるばかりで、こちら側の話が全く伝わらない状態でした。
そこに、あとから連絡を受けたお父さまもお見えになりました。
お父さまが合流してからも、話は一方通行でした。
どうしてYくんが退塾になったのか、その理由がわからない。
やる気にさせることが先生の役割ではないのか。
そういう話がくり返させるばかりでした。
そのとき、お父さまがお話されたことで、ひとつだけ私が鮮明に覚えていることがあります。
お父さまはスポーツチームの監督をされていたようで、「指導者たるもの絶対に子どもに『やめろ』とは言ってはいけないんですよ。やめろっというのは禁句なんです。絶対に言ってはいけないんですよ。それを先生はやっちゃいました」と言われました。
では、やりたくないと無言で表現している子を、そのまま通わせ続けてオーケーってことですか?
やる気になるのを待つという教育的に放置したような状態で、月謝だけ子どもに運ばせていいってことですか?
この私の思いを口にしたら、さらに話し合いが加熱し収拾がつかなくなると思い、その当時の私はそれは胸に秘めておきました。
いくらお話してもこちらの真意をご理解いただけず、半ば喧嘩別れのような感じでYくんの退塾劇は幕を閉じたのでした。
Yくんが退塾となったのと同時に、一緒に教室に通っていたお姉ちゃんも辞められました。お姉ちゃんのほうは学習はそこそこ上手く流れていたのですが、私のようなものがいる教室には、もはや預けられないと判断されたのでしょう。
今でも多くのことを鮮明に覚えている今回の退塾劇でしたが、このことから多くのことを学びました。反省すべき点は反省し、決して譲れないことは譲らない。ある種、信念や覚悟のようなものもこの体験から得ることができました。
Yくんはもう成人し、私の記憶が確かならすでに30代。
もしかしたら家庭を築いているかもしれません。
「忘れる」という口癖が修正されていることを願うばかりです。
🔸注1
昭和の変わった塾 その1
https://note.com/akio_mw/n/n9358ab274750