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でき太くん三澤のひとりごと その171

◇ 自由はすばらしい!


「ひとりごと」の原稿締め切り1時間前。
何を書くかテーマが浮かばず悶々としているとき、ふと思い出したことを今回は書いてみたいと思います。


あれは確か私が高校1年生くらいだったころ。
時折話をする程度のKくんという1学年下の後輩がいました。

このKくんは、同性の私から見てもイケメンでした。
身長もそこそこあり、スポーツ万能。
ジャニーズのオーディションに行ったら必ず合格するはずと思うほどでした。

当然、Kくんはモテていました。

「また女子から告白されちゃいました」というセリフをよく聞かされていました。

そんなKくんの口癖は「ぼくたちは自由だ!」でした。

ぼくたちはどんな髪型をしたっていいんだ!

どんな服装をしたっていいんだ!

人に迷惑をかけなければ、どんな生き方をしたっていいんだ!

学校の校則や、社会のどうでもいいルール。
こんなものには意味がない。

それをいちいち指導する先生や、口うるさく言う親はウザい。

ぼくたちは自由なんだ!

自由であることは、すばらしい!

これがKくんの主張でした。

そのKくんの主張に対して、まわりの大人はあまり意見はしていませんでした。
それはおそらく、Kくんは学校での成績は非常に良く、生活態度も真面目で、文句のつけようのない優等生だったからだと思います。

そんなKくんも、時折髪型や服装では校則をやぶり、先生に呼び出されていたようですが、ただKくんは優等生の模範のような子でしたから、先生もあまり厳しくは指導していなかったようです。

そんなKくんと、どんなタイミングでそうなったかは忘れてしまいましたが、2人っきりになるときが訪れました。

私はそこで前々から気になっていたことをKくんに尋ねてみることにしました。
他の人がいたら彼の本音が聞けないと思ったからです。

その気になっていたことというのは、「ぼくたちは自由だ!」という彼の口癖です。

私は中学生の頃から、愛とか平等、平和とかを軽々しく言う大人が大嫌いでした。
それはたぶん、先週のひとりごとで書いた英語の先生が原因なのだと思います。

口で言っていることと、やっていることが違う。
そんな自分を振り返ることもなく、平和、平等のすばらしさを生徒たちの前で高らかに主張する。
そんな偽善的な姿勢に苛立ち、嫌悪感を抱いていたのです。

ですから、「自由」という言葉を口癖のように言うKくんのことが、ちょっとひっかかっていました。

Kくんはどこまで「自由」というものを突き詰めて考えているのか。

Kくんの「自由」とはどういうものなのか。

このことがずっと気になっていました。

絶好の機会を得た私は、単刀直入にKくんに質問をしてみました。

Kくんはさ、よく自由、自由って言っているけど、Kくんにとっての自由ってどんな感じのものなの?

ぼくにとっての自由ですか。それはですね、言葉で説明するのはむずかしいのですが、ぼくたちはみんな本来は自由な存在で、何をしたっていいんだという意味です。もちろん、他の人に迷惑をかけるような行為はダメですよ。人のものを盗むとか、人を傷つけるとか。そういうこと以外は、私たちは何をしたっていいんだということです。

だから校則なんていらないんですよ。どんな髪型をしてもいいし、どんな服装をしたっていい。
そんで、年上の人や先輩だからといって敬語を使うというのも邪魔くさいですよね。ちょっと年上だからって偉そうにするのもどうかなと思いますよ。ぼくたちは自由だし、平等なんだから、年上だからといって話し方を変える必要はないんですよ。
まあ、ぼくの言う自由っていうのは簡単に言うとこんな感じですかね。

へー、そうなんだ。それがKくんにとっての自由か。。。
なるほどね。。。

正直に言っていい? 
Kくんってさ、頭はいいけどガキだね。

なんか、小学生の子どもがはじめて覚えたかっこよさそうな言葉をただ意味もわからずに言っているような感じっていうのかな。
”1日何時間ゲームしようと、ぼくの自由でしょ!”とか、”勉強しようとしまいと、ぼくの自由でしょ!”とか、自由の意味も本当にわかっていないガキが言っているのとレベルが変わらないね。

はっきり言っていい?

そんなに自由を主張するなら、今日から口うるさい親がいる家を出て、校則の厳しい学校もやめて、自分の力で生活してみなよ。

しばらく沈黙するKくん。

たぶん、そんなことできないでしょ?
怖くてできないでしょ?

そりゃそうだよね。
だって成績は良かったとしても、中学も卒業してないKくんを雇ってくれる会社なんてないし、中学生の子どもじゃ、家も貸してもらえないもんね。

今のKくんはさ、親にしっかり守ってもらっているわけよ。
親が一生懸命働いたお金でご飯を食べさせてもらって、自分の部屋も用意してもらって、その上、毎月のお小遣いまでもらっているわけ。
親がKくんをしっかり守ってくれているから、Kくんにはいくつか「自由な選択肢」与えられているだけなんだよね。
だから、Kくん自身は全く自由じゃないと思うね。

Kくんは親がしっかりと作ってくれたカゴの中で、「ぼくは自由だ!ぼくは自由だ!自由に羽ばたきたいんだ!」と鳴いている鳥と一緒。
実際、そのカゴの扉を開けて「自由に飛んでいっていいよ」というと、怖くて飛べない。
これの何が自由かね。
ただ自由っていう言葉の響きに酔っているだけじゃん。

本当に自由になりたいなら、早く親から自立しなよ。
そして、だれも文句言えないくらい能力を磨いて、その能力でバンバン稼ぎなよ。
まずはそこからじゃないの、Kくん。

確かこんなような会話だったと思います。

今振り返ると、本当に嫌な先輩です。
ただあの頃の私は、親にすべて守ってもらっていて、安全で何不自由なく生活できている中で、響きのよい言葉を高らかに主張することが許せなかったのだと思います。

親に守ってもらっているからこそ得られる「選択肢」を、自由と勘違いしている。
この様子が、言動の一致していない英語の先生と同類に見えていたのだと思います。

私のこの「論破グセ」は、20代後半まで続きます。
実にめんどくさい存在でした。

今でもお付き合いしてくれている友人、後輩の方々。
本当にありがとうございます。


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