でき太くん三澤のひとりごと その173
◇ 「子どもが答えを丸写ししていた」
このことを経験したことがある親御さんは、少なくないのではないでしょうか。
私も学習サポートをさせていただく中で、解答書の答えを写していることが発覚するケースを数えきれないほど経験しています。
その中には、一度注意すれば、それ以後一切答えを写さなくなるお子さんもおりますし、親御さんが何度注意しても、答えを写すことをやめられないお子さんもいます。
答えを写しても意味がないことや、答えを写すというのは良いことではないことをしっかり説明し、本人は「わかった、、、」と言ったのに、またほとぼりが冷めたころ答えを写してしまうのです。
なかには、回数を重ねるごとに写し方が巧妙になるお子さんもいます。
写していることを悟られないようにするために、あえて2〜3問ミスした問題を作るなどの工夫をしたりするのです。
それでも、いつかは必ずバレてしまうものです。
このときの親御さんの精神的なショックは相当なものだと思います。
大切なわが子が、巧妙に、あえて2〜3問ミスした問題を作り、自分たちを欺く。
この行為を目の当たりにしたときには、怒り、失望、落胆といったマイナスの感情がとめどもなく内面から湧き出てくると思います。
なんであれほど注意したのにわからないのだ!
私たちに、また嘘をついたのだ!
わが子に裏切られたようで、つらい、、、
人を騙すことを平気でできる子になってしまった、、、
様々な感情が、親御さんの心の中に湧いてくると思います。
ではこういうとき、私たちはどうすれば良いのでしょうか。
どんなに注意しても、どんなに諭しても治らないときには、どうしたら良いのでしょうか。
子どもが持っている解答書を取り上げて、一切答えを写すことができない状況をつくればよいのでしょうか。
あるいは、感情に流されるままに子どもに罵声を浴びせ、殴ったりすれば解決するのでしょうか。
私は、それでは解決しないであろうと思っています。
またほとぼりが冷めたころ答えを写すと思います。
解答書を取り上げられても、巧妙に写すようになるでしょう。
なぜここまで言い切れるのか。
それは、上述した対応では根本的な問題が解決していないからです。
では、根本的な問題とは何でしょうか。
それは、私たちの内面にある「意識」です。
私たちがその子をどのように見ているか。
それが問題です。
何度注意しても答えを写すという行為を見せつけられると、たいていの人は、
またやるのではないか、、、
だいじょうぶなのか、、、
本当に信じていいのか、、、
といった、不安、疑いといった「意識」で子どもを見るようになります。
これはある意味仕方のないことだと思います。
何度も不安になるような行為を見せつけられて、それでも不安になるなというのは、とてもむずかしいことです。
ですが、その点を変えていかない限り、不安はさらに大きな不安となり、疑いの気持ちはさらに大きなものへとなっていくのです。
不安や疑いといったマイナスの意識でずっと見られると、子どもはどうなるのか。
たいていは、「セルフイメージ」がどんどんマイナス方向へと傾いていきます。
「ぼくは、答えを写す子だと思われている」
「わたしは、決して信じてもらえないような子なんだ」
「ぼくは、親を不安にさせ、疑われるような子なのだ」
という「セルフイメージ」になっていきます。
こうなると自己肯定感もどんどんなくなり、子どもは自分の存在、能力、あらゆるものに自信が持てなくなります。
そうすると、これ以上「セルフイメージ」や「自己肯定感」を傷つけないために「自分を偽る」ようになるのだと思います。
その偽りの行為のひとつが、「答えを写す」という行為です。
答えを写すことで、「私はちゃんとできる子なんだ!」と偽ることができれば、今以上に「セルフイメージ」や「自己肯定感」が傷つくことはありません。これ以上、自分を貶めることを避けることができるのです。
ですから、何度でも続けます。
注意されても、殴られても、またやります。
たとえバレるかもしれないと思っても、またやってしまいます
ここまでくると、ある意味防衛本能といってもよいかもしれません。
私は自分の生活において、なかなか解決しない問題にぶつかったとき、何度も同じ過ちが繰り返されるときには、必ず自分の「意識」を見るようにしています。
私が子どもをどのように見ているのか。
私が人をどのように見ているのか。
それをしっかり見るようにしています。
それが問題をこじらせている可能性があるからです。