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深夜梗塞 〜第四章〜
▪️4-01 / 結果。
最終的に、自分の身体はこうなった。
●心筋梗塞
1)ペースメーカー植え込み
これにより、定期的な検査及び5年毎に電池交換の手術がある、らしい。
定期検査だけなら、医師の前に座ってリモートで数値を読み取るだけなので楽チンだ。便利な時代なんだな。
あとは発動しない事と、電池交換の手術が無難なものである事を祈るのみ。
2)服薬
毎朝晩、薬の服用が今後必要になる。
元々サプリを飲んでたので、習慣についてはあまり違和感はないかな。入院中も飲んでた訳だし。
…と思った直後から、朝の服薬後にしばらく立ち上がる時に目眩が。
一通り飲み終わった次の定期検診でその旨を話した所、
「あ、数値が10倍になってる!」
思わず「おいィ?」と叫んでしもうたわ。
薬の量を見直してもらった後は特に大きな問題もなく。強いて言えば、月々約6000円の薬代が飛んでいく事か。
●脳梗塞
3)左同名半盲
先述の通り、左目の左側が見えなくなっている。
こればかりは日々の生活で慣れていくしかない。これ以上病状が進行するものでもないようだし。
4)高次脳機能障害
リハビリの甲斐もあって、生活に大きく影響するような障害は今の所感じられない。
とはいえ、記憶力にはやや不安が残るため、メモはこまめに残すようにした。
実際、買い物から帰ってきて「あ!」となる事も散見されたし、これが仕事だと取り返しのつかないミスにもつながり得るので、ね。
●その他
5)神経性疼痛(?)
リハビリ病院に転院した辺りから、右の太腿辺りにピリピリとした痺れが断続的に起こっている。
医師に相談しても病状・原因不明との事で、確かに湿布やマッサージでも改善の兆しが見えなかった。
幸い、運動に支障を来すようなものでもなかったので、あまり気にしすぎず気長に付き合う事にした。入院時よりは痺れの頻度・強度も落ちてるように思うし。
最後にメンタル。
初めて大病を患い2分間死んだ上、一生物の障害と運用コストも抱える羽目になった訳だが、生き延びた事もあり、だいぶ落ち着いているというか、冷静ではあると自分では思っている。
未だに寝る時は「明日、無事に起きてられるかな…」と時々不安に感じる事もあるし、早めに終活でも進めておいた方がいいのかな?という考えもなくはない。
が、起こった事をどれだけ悔いてももう戻らないので。努めてポジティヴであろう。
心のもちようさ。
【BGM】不滅の男 / 遠藤賢司
https://youtu.be/43cRjJYfts8
▪️4-02 / 生活。
「移・食・住」、特に「移動」と「食事」に焦点を当ててみる。
●移
不幸中の幸いと言うか、俺は自動車・バイクの類を所持していない。
よって、移動は徒歩と公共交通機関だけに気をつければいい事になる。
徒歩移動は、退院直後に一度電柱に顔をぶつけた以外は、街中の移動はなんとかやれている。元々、歩く事を厭わない性格なので、運動がてら1〜2駅歩いて買い出しに行くのも慣れてきた。
とはいえ、街中に出てみると、本当に左から来る人や自転車が目に入らない。視線の端にでも、何かが映っている事が大事だと思い知らされる。危ないと思ったらまずは自分がペースダウンする癖を身につけておかないと、だ。
交通機関も、乗ってしまえば後は立つなり座るなり。動かなければどうということはない。
一番の問題は「電車の乗り継ぎ」。
さほど人が多くない時間帯はともかく、都心部の駅でラッシュアワー時の乗り継ぎは、ホームにせよ連絡通路にせよ、前後左右から周囲を顧みず突進して来る人の波が恐怖だった。実際に何度も肩をぶつけて舌打ちされたし。
単純に、この時間は誰もが「時間に追い付く」事に必死で余裕がないんだろうな。と同時に、以前の自分も通勤時はこんな感じだったろうな…と自戒。
●食
退院して、いちばん悩んだのが日々の食生活だ。
参考までに、倒れる前の食生活で塩分量をざっと振り返ってみると…
【朝】パン2個 1.0g
【昼】味噌ラーメン完食 8.0g
【夜】コンビニ弁当 6.0g / カップヌードル 5.0g
【計】20.0g
一方、医師からは「1日6.0g遵守」と聞いている。ざっと3倍だ。
これを自分で毎日コントロールしなければならないプレッシャー。
しばらくは無塩ナッツをポリポリ食ったりしてみたものの、埒があかないので実家に相談してみた。
父親が俺より先に心筋梗塞・脳梗塞に罹っており、母親が食事の塩分量も管理しているので。
母親曰く、
「ある程度の期間内で基準値に収まってれば、そんなに毎日神経質にならなくてもいいよ。」
自分でもそうかな…と思ってはいたものの、やはり経験者にそう言ってもらえた事で、だいぶ気持ちが楽になった。
となれば、あとは実践あるのみ。スーパーに行っては様々な食材を物色し、コンビニに行ってはパッケージ裏の塩分値をガン見する。自炊も学生時代からやっていたので、自分一人を食わせる分にはなんとかなる。
ラーメンどうしようかな…と一瞬思ったが、おおよそ5〜8gの塩分量のうち、麺だけであれば1.2〜1.5gに収まる見込み。スープまで飲まなければなんとかなるだろう。
マルタイラーメンならスープまで入れても4.0gで収まる。一日の塩分量としては十分にマージンが確保できる計算だ。
一方で、残念ながら「スープを控える」という選択肢の取れないパスタや焼きそば類は諦めるしかない。入院前に買いだめしておいた、エースコックの大盛りイカ焼きそば(6.0g)を泣く泣く処分した。
また、惣菜パンよりもポテチ一袋の方が塩分が少ない事にも気づいた。やはり、練りこんである塩分よりも、直接振りかけてある方が舌で感じるよりも実際の量は少ないという事なのだろう。裏を返せば、今まで外食やコンビニの惣菜や頼りだった食生活で、想像以上に塩分は摂取してしまうものだな…と。
ともあれ、色々と調べた結果、自炊する分には以前とさほど変わりない食生活を過ごす事が出来そうだ。塩分を減らすために一回の食事量も抑える事になるので、食費と体重も若干ながら抑える事につながった。あとは油断しないように継続するのみだ。
●住
先述の通り、俺の家は階段を約200段登った所にある。
リハビリ病院の家屋評価(生活に戻るに際してのリスク調査)でも真っ先に
「毎日こんな階段を昇り降りする事がリスクです。今すぐ引っ越す事をお勧めします」
と、報告書に書かれる始末。
が、それ以外はさほど指摘を受けなかった。俺が買う前は80過ぎのおばあちゃんが住んでいて、バリアフリーがしっかり整備されているからだろう。実際に俺もあちこちに手すりがある事でだいぶ楽をさせてもらっている。
それでも時々、家具の位置を変えたり荷物を積んでいると見えていない左手をぶつけたりはする。
マメに片付けろ、て事だろう。
まだローンも払い終えてないし、何しろ周囲に民家が少なくて快適なのだ。深夜にディストーション全開でギター弾いても、アパート時代のように壁ドンされる事もないし。
3ヶ月強の不在であちこち傷んでしまったのは残念だが、梅雨時〜梅雨明けにケア出来なかったのは、不在にしてしまった自分の責任だろう。
一人で生きていくと決めたんだから、多少の不便があっても自分で解決していくよ。
最後に、【衣】。
新しい革ジャンを買った。
病気になんぞ負けてらんねーぜ、の想いを込めて。
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【BGM】美学 / 怒髪天
https://youtu.be/eyAi0RYpfBE
▪️4-03 / 復職。
退院して2週間。
復職の面談が行われた。
通勤ラッシュの時間帯を避けて、ではあるが特に問題なく本社まで到達。よし。
新型コロナの影響で在宅勤務者が多いのか、やや閑散としたフロアを横目に見ながら会議室へ。
直接の上長である本部長と、人事部を交えて面談。事前の産業医との電話ヒアリングの結果も踏まえて通達を受けた。
・9月からの復職を許可
・現在のポジションは維持
・当面は残業厳禁
・基本は在宅勤務
色々と制限はついたものの、目標としていた9月からの復職が認められた。正直ホッとした。
在宅勤務もコロナ禍という事で、環境及び社内での理解が進んでいる事も幸いした。昨期、リモートワークの環境整備を一部担当していたのも自分だが、自分がその恩恵を違う理由で受けるとは思っていなかったが。
それ以外に、しつこいくらい言われたのが
「無理をするな。」
倒れる前であれば笑い飛ばしていたであろう言葉を、静かに聴いていた。
社会人になって約30年間、ハードワーク、文字通り「自分に無理を押して」ミッションを達成し、価値を高め、駆け抜けてきた。また、その自負もあった。
…が、そのような働き方はもう出来ないであろう事は自分でも分かっている。この年齢・このタイミングから未知のチャレンジだ。
幸か不幸か、キャリアを通して未知なるもの・新しい事に挑み続けてきた経緯もある。対象のプロジェクトが自分になるだけだろう。
フロアで久しぶりの人達に挨拶を終え、達成感と覚悟を決めながら帰路に着いた。
そして9月からの復職。
まずは4ヶ月のブランクを埋める作業から黙々と。そして、間を置かず上期評価・下期目標策定。自分の評価も当然ブランクだ。下期にリカバリーしていくしかない。
年末には国内出張もあった。
倒れてから初めての旅客機搭乗。保安検査の列を離れ、一人触診のような形で検査を受ける事に。検査の長い列を作っている人達には申し訳ないが、思わぬショートカットだ(そのためにペースメーカーを入れたいという人もいないとは思うが)。
出張先でも色々と心配をして頂き恐縮だったが、一点だけ問題が。
酒宴の席で何回「焼酎!」「ウーロンハイ!」と注文しても、届くのが烏龍茶なのは重大なインシデントではないのかね?ん?
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色々ありつつも、順調に「いつもの仕事」に戻れている事には感謝しつつ、本来なら為すべきだった責務を果たし続けていかなければならない。
【BGM】DiE / BiS
https://youtu.be/P91AD3y6GyM
▪️4-04 / 家族。
今回、長期入院で多くの人に心配・迷惑をかけてしまった訳だが、特に家族には心身共、より多くの負荷をかけてしまったように思う。
まずは南九州の父母。
リハビリ病院への移動中には少ししか話せなかったが、転院後落ち着いた頃に改めて長電話をした。
入院と聞き、慌てて上京してきた事。
一日で意識が戻らず、あきらめて一泊で帰った事。
帰る前に姿をもう一度見ておきたいとの無理なお願いに、主治医が特別に許可を出してくれた事(隣県の出身で、どれだけ遠くから来ているか分かったそうだ)。
そして、現在までの入院費は全て親の貯金から出ていた事。
入院費は退院後、定期を解約してすぐに返した。親も高齢だし、兄妹も自分とそう歳が離れている訳ではない。万が一を考えると早い方がいい。
それ以外で出来るのは、今まで以上に電話をする機会を増やす事くらいだ。上京してからというもの、帰省の頻度もせいぜい2〜3年に一度のペースだ。
その分、元気である事を伝えてくれればよい、という父母の話にうなずいた。
次に弟一家。
俺は上京し就職したので、実家を継いだのは弟だ。
甥っ子も生まれてかわいい年頃だ。俺も「東京のおじさん」として、帰省した際は遊んであげた。
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そんな甥っ子が、俺が入院したと聞いてからは、俺の名前が出るたびに心配して泣いていたと聞いた。あまり帰省もしないおじさんを思ってくれている事を、ありがたく思った。
お礼は、贈ってあげた新型Switchじゃ足りないな。
最後に妹一家。
俺が倒れた後、唯一近くに住む(とはいえ電車で3時間はかかるが)兄妹として、会社への連絡や各種親族の許可が必要な手術や転院・退院の付き添い等、全て妹が行ってくれていた。
旦那さんも姪っ子もおり、自分も仕事がある中対応してくれて、本当に申し訳ない。
そんな妹から、一度だけ説教を受けた。
一般病棟に移り、転院も決まって落ち着いた頃にLINEが届いた。
入院や転院の手続きのため、俺の自宅に入った。
健康診断で「要治療」と書かれた結果を見つけた。
その後、何もしなかった結果が今回の事態を招いたのではないのか。
自分の命をなんだと思っているのか。
生きて復帰できるからこそ、今一度自分の生き方を見直せ。
兄妹だからこその厳しい言葉。
安易に反論・返答も出来ないような内容だったが、その厳しさが心身に沁みた。
奔放な息子であり兄だが、少しずつでも真っ当になろう。そう心に誓った。
【BGM】死にたいって言えばそれだけて / それでも世界が続くなら
https://youtu.be/GZRtrLIuVuI
▪️4-05 / 頑張。
退院して初めての週末。特に予定もなく家の掃除でもしようか…と考えていた所に、友人からのLINEが。
「ガンジョ行く?」
ガンジョ。ガンバレ⭐︎女子プロレス。
ガンバレ⭐︎プロレスの女子プロレス部門として4月に旗揚げしたものの、旗揚げ戦を見た直後に倒れてしまったため、その後を追えていなかった。
遅かれ早かれ、かつての趣味も取り戻していかないと、と思っていた所だった。ここは素直に誘いに乗ろう。
かくして、電車を乗り継いで王子まで。
待ち合わせの喫煙所へ着くと、友人がスッと差し出す。
アメリカンスピリット・1mg。
「これなら吸えるでしょ?」
苦笑いしながら受け取り、4ヶ月ぶりの一服。1mgでもだいぶ重く感じる。当面、吸いたくなったらこれでいいかな。
そのまま会場に入り、周囲を見渡す。
やはり左側は見えないが、幸いプロレスは基本的にリング上での戦いだ。ハードコアやデスマッチでの場外乱闘、後は場外へのダイヴにさえ注意すれば、まず大丈夫だろう。
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メインは、残念ながらガンジョ軍が、外敵軍に敗北。タッグパートナーだった選手の裏切りまで起こる波乱の結末だった。
が、そんな人間関係の綾も含めてプロレスは面白い。
何より、目の前の攻撃・苦難から逃げない事が信条なので。
これからの俺の人生も、ハードな受け身を取りつつも前に進んでいくしかないんだろうな。
負けて泣きじゃくる選手を見ながら、それでも勇気をもらったような気がした。
試合後、帰路に着く途中で友人が挑発するように言う。
「で、今回の入院記、noteとかにまとめるんでしょ?」
全然考えてもいなかった。そもそもnoteを使った事もないし、アカウントも持っていない。
だが、プロレスを見た直後だ。相手の挑発から逃げる訳にはいかない。
「やってやるって!」
【BGM】Destructive Power / 高山善廣
https://youtu.be/bR1yuJ3jfBk
▪️4-06 / 。
復職までの間は、長期間空けていた家の掃除に勤しむ事に。だいぶ傷んでしまったし、梅雨時〜梅雨明けの一番草木が伸びる時期に何も出来なかったのでね。
玄関横を掃除しようとした所、見慣れた物体を見つける。
倒れたあの時、最後に吸ったはずの煙草。
パッケージの中に数本残っている。
なぜ玄関横にあるのか。
倒れた時には室内にしまったはずだし、妹が捨てるにしてもこんな中途半端な場所には置かないだろう。
ましてや、吸っていない煙草を残したまま俺が捨てる事もありえない。
疑問は尽きないが、俺は煙草を拾って家に置いておく事にした。
今回の病気及び入院、そしてリハビリ。
その始まりを忘れない・忘れてはいけない証として。
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辺りで、蝉の鳴き声がけたたましく響き続けている。