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コラボ商品続々登場!150万部突破『山と食欲と私』マンガ家に聞くマーケティング戦略│クリエイターインタビュー2

 「40S CREATOR’S INTERVIEW 中間地点折り返し戦略」2回目は、単行本販売累計150万部超えの人気山ごはんマンガ『山と食欲と私』のマンガ家 信濃川日出雄さん。登山業界を中心に多くのコラボ商品、企画に引っ張りだこの売れっ子マンガ家に、デジタル時代に求められるクリエイティビティ、共感を呼ぶ作品作りのための時代を読む力、ファンを獲得したオリジナル理論など、売れるためのマーケティング戦略とも呼べる『山と食欲と私』裏話を伺いました。

マンガ家 信濃川日出雄
代表作は『山と食欲と私』。2001年よりプロマンガ家デビュー。2015年から新潮社「くらげバンチ」にて連載をスタートした『山と食欲と私』が累計150万部を超え、現在も好評連載中。PR企画やグッズデザインなどにも積極的に参画。 Twitter Instagram

以下、太字はインタビュアー、細字は信濃川さんです。画像は全て信濃川さん提供の仕事場の写真です。

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作品を通じて人生の豊かさに気づいた人たちが多く生まれた

ーーこの先20年でやりたい事を聞かせてもらいたいです。

まず、20年って区切り(定年)はない。会社員でもないし。でも、年齢的、体力的な事を考えると、マンガ家は50、60代で落ちてくる。あと、出版業界の状況を考えると、あと20年でって言う雰囲気はあるかな。
「やりたい事」は、これから何か新しい事をって段階ではなくて、今やってる事を出来るだけ継続したいと考えている。
『山と食欲と私』っていうのはマンガ作品なんだけど、すごく社会に向いた作品で、読者の人たちもマンガファンだけじゃない。山食(山と食欲と私)で、久しぶりにマンガを買ったっていう人も多いぐらいだし、登山業界や登山シーンでも多くの人が読んでくれている。

考えると、『山と食欲と私』を描き続けていくっていうのは、自分の仕事をずっとやっていくって言うだけじゃなく、みなさんのお役に立てるというのが見えてきてると言うのがある。今まで、そういう意識でマンガを書いてきたことがなかったんだけど、この5年間、このマンガを描いててそういう面白さとか、居場所感っていうのが、なかなかやりがいがあって楽しいぞっていうのがあるんですよ。

ーーコラボとか?

そうそうコラボもそうだし。読者の反応をみてても、消費して終わりじゃなく、『山と食欲と私』をきっかけにして、登山を始めましたとか。人生の新しい喜びに気づいた人たちがいるというのはこっちとしても嬉しいから、この作品を続けていればそういう幸せな人が増えるのであれば、まだまだやりがいがある。そのやりがいが無くなってしまうまでは続けたいなとは思う。

マンガ家としてのエゴイスティックな部分で言うと、表現を試したい事も『山と食欲と私』のフォーマットの中で色々な事ができる。
山という舞台とご飯という題材を通じて、ちょっと攻めた話も描けるし、泣かせる話も思いっきりギャグにふった回も描けるし。なので、マンガ家としても連載してて飽きることがないという所はあるかな。(続けていくことで)ネタがどんどん難しくなってくる難しさはあるんだけど、そこは工夫してなんとかやりくりしてる、みたいなのが現状。

近い将来で考えると、やっぱり今やってることの継続かな。もう少し山食をやっていくと、遠い先のやりたい事が見えてくるんじゃないかな。もう少しわがままに、人の役に立とうとか社会の役に立とうとか考えないで、思いきり作品作りに向き合ってみたいっていうのはあったりします。でも、じゃあ何書きたいんですかって言われると、特に今は思いつきません。
その必要性が出てきたらその時考えるって言う側面もあるし、ちょっと休みたいっていう気持ちもあるし、みたいな感じですかね。

若い時の事を思い出すと、とにかく居場所をつかむための戦いっていうので、20代30代は「自分のことで精一杯」が、ずっと続くんですよ。居場所をつかむための戦い、席取りゲームに勝たねば自分の席がないわけだから、それで激しく戦ってきて。で、それなりに勝ったり負けたりしながら、そこそこ勝つことができたから、今の居場所があるわけで。

やってきた過程でいろいろスキルも身についたし、仲間もできた。今、それを活かしてやっと活躍してるかなっていう所。
あの「居場所をつかむための戦い」っていうのは、ものすごく辛いっていうのは分かってるので、それをまたゼロから始めるのは……。一方で、ゼロから始めても良いっていうぐらいに、新しいことに夢中になってみたいって気持ちもあるんですよ。もしもそれが見つかったら、マンガじゃないかもしれないけど、挑戦したくなるかもしれない。

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個の時代、自分で自分を幸せにできる人に憧れる

ーー『山と食欲と私』について聞けたらと。コンセプトみたいなのを教えてもらえると。

連載開始当初に言ってたけど、ライフスタイルマンガっていう側面があって。こんな人生を送っている素敵な人がいる、それが(『山と食欲と私』の主人公の)鮎美ちゃんで、その鮎美ちゃんの姿を観察して描いているというスタンスのマンガ。そんな鮎美ちゃんに憧れる人たちが出てきて、退屈だった日常が豊かになっている人たちがいて。で、実際に読者からの声としてそういうのがたくさん寄せられるので、こんな幸せなことはないぞって思ってる。

ーー「ライフスタイル」の所をもっと詳しく聞きたい。世の中こうだから、こういうライフスタイルでいこう、っていう戦略みたいなところって。

それは明確にあって。2015年連載開始当時、6年前に考えて捉えていたのは、多様化の時代がきて、終身雇用の終わりがあって、誰しも自分と向き合って生きていく必要性に迫られている時代、「個の時代」がきているというのを、当時の僕は考えておりまして。

単独登山者をテーマに選んでいるのはその部分がある。他人が何をしているか、みんなで何をしていくかっていう事じゃなくて、自分は何をするのか、自分はどうやって生きていこうかなって事に、誰しも自分と向き合わなきゃいけない時代になっている。そんな時にマイスペースで、自分だけの楽しみをみつけて、自分で自分を幸せにできる。そんな人って羨ましいなと思ってて。

それはなぜかと言うと、僕自身はそのタイプじゃないから。僕は鮎美ちゃんみたいな人じゃないから、鮎美ちゃんみたいな人って羨ましいなと思って、鮎美ちゃんを描いてる。
多分、読者の人たちもそういう根っこのところで共鳴して、鮎ちゃんを魅力的に感じてくれてる人達は、ちゃんといるんじゃないかなと思っていて。だから、その狙いははまったんじゃないかと思ってて。

ーーはまってると思う。

ライフタイルマンガとして、表面的には登山、アウトドアを楽しもうぜってやってるんだけど、テーマの一番底流には個としてどう生きていくかっていうのを潜ませていて。でも、それは2年ぐらい前に見直してるんだけどね。それは、新型コロナの時代ともちょっと関連があるんだけど。

最初に立ち上げたテーマで、10巻ぐらいまで描いてきたあたりで、さすがに3、4年経つと世の中少しずつ変わってくるので、それに合わせて少しテーマをスライドさせようって。今までのテーマを全部無くすわけじゃなくて、その上にプラスさせるイメージなんだけど。
それは何かって言うと、今ってデジタル化とか、デジタルが加速していく時代じゃないですか。そんなデジタル的な物が中心とした生活の中で、フィジカル的な、身体感覚を取り戻すっていうのをテーマに加えている。

それこそ友だちと相撲とろうぜとか、そういうことで良いんですよ。全てロジカルに解決しない、フィジカルに解決する、みたいな。悩んだ時に答えを探して本を読むのも大事だけど、思いっきり砂浜を走るとか、山に登って、答えは出てないんだけど一旦すっきりするとか。そういう身体性を取り戻そうっていうのをテーマに組み込んでやってる。なんか腹いっぱい食って眠くなるとか(笑)。

ーー面白い。これの前のインタビューでも同じような話があった。いろいろあっても結局お腹がすくなーって。

こういうテーマ設定っていうのは、針が右と左に触れるとしたら、時代が左に行ったと思ったら右側のテーマを打ち出してみたり。自分が打ち出しているテーマに時代が寄ってきたら、じゃあ反対側にいこうとか、そういう事なんだよね。それによって綱引きが起きて、真ん中に針が寄ってくる。その繰り返しでしかないような気がしている。

ーーテーマは表面的な部分で、根幹には変わらないコンセプトがある感じ?

いや、今はこういう時代だから、そういうテーマ設定をするのであって、表面的って言うほど軽い気持ちではなくて。テーマ設定は「不変」な物ではないというか、時代が変わればスルッとテーマを変えられる感じ。根幹にもし一つだけ変わらぬものがあるとしたら、読んで笑えるか、楽しいか、それだけだよね。娯楽として面白い物にするっていうことだけは変わらないので。

ーーなるほど。何で笑えるかは、時代によって変わってくる。

そうそう。時代の常識が変わるとで笑えることが変わるんで、それにあわせて笑わせていくっていう、そういう所はあるね。

ーーひょうきん族じゃ今笑えないみたいな

笑ってるツボがずれてくるかもね。こんな時代があったんだって笑うかもしれないけど。

ーーすぐコンプライアンスですかね。

そうそう、そういう感じもあるしね。

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キャラクターを生み出す事が作家としてのマンガ家の能力

ーーデザインとかマーケの仕事をやってると、デジタル化の影響は大きくて、職種も求められるスキルも年々変わってきて、今後だとAI化もあったり、まだまだ変わっていく不安というか不透明感があるんだけど、マンガ家的にはこのテクノロジーの変化に対する危機感なのか、そういうのってあるもの?電子書籍になっていくという変化もあると思うし。

まず、マンガ業界の紙と電子書籍の動向から言うと、紙は減少傾向が続いているけど、全体で見るとそこまで変わってない。全体は変わらないんだけど、マンガ家の数が増えて作品数が増えてるから、変わらない規模を、たくさんの人でとりあってる状況。紙全体で見るとそんなに変わってないけど、一人一人で見ると(取り分が)少なくなってきてる。電子書籍はそれに上乗せして、減ってる分を埋め合わせている。旧来はあてにならなかった電子書籍でも、それだけで生活している人がでてきている。電子書籍でも売れるマンガは売れるし、ヒット作を出せるってわかってきて、マンガ業界的に電子書籍市場が計算できるようになってきている。
ただそれは、ここ10年ぐらいの話で、果たしてこの先紙をめくって読むという文化が続いていくのか。そもそもスマホが主流になっていく今、ページをめくるっていう概念が、今後どうなるのかが分からない。

ーー不透明さに危機感や不安みたいなのは?

危機感はあまり感じてないんだよね。マンガ作りの基本と関係するんだけど、「マンガを描く」というのは一つの技術なんだよね。情報を的確に並べて順番に読ませると、ストーリーとして読者に伝わるっていう技術。
一方で、もう一つアーティストとして、マンガ家にしか出来ない事として、キャラクターを生み出すっていう能力がある。キャラクターを生み出してしまうと、それはマンガで描く必要があればマンガで描くけど、別にアニメにもできるし、ドラマにもなるわけですよ。マンガっていうのはストーリーの伝達手法の一つでしかないので。

マンガ家っていうのは、マンガを描く技術を持ってるのと、キャラクターを生み出す能力を持っているっていうことなんだよね。だから、マンガ表現だけにこだわってやっていくと、先々どうなっていくのかわからないけど、様々なコンテンツに広げる可能性をもった魅力的なキャラクターを生み出せる人は、マンガとか紙だとか電子書籍だとか、映像だとかあんまり関係なく、生き生きと生きていけるんじゃないかなというのはあるんだよね。

それは何十年も前から言われていたことで。ただ、我々が二十歳ぐらいのころは、マンガ表現の幅が広がった時代。マンガの歴史上、90年代っていうのは、紙の文化の最盛期。めくりを使った面白いマンガ表現とか、芸術的なマンガ表現とか。キャラクターじゃなくてね。そのマンガ表現の多様化が花開いた時期に、影響を受けてマンガ家になっているのが、僕らの世代で。だからついマンガ家として、マンガ表現とストイックに向き合ってしまうんだけど。
キャラクターを生み出すっていうところに立ち返って、マンガ表現にこだわりすぎず、いろんなことを展開していく柔軟性があれば、マンガ家としては長く生きていけるのではないかと、僕自身は考えている。

ーーキャラクターメーカーという意味ではサンリオとか?キャラクタービジネス的な。

「キャラクター」と言うとそのイメージが出てくるよね。キャラグッズとかさ。それも大きな意味で「キャラクター」っていう概念の一部分なんだけど、それとはちょっと違って。そうだなー、最近の例で言うと、映画とかドラマでなんかいいキャラいないかな?

ーー半沢直樹とか?

あーそうそう。そう言うこと。あれこそが「キャラクター」ですよ。際立った個性を持った人。それを「キャラクター」と呼んでいる。

ーーなるほど、広い意味での「キャラクター」ね。

そうそう、かわいいマスコットとかそういうことじゃなくて。鮎美ちゃんは「キャラクター」だし、鮎美ちゃんのキャラクターを凄く意識して使って、展開している。
それは新しく時代にあわせて求められる事というよりは、作家として普遍的に求められる能力なんだろうね。半沢直樹のようなキャラクターを生み出せる作家っていうのはとても貴重なんですよ。面白い物語が作れて、そういうキャラクターを生み出して、活躍させることができるっていう。その能力をマンガ家はマンガを描く技術とは別に持っている。ま、それをうまく使いこなせるマンガ家もいれば、使いこなせないマンガ家もいるんだけど。マンガ技術者みたいなもんですよね、マンガを描く力がある人って。それと作家的な能力はちょっと違うっていう。

ーー両方ないとできない?

片方だけでも生きていけるんだけどね、原作者になるっていう手もあるし。作画家として原作者と組んでやっていく選択肢もあるし。
原作者が何をしてるかと言うと、キャラクターを作ってる。原作者は、題材を用意して、キャラクターを作って、動かして、絵の得意な人がそれを絵にする。
どっちもマンガを作っているということではあるんだけど。マンガを作るって作業がいかに複雑かって言う事ですかね。

ーーツールのデジタル化について感じることは?

デジタルっていうのはあまり意識してないかな。ツール面でのデジタルで言えば、作業が効率的になった事で、アシスタントを雇う必要性が減ってきている。
マンガの現場で今起きてるは、「技術が伝承されない問題」って言うのはあるんですよ。技術継承がおきない。若いマンガ家が、ベテランマンガ家の仕事場に入って、そこで技術を覚えて旅立っていくって言うような事がなくなってきていて、若いマンガ家はみんな独学で自分で身につけて、それぞれ一匹狼としてやっていくみたいに変わってきていて。
それが悪いとは思わないけど、無くなってしまった物の中にも良さはあったはずだから、それが失われるのはちょっと勿体ないなと思って。かと言って、スクリーントーンを貼ったり削ったりとか、それこそデジタルに取って代わられた技術だし。

ーー技術の継承問題と、マンガ家の数が増えたっていうのも、誰でもマンガが描けるようになったと言うデジタル化の影響とも言える。一方で、キャラクター作りという能力は、デジタル革新で取って代わられる部分でないと。

そうなんだよね。キャラクターって時代を背負ってる部分があって、半沢直樹は時代を背負って生み出されたキャラであり、テーマ性もあるんだよね。今この時代だから、このキャラクターって。今で言うと、例えばみんな「クソ真面目」に向かってる時代だ、というのがあるとして、そこで昔の映画俳優の破天荒な武勇伝を聞くと、それが逆に痛快に感じたりすることがあるでしょ。今許されないことを、昔はバンバンやってたりして。傷ついた人もたくさんいただろうけど、一方でキャラが立って見えてくるんですよ。昔は当たり前だったことでも、今の時代におきかえると急にキャラが立ってくる。

そのセンスだよね。今この時代に何を投じるか、どんな人がいたら面白いかとか。そういうところに、クリエイティビティがあるなとは思っているので。そこを見失わないようにするという事かな。それさえあれば、ツールが別にアナログでもデジタルでも何でもOKっていう。実際、紙に書いたり、ウェブを使っていろんなことをやったりしてるけど、基本にあるのはキャラクター。山食では鮎美ちゃんなんだよね。

ーーそのクリエイティビティや時代を見誤らないために、日頃からチェック、リサーチしているような事は?

それに関してはね、普通の生活をしていて、普通に感じることを大事にしてるって事かな。特別な生活を送らないようにするというか、健康的に、いわゆる「普通」という言葉の範疇に収まる中で、自分が普通に暮らして、「ん?」と違和感を感じる部分をパッとメモしておいて。その引っかかる感性というのは大事だと思うから、そういう事はいつも意識しているかな。

ーーあるCMプランナーが同じことを言ってた。CMを見る人は一般の人だから、自分も普通の感覚を大事にしているって言うんだけど、「普通」って一番難しいって思って。本人からしたら「普通」としか言えないんだけど、マンガ家をやってるような人はきっと違う所があって、それって何なんだろう。例えば、普通と普通でないライン、違和感を感じてメモるって言う境界線は、多分普通の人とは違う気がする。敏感なのかな?

敏感なのかも。すごく敏感だと思う。でも多くの人がそうなんじゃないかと思ってて、人を見てると、本当は引っかかってないのに、心のどこかにメモされていて、違和感として潜在意識の中に残ってるんじゃないのかなと思う。

そこをすくい上げて、拾い上げていくって感じなんだよね。で、「それ思ってたんだよな」、「思ってた。よく言ってくれた。よく言語化してくれた」とか、それをマンガで描くようにしてる。

ーーなるほど。価値観は普通で、みんなと一緒だけど、そこのアンテナやセンサーが敏感と言うか、ちょっとした違和感もしっかりメモる、気づく、気づいてメモっとく。

そうだね、それを本質的に理解して、台詞なりキャラクターなりエピソードなりに落とし込むっていうとこだよね。「ずっとそれ言おうと思ってた」とか、あるじゃん。

それが出来れば一番かっこいいよねやっぱり。マンガ家としてかっこいい所だよね。毎回できてるわけじゃないけど。山食は毎回読み切りだから、時々そういう話をうまくはさみこめると、うまくやれたかなって思ってたりもするけど。代弁者と言うか。

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関心から興味へ。ファン獲得に効いた「関係ある理論」

山食を書き始めてから、『関係ある理論』って言うのを勝手に作ったんだけど。「関係ある理論」はね、人は何に興味を持つかって言うと、「関係のある事」に興味を持つっていう事に気がついたの。

ーー自分に関係があるって事?

そう、自分に関係がある事。で、「関心を持つ」っていう言葉と、「興味を持つ」っていう言葉を、普段から意識して使い分けて喋ってるんだけど、関係がある事には、まず関心を持つんだよね。で、そこに魅力的なものがあると、興味を持つんですよ。関心から興味に移行する。

マーケティングの世界では、世の中の人が何に興味を持ってるか調べるでしょ。で、興味を持ってる物をお見せして提案してたりするでしょ。でも、興味を持ってる時点で、受け取り側っていうのは、ある程度の知識があるんですよ。もう興味を持ってる。先入観もあるし、ある程度の知識も持っているし、経験も持っている、興味を持ってる段階で。登山に興味があるって言う時点で、登山の事をなんとなくいつも意識してる。

でも、関係がある段階においては、興味をまだ持ってないから知らないんですよ。知識もないし先入観もないし。そこで、あなたはこれと関係があるっていうのを(マンガで)見せてあげると、初めて関心を持つ。で、関係があるって言われると無関心ではいられない。「えーそれどういうこと?」って関心を持って読み始めて、そこに面白い物があれば興味を持ってファンになってくれる。この段階がすごく大事で。

だから、みんなが気づいていないけど関係があることって言うのを見つけるようにしてる。で、それをマンガの中にエピソードだったり、台詞だったりにほんのちょっと入れたりだとか、いろんな工夫をしながらマンガにどんどんいれたりして。だから、興味なかったけど興味が湧いたとか、そういう風に言われるとすごく嬉しい。それは関係づくりが出来たっていうことだから、読者と作品との。それを常に意識して、それを『関係ある理論』という名前をつけて言ってるんだけど。

だから、何を書いて良いんだろう、何を作ったら喜んでもらえるだろうとか迷った時は、興味のある事を調べるんじゃなくて、関係のある事を調べて、こういうふうに関係があって、ここが楽しいよって言うのを提示すると興味を持ってもらえる。

ーーマンガの中にいれている「関係あるエッセンス」を一つ事例を教えてもらえると。

関係あるエッセンスは、山食で言うと、コロナで出来ていないんだけど、全国山巡り編なんかそう。自分の土地が出てくると関係があるって思える。
あと、自分の立場。会社員だとか、会社員の中でも業種とか年齢、性別、置かれてる状況が自分に近ければ関係があるので。そういうのはいつも意識している。

ーー例えば、このエピソードでは、愛媛(※14巻収録予定エピソード)に関係ある人に引っ掛けるというか、リーチするイメージ?

そうリーチする感じ、お届けするような感じ。山に関しては、例えば富士山っていうのは日本人みんなに関係がある話になるし。登山を題材にしている時点で、登山者に関係があるし。どんな人たちに、どういう関係ができてくるのかなっていうのを、無意識じゃなく、意識的に連載開始当初からずっとやってきたっていうのはありますね。

ーー戦略的に?

戦略的に。やらしい話でごめんなさい(笑)。でもヒットは好きな漫画を描き続けるための最低条件だからね。

ーー戦略が当たるのは楽しいね。

楽しいね。当たんなかったことの方が多いけどね(笑)。

ーーこれは愛媛編だから、愛媛での売り上げが伸びるとかあったり?

そこは直接的にはあんまり期待してなくて。愛媛編に関しては全国山巡り編をやってきて、やっと四国に行けたっていう所。幅を広げてる最中。

日本全国を網羅していくっていうコンセプト自体が、日本全国の読者にとって関係ある事になる。だから、全国山巡り編をやってるんだってこと自体が重要であって。もちろん愛媛を描くために愛媛のことは徹底的に調べたし、愛媛にも実際行ってきたし、大好きな場所。取材先には全てリスペクトを持っている。1つ1つ積み重ねていってる最中。

ーー凄くデジタルっぽい話。ニュースサイトなんかも個人の興味関心に寄った記事が掲載されるんだけど、愛媛編を作って、愛媛出身の人にリーチさせるのも、デジタル広告っぽくて、今っぽい感じがする。

知らないうちに今っぽいことしてたのかも(笑)でもこれはあれなんだよね、僕らが子供のころに読んでたマンガそのものなんだよね。キャプテン翼とかでも、全国各地の代表が集まって試合してるでしょ。で、自分の出身地を応援するじゃない。関係があるから応援してる。

ーー確かに。スポーツも、甲子園もそうだね。関係あるところを応援する。

あれは、やっぱり作者の先生たちも意識してやってきたことだと思う。キン肉マンの王位争奪戦なんか、各地の城で試合するよね。日本地図がでてきて、”ご当地マンガ”にしてる。だから、普遍的なやり方と言うか、昔からあるやり方と言えばそうなわけで。

ーーたしかに。デジタルっぽいって言ったけど、昔からある手法をデジタル化しただけだと。

そうそう昔からあるんですよ。『銀牙 -流れ星 銀-』とかもね、全国を回って仲間(犬)を集めて。そうすると自分の町がでてきたら嬉しいよね。それをやってる所、山食で。

実際に、読者の反応見ていると、自分の知ってる山とか、自分の地元の山がでてくると、ものすごく喜んでくれる。反応がすごく良いよ。
結局、昔からある事しかやってないですよ。デジタルで、表面的にはちょっと振り回されたりするんだけど、だからこそ本質的な大事な部分にやっぱり集中すると言うか、そこが揺るがないように頑張ってるって言うのはあるよね。まとめっぽいこと言った(笑)。

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インタビュー後記:『山と食欲と私』の映像化について勝手に考察する

以前、『山と食欲と私』の映像化の噂を聞いた。アニメ化だったか実写化だったか、その両方だったか。協議の結果、その話は流れてしまったとか。今のところ映像化の話が無いのはそういう事なんだろうと。

アニメ化して、グッズ化されて、最終的にはハリウッドで実写化されて、みたいなドラゴンボールのようなのが、マンガの、マンガ家の目指すゴール、サクセスストーリーだと思ってたが、信濃川さんと『山と食欲と私』は違うらしい。

『山と食欲と私』を連載している『くらげバンチ』で言うと『極主夫道』が昨年、玉木宏さん主演で地上波ドラマ化したのが記憶に新しいが、今年はNetflixでアニメ化された。原作を知らなかった人も、ドラマやアニメやそのCMをきっかけに知ることになって、いっきにリーチが広がる。担当マーケター(担当編集)的には、こんな美味しい話は無いし、マンガ家のサクセスストーリーのレールに乗ってる。ハリウッドには行かないかもしれないが、全世界に配信されるNetflixでのアニメ化は、今の時代のゴールとも言える(ぐらいに原作印税が凄そう)。

『山と食欲と私』も映像化すれば良いのにと常々思っているが、今回お話を伺って、なんか違うんだなっていうのが少しわかった気がする。

ひとつは、世間一般が「マンガ家のサクセスストーリー」と思っている事を、信濃川さんは目指していない。映像化されて有名になってお金がたくさん入ってくる、っていうのを目指していない。
それは古い昭和の価値観で、キッズ達がTVタレントでなく、YouTuberに憧れるっていうのも似てる。コミュニケーションがマスでなくパーソナルな単位になってきて、不特定多数の人たちに知れ渡り、メジャーになる事を目指さず、興味のある人、届けたい人にだけ届けられ、観る事ができることの価値が上がってきている。

『山と食欲と私』で言うと、山が好きだったり、マンガを読んで山や山ごはんに興味を持ち、実際に山デビューをするような潜在的ファンにリーチして、影響して、フィードバックが得られることが、作家・クリエイターの喜びなのかもしれない。そう考えれると、映像化を断ってるのは今っぽい感じがする。時代に敏感な信濃川さんならありそう。

そしてもう一つ、インタビュー中で「消費して終わりじゃなく」と言っていたが、消費して終わりになる事を懸念している。せっかく登山、山ごはんという楽しさに出会うきっかけを多くの人たちに提供できている現状を、アニメ化やドラマ化によって、ブームとなってしまい、しぼんでしまう、流行語大賞のようになってしまうのを避けたいのでは。

例えば、『極主夫道』のように日曜夜10時半から人気女優さん、例えば永野芽郁さん主演でドラマ化されると、山に行ってみよう、山ごはんにしてみようって人たちは増えそう。『第二次山ガールブーム』だとか言われて。ブームに乗ってヒルナンデスとかで山ファッション山ごはん特集なんかが組まれ、どんどん盛り上がって人が増えてくると、今度は山でのマナー問題とか、トラブルが増えてそんなネガティブなニュースとかも増えてきて、テレビでの取り扱いも、キラキラしたものから、ギスギスしたものになってきて、一過性のファンは離れて、オワコンなんて言われてくる。結果、『山と食欲と私』界隈も荒れてきて、連載寿命が短くなる、とか?
登山界隈の人々に貢献できている喜び、居場所感を感じている信濃川さん的には、場を荒らしてしまう事への懸念を持っているとか?

一方で、『キャプテン翼』や『スラムダンク』が今の日本のサッカー、バスケ文化、プロリーグを取り巻く経済規模を作ったと考えると、映像化して影響度が大きくなるのは、業界・関係者的にも悪いことではない気もするけど、自然を相手にした登山はまた事情がちょっと違うか。とか考えると、急拡大・ブーム化する可能性のある映像化は難しいのかも。

とは言え、コロナもあって山小屋など登山業界界隈はなかなか困っているところ。ブームまでとは言わないけど、お客さんを増やして欲しいと思っている人々もある程度いるのでは。「急」ではない盛り上げ方であれば、映像化あるのでは?信濃川さんもインタビュー中で「新しいことに夢中になってみたいって気持ちもある」とも言ってるし。
が、映像化サイド的にはジワジワは困る、早いところ投資分回収しないといけないし。ジワジワ売れて成り立つ映像化と考えると、視聴率軸のテレビは難しいか。Netflixなどの動画配信系かなとも思うが、山ごはんってカテゴリーで考えるとスポンサーはいくらでもつきそう。カップヌードルとかのインスタント系の企業は広告予算大きいし。とか考えると、スポンサーを集めて『山と食欲と私 YouTubeチャンネル』を立ち上げて実写ドラマ化、ってのが良いのでは?ブームの波のコントロールも信濃川さんがコントロールできるし、新しい事に挑戦できるし。

って全部想像ですけど。全然違って、すでに水面下で映像化の話が進んでたらごめんなさい。

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