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僕らの場づくりの根底にあるもの

今日はまず宣伝です。
前回のawaiFMで話をしました10月30日のたまれdeハロウィンの企画に関してです。去年も皆さんに協力をお願いしました、ハロウィン基金を今年も行っています。どのようなことに使わせていただくかと言いますと、ハロウィンで配るお菓子に充てさせていただきます。
 
お菓子ぐらい自分たちのお金でやれよみたいなところもあると思うのですが、年々子どもたちの数が増えている(去年は150人くらいだったかな)のもあるのですが、「たまれ」らしくみんなでつくっていき、それぞれがみたい風景をつくっていくようなイベントにしたいという考えがあります。
 
関わってくださる方がいましたら、フラスタにも投げ銭用の賽銭箱的なのを置いていたり、フラスタのECサイトから500円で購入できますので、何卒よろしくお願いできたらと思います!!

今日はかすやの連載の最新話が公開になりましたのでその話をしたいと思っております。ええと、今回はフラスタ自走しはじめたっていうようなテーマで書いています。

このnoteの音声ver.はこちら。

2016年のオープンから日々フラスタは変わり続けているんですけど、1つ大きなきっかけがあったんですね。これが俺らの目指していた形なんじゃないかみたいなきっかけがあって、そんな話を中心に今回は書いています。
 
2016年の6月にグランドオープンしてから約3年はもがき苦しむ時期が続きました。お金のところはもちろんのこと、お客さんはまあまあ来てくれているんだけど、一体これは何に繋がってるんだろうみたいな、どんな未来がこの先待っているんだろうみたいなところにもがき苦しみながらやっていました。
 
僕は自身は、今までも何回か書いたように未来の構想があって、これを続けていればこうなってくるんじゃないかみたいな自分なりの画はあったんですけど、フラスタの現場にいる和田は相当苦しんでいたんじゃないかなと思います。実際、飲食経験ゼロからはじめて、今でも「コーヒー出したいわけじゃない」「飯をつくりたいわけじゃない」と言ってますが、それでもクオリティの高いものといいますか、納得のいくものを出さないとダサいということをベースにやってきました。場づくりとかもゼロからはじまったわけですよね。
 
彼のすごいところは本当にいろんな勉強して、もともと持っている感覚もあったと思うんですけど、人との距離感や場のつくり方とか、その空間に対する意味付けとか、物に対する意味付けについては彼なりの哲学がありました。
 
僕なんかは、もともとはコミュニティをつくるための要素は人と人みたいな感じで考えてたんだけど、しげをは人とモノとコトやイベントと人と空間とか、モノとモノみたいなところを考えたりとか、そういう人以外の要素をどのように場に入れていけるかという考えとしてやっているところがあったので、やっぱそれはスゲーなと思って見ていました。
 
一緒にやってきて本当に勉強になった部分もあるし、今でもあったりします。そんな中でもさっき言ったように、苦しんでいて、今回の連載の冒頭にも書いてるんですけど「このまま価値出せないなら辞める」「それ俺が価値を出せなかったことだし、他にもっと適材ないい人材はいるはずだ」みたいなことを僕に話をしていました。
 
シンクハピネスに来てから3年ぐらいは「会社の理念のここの意味がわかんないから話聞かせてくれ」とか「かすやはどんな未来を見ているのか話を聞かせてくれ」とか、そういうような話を結構していました。
 
僕も当時は今とちょっとまた考え方が違って、「わかってほしい!」という思いがもの凄く強かったんですよね。だから、なんでわかってくれないんだろうって思いも結構あって、こんなに説明してるのに、こんな一緒の時間を過ごしてるのに、なんでわかんないんだろうみたいな思いになることもありました。時には感情的になることもあったし、しげをとはそんなことを繰り返しながらやってきました。
 
前回の連載で書きましたが、「わかり合えないことから始める」っていう感覚でやってて、人の思っていることなんてわかるわけがないよねってことです。人はそれぞれ感覚が違うし、見てるものも違うし、だからわからないという前提の上でどのような未来を一緒に共有するかみたいなところがすごく大事かなと思っています。
 
当時と比べれば僕の考え方は180°とは言わないけど、そういうようなリーダーシップの取り方だったりマネジメントの仕方っていうのはかなり変わったなと思っています。で、当時は事あるごとにそんな話をしてきて、彼もストレートに物事をぶつけてくれて、わからないってことをぶつけてきてくれるっていうのは僕にとってもすごく良い経験になったと思っています。
 
フラスタはオープン直後から色んなイベントをとにかくやりまくってきました。
フラスタが二周年を迎えるにあたって、ココマルシェというイベントを企画したんですね
 
一周年の時は特に何もしていなくて、記念日っていう考え方やそれをお祝いしようみたいな考え方はなんかフラスタっぽくないよね、俺らっぽくないよね、みたいのがあったんです。
 
もちろん、お花を持ってきてくれたり、プレゼント持ってきてくれたりって人もいたんだけど、特にこちらから何もせずにいつもと変わらない日常を過ごしていました。ですが、二周年を迎える上で、何かするかってなった時に考えたのは「感謝」です。これまで関わってくださった方たちの感謝を伝える場にしようってことで、自分たち主催のマルシェを開催することにしたんです。
 
今までマルシェを主催した経験がない自分たちは、Lantern(当時はdarumare)のかおるさんにお手伝いをしてくださいとお願いして、一緒に開催することを決めました。出店者は20以上がすぐに集まって、日本茶のワークショップだったり木彫りのワークショップだったり、演奏があったり染物があったり、ボディケアとかワークショップがあったり、焼き菓子もかおるさん中心に出してくれたりとか、台湾茶、文房具とかの雑貨の店などたくさんの方が関わってくれたマルシェになりました。


 はじめてのマルシェは2日間やったんです。たくさんの方が会いに来てくれたし、なんかすごくいい時間だったなって、今でもあの光景が思い浮かべられるぐらい楽しい時間だったと思っています。で、その翌年もココマルシェを開催することにしました。
 
それでも、やっぱり周年っていう考え方はピンとこなくて、ただ一日一日を重ねてきたことでしかないという、和田の言葉を借りるとそんなことを彼は言っています。これを特別にしてしまうと嫌な思いする人が出てきてしまうんですよね。ちょっとひねくれた考え方かもしれませんが、その日が僕らにとっては周年記念日だけど、他の人にとっては関係ない人だっている。喜んで祝ってくれる人もいるけど、祝いたくない人や楽しくない人だっていると思うんです。お祝いしてくないけど、フラスタには行きたい人とか。お祝いの日って知らずに訪れてしまい、他の人がお祝いのプレゼントなんかを持ってきていたら、やばい自分は持ってきていないどうしよう、みたいな考え方をする人だっているはず。
 
考え過ぎかもしれいけど、ここまで考えた上でやるのか、やらないのかということが判断できればいいのかなと思います。そこまで考えずにやっちゃうっていうのが一番残酷なんじゃないかなと思うんです。誰かが悲しい思いするような場をつくるのが一番残酷なんじゃないかなっていうふうには思っています。こんなことも今回連載の中には書いています。
 
この2回目のマルシェは前回と同じような形で開催したんですけど、ここが僕らにとってのターニングポイントになったマルシェだったんですね。1回目よりも少しだけ規模を大きくして開催して、マルシェが終わった後に去年とは違う感覚に気づいて、その時はあんまり言語化できなかったんですけど、数日後にしげをと振り返るしてる時にお互い同じ感覚があることに気付いたんですね。
 
それは何かというと、1回目はあの初回だったってこともあって、僕としげをに会いに来る人がほとんどだったんですよ。来ている人全員知ってる人みたいな感じだったんですけど、2回目のマルシェはふと、周りを見渡すと、知らない人がいっぱいいるなという感覚になったんです。さらに僕らのことを知らない人がいっぱいいるってことにも気づいたんですね。
 
僕ら以外の出展者さんに会いに来る人達とか、あとは近所におそらく住んでいるだろう人たちがふらっと立ち寄ってたりとか、なそういう人たちがすごく多く来ていて、「なんかこれだなあ」っていう感覚があの僕もしげをも感じたんです。フラスターはもともと自分たちが主役にならない場をどうつくるかっていうことを意識してやってきたので、自分たちの手を離れてそれぞれが勝手にあの場をであそんで、意味づけをしてくれることができたらいいなって考えてコミュニティづくりというのをやってきました。

まさにこの風景を2回目のマルシェで感じられたんだと思います。これって一般的にというか、よく聞く話なんだけど、自分の場をつくることやってる人たちって、自分たちが見たい世界に対して反したことがそこで起こると、いやいやそれは違うよっていう風にルールをつくりたくなるもんなんですよね。そういう考えもいいんだけど、そうやってルールで枠をつくってしまうと、同じような感覚を持った人たちしかそこに集まらなくなっちゃって、同質性が高まってしまうんですよね。
 
それによって外と内という境界のコントラストが強くなっちゃうと思ってます。なのであの場はちょっと入りにくいよねみたいな声がより一層強くなるんじゃないかなと思ってます。ルールをつくることで、自分たちが見たい世界観に近づけると思うんです。でも僕らがやりたいことはそんな場づくりでないし、そんな社会を作りたいと思ってなくて、だからこそ僕らが主役にならない場づくりをしてきたっていうのがありました。
 
これはソーシャルな活動している人達に多いと思っています。一生懸命じゃないですか。自分たちの思いを知ってほしい、一緒に活動してほしいという思いで、いきなり人との距離を詰めて自分たちの活動のことを一生懸命語るっていう。
 
決して、悪くないことだと思うんですよ。でも僕らは違って、はじめての人って自分たちが何をしているのかって分からないと思います。そういう前提で関わります。別に分かんなくてもいいやって。そのわからない中でちょっとでも良いから、違和感とか気づきみたいなのを意識下じゃなくて無意識の中に入れ込めたらいいなあなんて思っています。そうすることで、いまのその瞬間じゃなくて、その先の未来になんかあそこであんな事をかすやが言ってたな、あんな光景あそこで見たな、みたいなことを2年後なのか5年後なのかわからないけど、ふと多分思い出す瞬間があったらいいかなって思いながら関わっています。
 
そこではじめて、あいつらはこんな世界作りたかったんだ。もう一回話してみようかな、遊びに行ってみようかな、みたいなそんな感覚を持ってもらうための一手と考えて色んな物事を動かしています。これをやっていくと、自分達から誘って何かをしてもらうってわけじゃなくて、訪れる人たちが何かを自らするきっかけをづくりになるんです。
 
いまはこうやって言語化ができてますけども、当時はそこまで細かく具体的にできてなかったんです。でも、なんとなく僕が見たい世界ってこんな感じだよね、みたいな、そんな世界ができたんじゃないかなと思って、3年目のマルシェの中で僕もしげをも大きなきっかけになったと思っています。
 
ちょっと違う視点で話をしますね。
フラスタって2016年にできて、木の温もりを感じるような新しいんだけどちょっと何処か懐かしさを感じるみたいなコンセプトでつくってもらったんですけど、どうしても見た目ってまだ新しいんですよ。多磨霊園駅降りて南口を歩いていても、急にポンってフラットスタンドみたいなのが出来て、周りの建物と比べたら異質だし、中に入れば新しい匂いもするし、デザイン上では古いちょっと懐かしさを覚えるかもしれないけどやっぱり新しいんですよね。
 
そんな中でどういうふうに古さというか、そこに人間臭さみたいなのを出せるかということは意識してやっていました。しげをがそれまでにただ単に営業してたわけじゃなくて、日々本当に小さな変化を起こし続けていたんですね。その1つが店内のレイアウトを日々変化させていくことで、しかも自分たちがわからないくらいの変化で、店に来た人も気づかないくらいの細かいところを変化させていくことをやってきました。これは、あくまでも自分の考えでありますが、こういう新しい場所って綺麗でいいんだけど、何度行ってもレイアウトが変わらなくて、1年後に行っても2年後に行っても、同じとこにテーブルがあって、店内や壁はきれい掃除されていて、経年劣化はしていくけど、なるべく汚れないように綺麗なまま保とうという考え方は通常の考え方だと思います。
 
でも、僕らの暮らし方だったり考え方って日々変わっていってると思うんですよね。さらに言うと、自分たちをこう人として構成する要素に関しても変わっている。昨日は一人でいたかったけど今日は誰かといたかったりとか、昨日は魚食べたかったんだけど今日は肉が食べたかったり、昨日は嫌いだったんだけど今日は好きみたいな変化って日常の中で結構起こることだと思っています。
 
僕らの身体もそうですよね。体内では分解と再構築が常に繰り返されています。いま僕はコーヒーを飲んでいますが、コーヒーを飲んだ瞬間に、多分体の中の反応が変わって、新しいものが取り込まれて、出るものは体外に出てくるみたいな感じで、これが繰り返されることで1分前の自分と今の自分はかなり変わっていると思います。生物学者である福岡伸一さんの『動的平衡』という著書の中の言葉を使わせてもらうと、「生命とは絶え間なく分解再構築を繰り返す流れそのものであって、自らを破壊し続けることで生きている」みたいなことを動的平衡と説明しています。この考え方がすごく好きで、人っていうのは考え方であったり、暮らし方であったり、身体の要素だったりは日々変わっていくのに、なんでお店の中は新しいままなんだろうとか、いつもと同じものが同じところにあるんだろうみたいな、整理整頓されているんだろうみたいな、なんかそういうところに少し気持ち悪さみたいのがあったんですよね。
 
もちろん経年劣化してると思うので変化してると思うんですよ。でも、なんかいつもと同じ方が安心で居心地が良いっていう方も結構いると思うんだけどなんか自分達にとってはいつもと同じはちょっと居心地が悪い。なので、気づかない程度に普段の暮らしにノイズを入れていく方が自分にとっては心地いいし、そのほうがフラスタを訪れた人にも何か変化が生まれるだろうなと、そんな考え方もあったりしたんですよね。
 
なので、フラスタも日々ちょっとずつわからないところで変化を加えていたというのがあります。それによってもしかしたら僕らが気づいた「みんな自走している」っていうところ、みんながそれぞれで意味付けをしてくれてるみたいなところに繋がったのかという思いもあったりします。
 
これって僕らが2016年からやってきた場づくりの本質的な考え方でもあって、今回の連載では大事なことをかせてもらったなと思っています。
 
いま場づくりをしている人達だったり、これからやっていく人も、色んなところでこの考え方は当てはまると思うんです。みんなが場づくりに求めていることの1つはこれなんじゃないかなっていうのがあったりするので、みなさんの頭の中に少しでも入れてもらえたら嬉しいななんて思って今回は書きました。
 
ということで今回はあの連載のこと結構長く話してしまいました。リンク貼っておきますのでぜひ読んでいただければと思います!


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