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専門性と市民性のあいだの壁

今日はですね最近また専門性ってなんだろうなとか、市民ってなんだろうなとかって話をよくしているんですが、そんな話をしたいと思います。

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パターナリズム

僕が担当している連載のタイトルは「境界線を曖昧にする」ですが、医療と暮らしとか医者と患者とか専門職と非専門職みたいな感じで、「と」で分けられているようなものが気になる今日この頃。
 
そんな専門職と非専門職の中でも医療と患者のパターナリズムについてめちゃくちゃ違和感を感じたのでいまの活動をしています。パターナリズムっていうのは主従関係という意味があるんですけど、昔は家父長制みたいな感じで言われていました。「親の言うことは子供は絶対聞かなければならぬ」みたいなところが専門職と非専門職だったり医療と暮らしだとか医者と患者とか、もちろん理学療法士と患者とかもそうですね。専門性を持っている人とそうでない人のあいだにはあるよねっていうところをなんとかして行こうぜというのが僕らがやっていることです。
 
で、最近読んでる本があるんですけど、鷲田清一さんって皆さんご存知ですか。京都市立芸術大学だったり大阪大学の名誉教授を務めていたり、あとはサントリー文化財団の副理事長さんだったり、哲学者であっていろんな本も執筆されている方です。
 
僕が鷲田さんを知ったのは立教大学の大学院に通っていた頃で、入学した年に最初に受けた文化政策の授業でした。
 

先生が京都市立芸術大学の入学式の式辞の話をしてくれて、そこに書いてあった内容が本当になんか自分にはすごく刺さって、こういう考え方ってすごい素敵だなーって思ったことがきっかけでした。

『しんがりの思想』 

そこから鷲田さんの本を読むようになったんですけど、その中で『しんがりの思想』っていう本をまた読んでいるんですが、第三章に「専門性と市民性のあいだの壁」というタイトルのところがあってまさしくこれドンピシャなんです。

書いてある内容をちょっとだけ紹介しますね。現代社会における専門家主義との市民の受動化ということが冒頭に書かれています。鷲田さんの言葉のチョイスめちゃくちゃいけてますよね。まず、現代社会において専門家主義はどうやって出来てきたのか、みたいなところで歴史的なところが紹介されています。
 
明治時代に遡って、明治政府が近代化を急速に進めるために国策として取り組んだことは、憲法の制定、議会の設置、軍隊の強化、企業の育成、そして「社会的共通資本」の整備であると書かれています。「社会的共通資本」というのは、教育や子育て、看護や介護、ものごとの解決、葬式、防犯や防災などのことで、当時は住民の暮らしに深くかかわることは地域住民が独立した自治などのネットワークを使ってお互い助け合いながらやってきたよねと鷲田さんは言っています。余談ですが「社会的共通資本」と言えば、宇沢弘文さん。これも読んでほしい本です。

明治に入ってからは住民の生活の質を上げるとか、より良い暮らしを目指すぞということで、国は専門家教育ってところを力入れはじめたんです。何をしたかというと、国家資格をつくって与えたんですねー。

これによって、それまで住民で担ってきた子育て、教育、看護、介護、お葬式、ものごと解決、防犯など国家資格を与えた専門職が代行するようになりました。医師や看護師、教師、裁判官、弁護士、警察官などの専門職の誕生です。
 
様々な専門職ができたことによって、治らなかった病気が克服されたり、寿命が延びたり、郵便や鉄道の遅延がなくなったり、夜遅くに一人で歩いても大きな危険がなくなったりと、安心安全な日本社会がつくられたのは良いのですが、その中で決定的に質を落としたものがあると鷲田さんは言います。それは住民の連帯、つまり関わり合いの中による助け合いの能力です。専門職が出てきたことで、パターナリズムが生まれ、住民を無能にしていったと。

無能化と受動化

無能という言葉はやや強めだけど、能力がないとかそういうことではなくて、自分が誰とどこでどのように生きたいかを考えなくなったということだと僕は理解しています。出産や看護や介護は医師や看護師に任せるようになり、教育は教師に任せ、もめ事の解決は司法に任せ、防犯や防災は警察や消防に任せるになっていきます。

鷲田さんはイリイチのことにも少し触れていますが、まさしく思考停止ということです。

住民の中で専門的なことは「おまかせ」という感覚が強くなり、それがどんどん暮らしの中に浸透いていき、今現在の社会になっている。そこで、医療や教育、防犯などの質が下がっていくと、住民たちは「だったら自分たちが動くわ」みたいに自ら対策を出すことなく、ただクレームを言うだけの存在になっていきます。
 
専門職というスペシャルな人たちが生まれて、そこに医療や教育、防犯などのシステムが出来上がったことで、住民はただサービスを提供されるだけのお客さんになり、これによって市民の無能化と受動化が進んでいると鷲田さんが言っているのがとても面白いなーと思って読んでいました。
 
もちろん地域によってはNPOなどの住民団体がすごく盛んに動いているところもありますが、特に医療のところを考えるとやっぱりお任せというか、患者というレッテルを貼られてしまったら考えないで医療者におまかせ的な雰囲気はありますよね。
 
みんなそれぞれの生き方、暮らし方なのに、そんなに医療に任せきりで良いの?って僕は疑問に思います。だから「たまれ」みたいな活動をやったり、こうやってnoteなどで発信したりしているのです。
 
専門家と市民のパターナリズムの背景は様々ありますが、このようなことを知っておくだけでも考え方は変わってくるんじゃないかなーって思います。
 
じゃあお前は何をするんだ?って声が聞こえてきそうですが、いまの活動だけでは変わらないので、また準備を進めています。もうちょっと準備が必要なので待っててね。
 
awaiFMのリスナーやnoteを読んでくださっている方は、特に医療や福祉に携わっている人が多いと思います。自分たちに何ができるのかなー?ってにまた改めて考えるきっかけになってもらえたらいいなと思っています。
 
では、今日はこの辺にしておきますね。

またねー

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