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生きている芸術

私の目に映る世の中の印象では、
現代を生きる私たちは物質的なモノに気を囚われがちである。特に数えられるモノは、はっきりした価値がつくし比べやすい。誰が上だとか、何が優れているとか、自分はどれくらいだとか、前と比べてどうだとか。
誰の目にも価値が明らかなモノというのは意識しやすいし、重要視されやすい。

けれど、精神的なモノである芸術は多くの場合で”贅沢”だったり”余分なモノ”として扱われてしまう。間違いなく必要な生活の一部であるにもかかわらずあまり重要視されないのが現実だと思う。あくまで娯楽なのだ。
けれど自粛期間を経て、
必要最低限の外出、不安定な経済、不確定な未来、
非日常的な生活の中で今までは意識していなかった芸術の大切さを感じ始めた人は多いのではないだろうか。


日曜日、私はオペラ歌手の友達とコンサートへ行った。
もちろんこの状況下では人を集められないので、大きな公園の広ーい原っぱに簡易ステージを設けただけの路上ライブスタイルだ。観客は思い思いに芝生の上に座り聴き入っている。私たちと同じ劇場で働く知り合いのピアニストとヴァイオリニスト、2人の友人である学生オペラ歌手、この3人の女性がステージの上で演奏したり歌ったりするだけの小さなコンサートだった。

オペラやオペレッタの中の有名曲、ミュージカル映画の中の曲など、馴染みのある作品ばかり。久しぶりに聴く生の演奏と歌声。
文字通り全身の血が弾んでいるような、心が震えているような感覚が湧いてきて、今にも体が踊り出しそうだった。

生きている芸術の世界が好きだ、と改めて思う。

自粛中でも取り入れられる芸術は沢山あるが、そうでない芸術もある。
写真で見る絵より直接美術館で見る絵の方が良いし、ダウンロードして聴く曲よりコンサートで聴く曲の方がやっぱり良い。”生きている芸術”とはそういうものだ。
私にとって劇場は、毎日通う職場でありながらも”生きている芸術”に触れられる最も近い場所だった。客席との一体感、その日の調子やその場の空気。同じ作品でも毎回違うのが当たり前。舞台は生きている、そこに面白さがある。
皮肉なもので、それが日常ではなくなった今、改めて深みを感じられるのだ。
人が人のためにその場で生み出すアートには独特のエネルギーがある。そして誰しもがそのエネルギーを感じ取ることができると私は信じている。

デジタル化の進む現代だからこそ、
機械には出せない味を、芸術を、できれば生きている芸術の深みを
多くの人に楽しんで欲しい。
これから先劇場が人々にとってどんな場所になるのか、今までのように快く足を運んでもらえるのか分からないけれど、どうか長くずっと続きますように。
世の中の物質と精神のバランスがもっと重要視されますように。
芸術の大切さに気付く人が、生きている芸術を愛する人が増えますように。

今日はそんな願いを込めて。。

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