自分の為ではなく他人の為に
映画「ビリギャル」を観て思ったこと。
『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』は、坪田信貴によるノンフィクション作品
私は、ビリギャルの主人公である小林さやかさんご本人のお話を聞いたこともありますが、1年間での偏差値40上げはシンプルに「凄い」なと思いました。しかし、ご本人は、ビリギャルは勉強の話ではなく「家族の愛の物語」だと仰っていました。
もちろん合格に至るまでには、ご本人の努力もありましたが、母親とこの作品の作者でもある塾の坪田先生、また父親の存在も大きかったことが分かりました。
母は何事も応援してくれ、どんな時も子どもを信じ、見方をし、いつもワクワクしていてほしいと言うような母でした。そのお陰もあり、自己肯定感があったのもさやかさんの強みだったと思います。
そして、先生は押し付けるのではなく、生徒1人1人のやる気を引き出し、その子にあった的確な学習法や学習レベルの課題を出していました。
父親はガンコ親父で仲が悪かったものの、さやかさんは「父が塾のお金を出してくれていたら合格出来なかったと思う」と語っていました。
父親が塾のお金を出してくれず、応援してくれなかったことへの怒りのパワーも必要だったと言うことです。怒りのパワーは何よりも強いと聞いたことがあります。
そして、さやかさんが諦めかけた時、母の頑張りや努力を裏切ることは出来ないと言う想いから勉強を更に頑張っていました。つまり、自分の為というよりは、応援してくれている母親や先生の為にも頑張らないとと言う思いで行動していたのです。
毎日15時間ほど勉強していたと言うのには驚きです。
私も自粛で家にいる時間が長いので、英語の勉強を真面目にやろうかと思いましたが、全然続きませんでした…それで更に日々の15時間の勉強の凄さを目の当たりにしました。
結局何をやるにしても、自分の為に行動するのではなく、誰かの為に行動する力の方が強い。他人の為の努力や行動が、結果的に自分の為になるのだと考えます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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