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【コラム】星のこと③-安芸がつなぐ星と情熱-イワシロアヤカさん

2023年9月3日(日)に開催したアキラボ星の観察会の講師・イワシロアヤカさんの星についてのコラムを3話に渡ってご紹介。最終話は、安芸がつなぐ星と情熱。


岩崎彌太郎が見ていた星空

安芸の偉人、と言えば、現:三菱グループの創設者として名高き岩崎彌太郎が有名です。幕末から明治にかけて活躍した人物です。彼が生まれたのは現在の暦で1835年1月9日。その日の夜は、膨らんだ月と木星が空高く輝いていました。

 (彌太郎が生まれた日の夜の空。1835年1月9日19:30 安芸市 星図:ステラナビゲータ/アストロアーツ)

19歳のとき江戸で遊学することとなり、彼は出立前に村の裏にある妙見山に登ったとされています。山頂の星神社に参り、「吾れ志を得ずんばふたゝび此の山に登らず(望みを叶えないうちはふるさとに帰らない)」と扉に書き残したのだそうです。

「妙見山」「星神社」は星が信仰の対象となっているもので、全国各地に存在しています。

妙見とは、北斗七星や北極星を神格化したもので、飛鳥時代に大陸よりもたらされた考え方とされています。坂本龍馬が極めた剣術の流派「北辰一刀流」にも「北辰(=北の星)」の名がありますね。昔から人は星を観察し、その光に意味を見出してきたのでしょう。

きっと彌太郎も故郷の星空を見上げ、広い世界を想い、必ず立身出世してみせると胸躍らせたに違いありません。彼が対峙した星たちは、190年近く経っても輝きながら、今は私たちと対峙しています。

(月と彌太郎像 Photo by 小松八月)

まちの興(おこ)りのミステリー

安芸平野は、古代から農業地帯として拓かれており、飛鳥時代に布かれた律令制度によって「条里制」というまちづくりが行われました。南北・東西に直角に交わる平行線によって土地を区分する区画制度です。

安芸駅周辺の地図を確認すると、地形による傾きはあるものの、整然と配された区画がよくわかります。傾きは、自然地形に由来してか安芸駅周辺では海岸線に平行な東西の線と、それに直交する南北の線が区画を作っているようです。安芸川と伊尾木川に挟まれた地区では、川を基準にしているのでしょう。まちの興りの面影が今も残っている証かもしれません。

(安芸市地図 出典:国土地理院ウェブサイト)

ところで安芸駅周辺の南北の条は、東側に10度ほど傾いています。先述のとおり、海岸線を基準に区画整理したと解釈すればそれまでですが、こんな可能性も考えてみましょう。

当時の日本では国の中心に都が作られていました。都のあった奈良には海はなく、キッチリ方位を測って、キッカリ東西南北に条を配したまちづくりが行われていました。飛鳥時代、大陸から妙見信仰がやってきたくらいですから、北極星を観察して北を割り出した、と考えてもよさそうです。しかし、現在の北極星「ポラリス」は、今と同じ位置にいたわけではありません。

(飛鳥時代の北天。645年6月30日22:00 安芸市 星図:ステラナビゲータ/アストロアーツ)

コマが首を振りながら回るように、地球の自転軸も首を振っています。(約26,000年で1周)上の画像は、飛鳥時代の夜空をシミュレーションしたもの。真ん中あたりの赤いバッテンが真北ですが、ポラリスはそこにいません。季節や時間によって変わりますが、上の画像の場合は東に10度ほどずれていますよね。

つまり、古代には北極星に当たる星はないため、まちづくりに星が使われた可能性は低いと言えます。(実際には、太陽を用いて真北を割り出したと考えられています)

ここで、安芸のまちに視線を戻します。東に10度ほど傾いたまちと、北極星の位置を知ると、「北極星基準説」の可能性は低いとわかっていても絶対に否定しきれないような気がしてきます。もしも、たまたま東にズレた北極星を観測していたら?妙見山とのつながりは?様々なことを知れば知るほど、私はまるでミステリー小説を読んでいる時のようなワクワクした気持ちになったのでした。

人生を豊かにする「知」

「星を眺める」。それだけでとても美しい、楽しい体験はできます。

でも、その場で終わらないで身になっていく、深みのある体験をするにはコツがある、と私は考えています。

岩崎彌太郎の見た星空が、あんな風だったこと。

飛鳥時代には、北極星がずれていたこと。

それらを「知る」だけで想像がどんどん膨らんでいきます。楽しい想像や考察が、新たなワクワクを作り出してくれるのです。

 星の名前や色、星座の形などを一つ知ったとき、「じゃあ、あの星の名は?」「どうして、星の色が違うの?」「星座は、いつからあるの?」と次々に疑問がわいてきた子どもの頃。

星でなくても、きっと誰にも同じように、好奇心をくすぐられる「知」との遭遇があったはずです。

小さな「知」がきっかけとなり好奇心のままに体験し、五感と心が動くたびに、人生が豊かになっていくのだ、とそう思います。

安芸がつなぐ、星と情熱

体験で五感と心を動かし活躍した、天文業界には欠かせない安芸市出身の人物がいます。五藤齊三(ごとうせいぞう)氏は、プラネタリウムや望遠鏡などの有名メーカー「五藤光学研究所」の創業者です。

齊三氏は江戸時代に安芸に入った土佐藩家老、五藤家にゆかりのある人物で、1891年1月31日、当時の土居村(現:安芸市)で生まれました。1910年に安芸の自宅からハレー彗星を偶然目にしたことをきっかけに、彼は天文にめざめ、書店で見つけた本で知識を得ます。この時読んだのが「星学」で、著者の須藤伝次郎もなんと安芸出身です。

齊三氏は1919年に日本光学(現ニコン)に入社。1926年に独立し光学機器(天体望遠鏡)メーカーを創業。高知で頻繁に講演会や天体観望会を開き、郷里のひとびとに宇宙の神秘を説きました。その後も1965年、故郷の安芸市にプラネタリウムと天文台を寄贈。また、芸西天文学習館に60㎝の大型望遠鏡を寄贈するなどしています。

現在、高知市にある高知みらい科学館に設置されたプラネタリウムには、五藤製の投影機「オルフェウス」が導入されています。県内では40年ぶりとなるプラネタリウム施設の復活にも、齊三氏の情熱は受け継がれています。

さあ、今夜、積み上げられてきた歴史の上に立ち、星空を眺めましょう。

きっと、まだ知らなかった景色が目の前に広がることでしょう。

今ここにしかない星空を。守り受け継ぐ景色を。好奇心と情熱を。

次はきっとあなたが、未来につないでいくのです。

 (大山岬の天の川 Photo by 小松八月)

イワシロアヤカさんプロフィール

sorasio/星の案内人
子どもの頃から星や宇宙が好きで、天体望遠鏡メーカーのピクセンに入社。その後、高知に移住し、星や宇宙の魅力を伝えようとsorashiroを設立し、星空体験プロデューサーとして活動。愛媛県出身。

note/https://note.com/sora46design
Instagram/https://www.instagram.com/sora46design/ 

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