【出産の記録④】1ヶ月の記録
前回の記事からとても時間が空いてしまいました。
たくさんの心配の声をいただきながらなかなか更新できずにいました。
娘【芽生ちゃん】は10/10で1か月を迎えました。
ここまで病院の先生や、看護師さん、心理士さんなど多くの方のサポートのおかげでなんとかここまで生きてくれています。
前回の記事を更新してから今日まで、本当に色々なことが起こりました。
それも一旦は少し落ち着いたので更新しようと思います。長いです。
腎臓の摘出とカテーテル挿入手術
生後8日目、もうすっかり昔のことのようですが、前回の記事を書いた翌日に2つある腎臓のうちの1つを摘出しました。同時に腹膜透析のためのカテーテルを挿入する手術も同時に行ってもらいました。
あまりリスクは高くないとわかっていても、手術中はやっぱり不安で、待合室ではずっとソワソワソワソワしてました。5時間くらいの手術でしたが、体感は果てしなく長く感じました。
手術が終わって芽生ちゃんに会いに行くととても落ち着いた様子で就寝中でした。脇腹に5cm程度の手術痕が残っていました。小さな体で、生後2週間にも満たない体でよく頑張ってくれたな〜、そしてお腹の少し上のあたりに穴が開いてそこから腹膜透析のためのカテーテルが入っていました。これもまた痛々しい。。今や見慣れたけども、、これから何年間もお世話になるであろう、カテーテルも無事に挿入できたようで良かった。。
初めての抱っこ
生後15日目、病院に行くとなんと口からの呼吸器が外れている!!!
今まで強い呼吸サポートがないと酸素量を維持出来なかったのですが、肺も順調に成長してくれて、予定より早く呼吸器を取ってもよくなったそう。
(引き続き鼻からは酸素を入れて少しサポート)
すごい、本当にすごいぞ、芽生ちゃん、凄まじい生命力や。
呼吸器が取れたことで、"声"が聞けるようになりました。
産まれてすぐにないたのを聞いてから、ずっと聞けなかった泣き声を聞けるようになりました。先生から「1か月は声は聞けないかもねー」と言われていましたが、半分の期間でここまで成長してくれました。
そして、生まれて15日が経って、初めて抱っこができました。何もなければここまで抱っこすることに対する感動はなかったのだろうと思いますが、この何気ない抱っこをして重さを感じることで、改めて娘がこの世に生まれてきてくれたことを実感することが出来ました。もう感動中の感動。
いきなりの宣告
生後20日目、術後も良好で、血液透析も問題なく回せている。
呼吸器も外れて順調に成長してる、このまま問題なく全てが上手くいくような気がしてきていました。
10月に入ったら気持ちを切り替えて仕事も趣味も少しずつ全力で取り組んでいこう、そう思っていた9月30日、先に病院に入っていた奥さんから電話がかかってきました。
「芽生ちゃん、目が見えないかもしれないって。」
腎臓の話を聞いたときも衝撃だったけど、また全く別の種類の、虚無感絶望感を同時に感じる衝撃を受けました。肺も透析も落ち着いて、さぁこれからって時に新しくわかった事実。さすがに心がぽっきりと折られて、しばらく動けませんでした。
病院について改めて説明を受けました。
「第一次硝子体過形成遺残」の疑い。
あんまり情報は入ってこなかったけど、芽生ちゃんは目がほとんど見えないだろうということがわかりました。視力がどれくらいあるかは6歳くらいにならないと測定できないらしいけど、あっても両目で0.001とかになるのでないかと。最悪、まったく光を感じない光覚なしの状態も全然ありうると。
第一次硝子体過形成遺残は、胎児期お腹の中で成長する過程で目の中にある硝子体の中の茎のようなものが本来であれば生まれるまでに消失するのだけどもそれが生まれてからも残ってしまう、というものらしい。腎臓の病気と同じく数万人に1人しかならないような難病。
9割近くが片目の疾患のようですが、芽生ちゃんはなんと両目。
瞳孔がほとんど開いていなくて眼底まで直接診ることができず、エコーなどでしか状況はわからず。詳しくは手術などで目を開いてみないとわからないと言われました。
まさに目の前が真っ暗になり、深い谷の底に突き落とされた気持ちになりました。これからどうしていけばいいのか、どうやって育てていけばいいのか、なにより芽生ちゃんが可哀想で、不憫で、申し訳ない気持ちで全く前を向く気になれませんでした。
帰り道の車の中でさすがに奥さんとわんわん泣いて帰りました。
支えとなった息子の成長と周りのフォロー
目のことがわかってから、どうしても気持ちが落ちてしまう時間が多くなってしまいました。腎臓のことはまだ代替治療も確立されていて、なんとかやっていける気がしたけど、目はどうしたらいいのか、どうすれば娘が幸せに過ごせるように育てていけるのか、その答えを明確には持てませんでした。
答えが見えなくて、辛くて、沈んだ気持ちを救ってくれたのは息子の成長と周りの支えでした。
目の病気がわかってすぐに息子の保育園で運動会がありました。運動会と言っても小規模の保育園で室内でダンスを踊ったり1人障害物競走をしたり、親子体操をする会。しかもコロナ禍で1クラスずつの実施で、うちのクラスは6人だけの小さなものでした。親たちは教室の端っこで距離を取りながら座って、見守りました。
息子は相当緊張していて、普段はめっちゃ得意なダンスで1歩も動かず終わったり、一人ひとりの障害物競争をこわばった顔でなんとかゴール出来たり、その姿を見るだけで元気をもらえて、成長を感じることが出来ました。
娘が生まれてから「こうちゃん(息子)お兄ちゃんなったから〇〇できる!」と色々なことが出来るようになって本当に成長に驚かされています。コロナもあってまだまだしばらく直接は会えないけど、必ず兄妹会える日が来るからね。
そして、家族の支えがなければここまでやってこれませんでした。
今は(新居が建つまでの間)奥さんの実家にお世話になっているのですが、そこで息子の世話から、ご飯から洗濯からなにからなにまで面倒を見てくれる奥さんのご両親、奥さんが辛いときにいつも前向きなことを言ってくれるお義母さん、いつでも息子の遊び相手をしてくれるお義父さん。近くに住んでて姉(奥さん)のことが大好きで心配でいつも気にかけてくれる義弟の大くん夫妻。
うちの両親もいつも心配してくれて、姉一家も週末病院に行くときは面倒を見てくれてます。7歳と4歳の甥っ子たちも息子といつも遊んでくれて、毎週末、僕らは安心して病院に面会に行くことが出来ています。
家族の大切さを改めて感じることが出来ました。
会社のみなさんにも本当にたくさん助けていただきました。娘が生まれる前から色々と心配、ご配慮をいただき、生まれてからも仕事面でサポートをしていただき本当に感謝しかありません。
特に目のことがわかって、すぐに大阪までわざわざ会いに来ていただいた社長ご夫妻。しばらく家族以外の人と話もしていなくて、約半年ぶりに直接顔を見て話をして、僕たち夫婦はずっと泣きながら話をしました。家族以上に家族のことを心配してくれて、本当に支えになりました。
なかなか前を向くことが難しい状況でしたが、たくさんの人の支えで少しずつまた前向きに考えられるようになりました。
度重なる奇跡
生後28日目、目のことに対しても少しずつ向き合えるようになり、奥さんとも「大きくなったら楽器をやらそう」とか「いいにおいの木を家に植えよう」とか話をし始めてました。
目の病気がわかった日に、手術の話も聞いていました。第一次硝子体過形成遺残には根本的な治療法はなくて、悪くならないように(悪くなると網膜剥離を起こしたり、斜視がひどくなったり、ほっておいてもいいことがない)手術はした方がいいと。手術をしないと、症状の重さもわからず、これからの治療方法も見えない。けど、新生児の網膜手術、硝子体手術を出来る人が日本には数人しかいないらしい、、が!!大阪母子医療センターはその数人のうちの1人が、もっと言うと日本で一番くらいの実績がある眼科医の先生とつながりがあるらしく、その人に連絡をしてみて、相談してもらえることになりました。ただその先生、普段は多忙も多忙で研究などで海外にいることも多いみたい、、が!このコロナウイルスの影響でその出張などもなくなり、もしかしたら早めに手術の調整が出来るかもしれないので調整してみます。と言われていました。
さすがに、そんな先生の手術なので何か月後、もしかしたら年内も難しくて、年明けとかかな?とある程度長期スパンで考えていました。
…が!!!なんと調整がつき、1週間後(10/16)に手術をしてもらえることになりました。なんという奇跡、、!
悪くならないための手術、手術自体も相当リスクが高くて、手術によって完全失明してしまう危険性もとても高い。それでも少しの希望があるならと、その先生に来てもらうことになりました。
第一次~と併発していて「先天性白内障」という大人がよくなる白内障も生まれつき持っていることがわかりその手術も同時にしてもらうことに。先天性白内障は生まれてから10週以内に手術しないと視力が全く得られない可能性が高くなるということで、これまた本当にタイミングが良かった。
おそらく普通に生まれて、普通に家で過ごしていたら気づけなかったであろう目の病気。腎臓の病気ももしかしたら芽生ちゃんが身を持って教えてくれたのかな?と思いました。
生まれて1か月
そんな怒涛のような日々を過ごしていましたが、生後30日、生まれてから1か月が経ちました。もう産まれた日が遠い昔に感じるくらい、とても濃密な1か月。色々なことがわかったけど、芽生ちゃんは1か月を生き抜き、今も元気に泣いている。その事実がものすごく奇跡で、嬉しいことでした。
ここまで生きてくれてありがとう芽生ちゃん。
この日、病院に行くと、担当の看護師さんが1か月ボードを作ってくれていました。僕らや家族だけでなく、看護師さんたちもたくさんの愛情を注いでくれてここまで育ててくれました。
目の手術を来週に控え、うちの母から「京都伏見稲荷大社に目の神様がいる眼力社があるらしい」と情報提供が。迷わずに行きました。
うちの母と、姉一家と僕らで(息子も行く予定だったけど当日朝になって発熱で行けなくなった)伏見稲荷大社に登りました。
京都に6年間住んでたんですけど、伏見稲荷って登ったことなかったんですが。めっちゃ登るやん、伏見稲荷。息子よ、熱出てよかったで、と思うくらい登りました。
ほぼ頂上まで登ったところに眼力社はあって、一生分祈りました。御守りも買って、なんか縁のありそう石も買って、絵馬も書きました。
これできっと大丈夫。
いよいよ目の手術
生後36日目、いよいよ目の手術の日がやってきました。これまでECMO挿入から離脱、腎臓摘出、腹膜透析カテーテル挿入の手術と頑張ってきて5回目の手術。
ECMOのときも心臓バクバクやったけど、それと同等か結果が見えないという意味では1番、終わることが怖い手術になりました。
13時から始まる手術で、手術時間は2時間〜5時間くらいかなーと言われた、めっちゃ幅ある、、。
12時頃に芽生ちゃんに面会をして、最後にパワーを送って手術室に見送った。
13時、手術が始まった。
いつもの待合室で時間が経つのを待った。
待合室は電波が通らない。なにもない空間で待つ時間は果てしなく長く感じる。
14時になり、
15時になり、
同じ部屋にいるのが辛くなって外に出た15時半頃に手術の終わりの電話が来た。
「先生から話があるので、手術室まで来てください。」
手術をしてくれた名医が直接説明をしてくれました。事前にネットで調べてたので顔は知ってた。優しそうな先生。
「手術は無事に終わりました。網膜は未熟だけど、剥離は起こしておらず、今後失明などを防ぐためにレーザー治療を行った。白内障の手術(水晶体の切除)も問題なく終わった。当初心配していた、第一次硝子体過形成遺残ではなく、今後ハードコンタクトなどで視力治療を行って視力を発達させていきましょう。」
え、違ったの?
視力回復する余地あるの?
まだ望み持っていいの?
想定していた良い結果の斜め上をいく良い結果で、一気に力が抜けました。
名医、神様すぎる。
ということで、ほぼ絶望していた目の視力がもしかしたら見込めるかもしれないことがわかりました。安堵。安堵。安堵。
今日で、手術が終わってからまだ3日くらいしか経ってないのでまだなかなか状況はわかりませんが、
本当にここまで度重なる奇跡を起こしてくれた芽生ちゃん。
まだまだここから色々な壁を乗り越えないといけないだろうけど、きっと大丈夫やろうし、ぼくたち家族なら乗り越えられると信じてこれからも一緒に歩んでいこうと思います。
今回も長くなってしまいました。
もっと書きたいことがありましたが、これからまた小出しに書いていきます。ここまで読んでいただきありがとうございます。