世の中とは理不尽なもので
生きていると理不尽だなと感じることが少なからずあります。
若い頃はその理不尽に怒ったり絶望したり悲しんだり惑わされたりしながらも、とにかく理不尽と戦おうとしていましたが、戦っても疲れるだけでその理不尽を受け入れるしかないのがこの世界なのだと学びました。
理はこちらにあると戦って何某かの理不尽に打ち勝ち取ったこともありますが、それによって失うものも少なからずあり、結果的に戦わない方が良かったのではないかと今にして思うこともあります。
理不尽な目に合わされている時は当然辛く苦しく憤懣遣る方無い思いでしょう。
しかし、それこそが経験値です。レベルアップのチャンスなのです。
世の中にはその理不尽を利用してうまく立ち回る人達がいます。
しかし、そのような人は結局の所最終的には信頼されず、己の居場所を失ってはまた別の世界で同じことを繰り返すだけなのです。
例えば僕はかつて理不尽なことで裁判沙汰になったことがあるのですが、その相手は僕の仲間をストーキングしていました。しかし、警察には逆にストーキングされていると先に訴えていたのです。そして警察はそれを信じてしまったことによって様々なことがこじれてそれはそれは長い期間大変な想いをしましたが、最終的にはこちらが勝ち、その相手は居場所を失って今どうしていることやら全くわかりません。
その時の僕は自分にも危害が加えられたことと周りにも被害が拡大していたので戦いましたが、そこまでいくことは稀でしょう。
そして大枠勝ったもののストーキングの件については警察の判断が変わることはなく、結局理不尽をぬぐいきれたわけではありませんでした。
そんなこともありますから、理不尽の只中で意識すべきは敵ではなく周囲でもなく自分自身。
理不尽な目にあっても、いや、あった時こそ学びの時、努力の時と考え、己の成長の為に時間を使いましょう。
怒っていたり悲しんでいたりする暇は無いのです。むしろその負の感情を原動力と変えて動きましょう。
僕は若い頃、いつも理不尽に対して怒っていました。
怒りを原動力に変えて動きまくりました。
時が経ち、様々な経験を経て今はほとんど怒らなくなりました。
何かを原動力に変えずとも動きまくれています。
だからこそ平和で幸せです。
もっと早くそうなれたら良かったとも思いますが、負の感情を原動力にしていた時期があったからこそ、今の境地に達することができたのだろうと思います。
だから理不尽な目にあって負の感情に苛まれている若い人達は、とにかく動くべきです。
動けば学びがあり、成長につながります。
しかし動かずにいたら負の感情が膨らむだけです。
何でも良いのです。
勉強する、体を鍛える、旅をする…
まずは散歩するだけでも良いかもしれません。
散歩して見つけたカフェで甘いものを食べながら読書をする。そんな時間も良いでしょう。
とにかく未来の自分の為になることをしましょう。
理不尽を利用する人達は理不尽を利用することで精一杯。嘘の為にまた違う嘘が必要になってくるのでそれで頭がいっぱいとなり、なかなか成長ができないものです。
だからこそ己は学び、鍛えて、成長し、そんな人達と差をつける為に時間を使うのです。
実る努力と実らない努力があるとはよく言われますが、例え実らなかったとしてもその努力は顔に現れ身体に現れます。
そして思わぬところでその努力が役に立ってくるものです。
最終的に幸せだと思えればそれで良いのです。
僕は今幸せです。
運が良い方ではなく、むしろ良くない方だと思いますし、それによって様々な理不尽を経験してきましたし、いまだに誤解されることも多々あります。
だからこそそう思うのです。
最終的に幸せだと思える為に必要なのは努力の継続のみ。
もうひとつ言うと、努力は人に見せるものではないという言葉もありますが、現代においては努力は人に見せた方が得です。
ただし見せ方は嫌味にならないよう考えて。
ちゃんと見ている人は少なからずいます。
何があっても己を見守ってくれている人の為にどう動くか。どう見せていくか。
それができれば未来に幸せが待っていることでしょう。
と、難しいことは置いといて、心がささくれ立った時は甘いものに頼りましょう。
写真は大好きな店の新作チーケー2種。
めちゃ美味で幸せな気持ちになりました。
簡単に得られる幸せが身近にあるものです。
甘いもの食ったらその分動けば良いんです。
今日も僕は美味しいものを食べまくり、そして動きまくっていきます。
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