東京の戦闘モードは、もう卒業。 【スピンオフAfterコロナの女たち #コロナ禍に気づいた私の本音 】
「戦いから降りてもいい。」
追い込んで自分を高めるのに必死な毎日はもういいかなってストンと思えた。
—東京の戦闘モードは、もう卒業。
自分が心地よいスピードでごきげんに生きる毎日がいい。
それが、 #コロナ禍に気づいた私の本音
そんなことをお話したSHEさんの特集記事が公開されました。
(記事から抜粋。)
「35歳を迎える今年、出産を考えたり、親の死を経験する中で、自分を高めることばかり考える生き方はもう違うなと気づいたんです。」
「今、何かをカチッと決める生き方はベストじゃないと感じています。まだまだ不安定が続く中で、どうにでもなれる柔軟性を持つために、なるべく持つものを減らすことを意識していて、世の中の流れを見ながら、判断していくための準備期間にあてています。」
「決めない」「持たない」
確かにこれが今のわたしのリアルだな、と取材を受けながら、そしてこの仕上がった原稿を読みながら感じたことでした。
続きはぜひ、SHEさんの特設ページから読んでみてください。
今の世の中と20,30代女性の心情をとても捉えた企画だなと共感して取材をお受けしましたが、私以外の8名のお話も「わかるー!わかるーー!」って思う本音が多数です。
30分の取材でこの部分を抽出し、このクリエイティブに仕上げてくれたSHEさんすごいなと感動し、コピーも素敵だし原稿もほぼ初稿をそのままGOさせてもらいました。
だから、この記事に収まりきらなかった取材でわたしがお話した内容を、もう少し詳細に、別観点も交えてまとめてみたくなったのです。
せっかくなので「Afterコロナの女たちスピンオフ企画」としてお盆休みの暇つぶし程度にお読みくださいませ♡一つ一つを短編小説のようなイメージで、わたしの本音を小まとめしています。
コロナ禍で起きたわたしの変化
私のコロナ禍の状況はというと、3月末にニュージーランドから帰国。
自宅についてテレビを付けたら小池都知事の会見がはじまるというタイミングでした。
2週間の自主隔離期間を経た後も、結局ほとんど家から出ないまますべての仕事がリモートに。
思えば1月に出国したので8月になった今の今まで、今年は一度もオフィスに出社していないし、もはや帰国後、会社のメンバーと対面で会ったのは5人にも満たないかなと思う。
だから帰国後は、全社のオンラインMTGで「ただいまー!」とさらりと報告しただけ。さらに私は企業様のイベントやウェディングの仕事が中心だったので、年内の仕事はほぼキャンセルもしくは延期になりました。
とはいえ焦ったり不安になっても仕方ないから、「今の自分ができることはなんだろう」と考えて、まずは自分が世の中に提供する価値や、サービスを届ける対象を変えてみようと思ったのが4月1日。それから1ヶ月でいろんな人に相談しながらできることから動き始めました。
人生をみつめなおしたい、キャリアを立ち止まって考えたいという人を対象に、自分の持っているメソッドを公開。それをオンラインスクールとして主宰することに。
暮らしをみつめなおしたい、これを気にライフスタイルを変えたいという人を対象に、自分がニュージーランドで変化したライフスタイルや、人にも地球にも優しいサステナブルな商品を届けるライフスタイルブランドの立ち上げを。
お祝いに関しては、「イベント」というオフラインが中心の場づくりの考え方を捨て「本当に必要なことは何か?」を考えることからはじめました。
でも幸いにもそうすることで、「自分が本当にしたいこと」が自然と見えてきました。
“未来を悲観してもしょうがない”
だから「ここからまた新しく始めるなら何しよう」という思考で、わたしはこのコロナ禍をずっと過ごしていました。
「持たない」というのはこんなにも軽やかなのだと知る。
思えば私にとっては今回のコロナ禍で「何も持っていなかった」ことは幸いでした。
ニュージーランドに長期滞在するために年内にお仕事を完結し、クライアントは一部メンバーに引き継ぎ、お客様にもご説明をした上で、オールクリアにしてから2020年1月に出発。
完全休暇だったので、向こうにいた2ヶ月半の期間に仕事でPCを開いたのはおそらく2回。全社のアワードイベントに遠隔で参加したときと、コロナによって結婚式を当分延期したいと相談があったお客様と連絡を取り合った時だけ。
つまり、帰国したときの私は「ゼロ」だった。
「持たない」というのはこんなにも軽やかなのだと知る。
これまで私はまず「決める」ということを信条としていたし、最後の最後までこだわる性分の私は「責任を持つ」ということで強みを発揮してきた。社内では「オア明奈の秒速コミットメント」と揶揄されるくらい、私の瞬時の意思決定力とコミットメント力は社内では群を抜いていたように思う。笑
さらにはライフプランを綿密設計し、未来から逆算して今やるべきことは何かを考える、そういう性格だった。
そんな私が、「決めない」「持たない」が今の自然体の自分だと感じるようになったのは驚くべき変化。だからなのか、「 #新しい日常 」と題して、当時のインスタにはこんな風に書いていたのだった。
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何かを選ぶということは、何かを捨てるということで。
何かが変わるということは、何かを受け入れるということ。
以前のわたしは白黒はっきりつけて、明確に答えを出して進みたいタイプだったけど、今は境界線を曖昧にグレーなくらいがちょうどいい。
グレーは白も黒も受け入れて、光の具合で表情を変える色。その柔軟さを許す余白が美しさだと思ったりする。
きっちり線引きするということは、ある意味自分を、自分たちを守るという行為で。曖昧にするということは、ある意味、自分を開いて、他者を受け入れるということじゃないかと思う。
だから今のわたしの新しい日常は、強さも弱さも、自由も孤独も、仕事も生きるも、内も外も、今も昔も。全部ごちゃまぜでグレーなくらいでちょうどいい。
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境界線を曖昧にグレーでいることは、わたしを自由にしてくれて、さらに「持ってない」「抱えてない」という状態は、わたしに大切なものを大切にするための判断をよりスムーズにさせてくれた。
6月、突然訪れた母のガン宣告にも動じることなく、「すぐに地元に戻って母を支えよう」と決められたのは、きっとそのおかげ。
コロナ禍における一番の変化は、夫と一緒にいる時間が格段に増えたこと。
ちなみに、、、これまでハードに仕事してたので家で食事作るのは週末だけでそれ以外は外食。っていうかむしろ、料理好きの夫がほとんど料理担当。(笑)
でもこのコロナ禍で夫も家にいたし、毎食一緒に食べて一緒にいる時間が増えました。
そもそもわたしたち夫婦はかなり自立型のパートナーシップで、お互いのやっていること、やりたいことは口出しせず見守るスタンス。お互いに依存せず自分の人生は謳歌しながらも、いつだってお互いが帰る場所になっているという関係性でした。
だから休日も夫は私をおいて趣味のサイクリングを楽しんで遠方に一人で出かけることもしばしばだったし、私もフットワーク軽くどこでもいつでも遊びに行く、そんな自由な夫婦生活を5年半続けてきました。
でもこの期間は強制的に自宅にいなきゃだったので、朝一緒に起きて、ヨガして、朝ごはんをつくって、一緒に散歩に行き、夜はゆっくり映画を見る。そんなこれまでと違う日常は、毎日が新しい発見の連続!!
夫は家でガーデニングしたり、パンを作ったり、コーヒーにこだわり始めたり。朝、「ジャスミンの花が咲いた!」と微笑む彼を見て、彼が送っていた日常を一緒に体感するようになりました。
夫婦の会話も格段に増えて、これはもしかしたらこの6年間で一番夫婦らしい時間を過ごしたかもしれない!私が思い立ってニュージーランドに行って家を留守にしていた2ヶ月半という物理的、心理的距離は2週間足らずで埋まった気がして、これはかなりの副産物でした(そういうことちゃう。笑)
コロナ禍の夫婦ストレスとして、何もしない旦那が邪魔とか、同じ共用スペースにずっといるのが辛いとか、なにかとメディアを通して聞くことも多かったけど、うちの場合は普段一緒にいなすぎたのでむしろ楽しめたのかも。模様替えや新しい家具を買ったり、これがなかったら一緒にはしてなかったと思うし、ふたりでミートフリー生活にシフトしました。
そんなこんなで振り返っても、大変だったこととはそこまで思い浮かばないのだけど、、、しいていうなら、やっぱりアナログで人間的なコミュニケーションが好きな私は、友達や仲間に会えないのはちょっぴり寂しかったかな。でも逆に会わなくても繋がっていられるってすごいよなって気づいちゃったかも。
今、何かをカチッと決める生き方はベストじゃない。
これから先、正直まだまだ先は見えない。アフターコロナとか、ウィズコロナとか、ニューノーマルとか。色んな事言われているけど、結局先は誰にもわからないし、今の政府の対応をみていると少なくとも「状況が落ち着く」なんてことはしばらく叶いそうもない。
だから私としてはどうにでもなって、どうにでもなれる生き方にしておきたくて、いつでも柔軟にいられるように、大きな決断はしない、大きなものは抱えないってことを意識しています。
例えば、長いスパンでの仕事は受けないようにしていたり、年内で完結する仕事に絞ったり。先のことを考えて迷うより一旦はじめてみようと、カジュアルに新しいブランドをスタートさせたり。
ニュージーランドとの二拠点生活を実現するためにも国境が開いたらすぐにでもニュージーに行きたいと思ってるので、9月以降は状況次第で今やっていることも絞ったり、膨らませたり、世の中の状況を見て判断できるようにしていこうって思っている。
まさに今は準備期間なのだと思う。大きく羽ばたくための。
「あ、東京にいる意味、ほんとにないかも」
フルリモートで仕事もできるし、離れていても大切な人とはちゃんと繋がれる。
だったら「東京」に拘る必要全然ない!それが湧き上がってきた本音。
同時に拠点が1つだけってリスクあるとも感じて、何かあった時に動けなくなるからフレキシブルに動けるように2-3拠点持っておくのが賢明だなと、改めて自分の選択に確信を持った。
流れに身をまかせて今できることを、自分の心が喜ぶことを、楽しみながら自分本位にやってたい。場所にこだわらずに自由に自分を解放して。
東京は嫌いじゃない。でももういいかな。
この刺激いっぱいで情報に溢れた世界に生きるのは、1年のうち数ヶ月でいいかも。
これが、#コロナ禍に気づいた私の本音 第一位。
"正解"が消えた今、"心地いい"で生き方を選んでみるのも、いいかもしれない。
SHEさんのこのコピーは、わたしもとってもしっくりきた。
正直わたしは昔から「ロールモデル」と呼べる存在が身近にいなくて。でもそれがある意味よかった。ロールモデルがいないから、その人みたいにできない自分に落ち込むとかもなかったし、ないなら自分が道を切り拓いてみようって思えた。尊敬する人はたくさんいたから、その人達のいいとこ取りをしようと思って、自分なりの生き方や強みを模索してきたんだと思う。
「自分の心地いいで生き方を選んでいい」というのは、自分勝手ということではなく、自分を愛することだし、自分の感覚を信じるということじゃないかな。
だから、これは私が大切にしている「人生肯定」と同意だと思った。
生き方に正解なんてない。一人ひとり、自分の心地いいは違うんだから。
コロナ禍で私は「仕方なく」ではなく、「自分の意思で」働くスタイルを大きく変えた。
私は元々高い目標を掲げて、自分を鼓舞し、ハードに仕事をするタイプでした。それはそれはハードにいつも自分を追い込んでいました。だから、
「戦いから降りてもいい」
なんて自分の口から出てくるなんて想像もしてなくて、数年前の自分が聞いたらきっと驚くと思う。だって戦って、戦って、その先にしか、自分の理想は実現しないと思っていたから。
でも35歳を迎える今年、出産を考えたり、親の死を経験する中で、自分を高めることばかり考える生き方はもう違うなと気づいたんですよね。
それはきっともう、「本当に本当に頑張ったよな、わたし」と素直に人生で初めて自分を認められたからなのかもしれない。
「人」には今日まで積み重ねてきた日々と
大切にしてきた価値観がある。
個人においての結婚式や、法人においての周年行事のような
祝賀的出来事そのものが大事なのではなく、
その人が生きてきた軌跡を見つめることを通じて
自分の人生を愛して感情豊かに生きる人を増やしていきたい
結果的に2年前から名乗るようになった「セレブレーションプロデューサー」という肩書きは、職業ではなく、わたしの生き方・在り方なのだ、という自分自身の輪郭もしっかり見えるようになりました。
ちなみに、数年後ニュージーランドで出産、子育てがしたいと思って帰国したので、その未来に向けて卵子凍結を6月に行いました。
今年35歳を迎えるわたし。数年後の自分の年齢を考えると、欲しいと思った時に自然に子供を授かることはできないかもしれない。数年後の未来に向けての準備(というかある種の保険)を整えることも、思いがけない時間が生まれたこのコロナ禍だからできたこと。
収入とか将来の不安はあるかもしれないけど、自分の力じゃどうにもならない状況を悲観してもしょうがないので、何かに抗うのをやめて、流れに身をまかせ、今できることを楽しんでやっていこうと思ってます。
戦わなくたって、幸せになれる。
だからはっきり言います。
東京の戦闘モードは、もう卒業!!!