自分が選んだ道を正解にする

私この言葉が嫌いでした
選んだことを後悔した時の なんとかフォローするためにできたような言葉に思えた

えーだって間違えたなぁって思っていることあるし、なんなら何年もずーっと後悔してることあるし

選んだ道を全部正解にするだなんて
ムリムリー!!!!!!!
と思ってきたし、正解にしていくなんて考えたくもなかった

2021年始まって自分が選択したことに
よく後悔していました

投げ出したいな
やめたいな やめたら楽になるな
私が選んだ道は不正解だった気がするって
ずっと思ってきた

でもある時ふと
『選んだ道を正解にする』というのは
こういうことだなって思った

それは 私の中で

感情に振り回されないことを徹底した

んだよね

嫌だから
気が乗らないから
やりたくないから

そういう自分を徹底して排除した

気が乗らないけど やる
嫌だけど やる
やりたくないけど やる


感情とは別の行動を やる
とどうだろう

行動に感情がついてくる

やっていると 本気になってくるのだ
やっていると もう少しやりたくなるのだ

ここまでに至るには 数ヶ月かかっている。最初から数ヶ月は『やりたくないなぁ』が続いているのだ。それでも、やり続けるのだ。

感情を切り離して行動をし続けなくてはならないというのがポイントだ

大抵の人間は、
気が乗らないことを 数ヶ月やる前に
やめるであろう

なんなら1日2日でやめてしまうかもしれない

それでも『やる』のだ

ただ淡々とこなすのだ

そこに
嫌だとか
やる気が起きないとか
気が乗らないとか
そんなもんは必要じゃない。。。

大事なことは
とにかく自分が今選んで後悔していることでさえ淡々とこなすのがポイントなのである


自分の選んだ道を正解にする

という表現より

自分の選んだ道を正解にしていくように自分で仕掛けていく』という表現の方が的確かもしれない

この選択肢は、要らなかったかもな
自分には向いてなかったかもな

と選んでから思うことがある

そこで、ずっと『やりたくないよー』『やだよー』『やめようかなー』とずっと思ってきたし、

『こんなこと選ばなければよかった』と何度思ったかわからない。。。

でも
その選択肢を選ばなかったら

味わえなかった感情
出会えなかった人
自分と向き合うこと

それが全てなかったとしたら??

やはり、選んできた選択肢は
全て悪にはいつも
ならないのだと思う 

やりたくないから
やらない
その感情の赴くままに行動しがちなのが
人間で それが悪いわけでもない

やらない選択肢をすることで、学べることもある

私にも過去あった

私は昔 就職支援団体の副会長に
選ばれて 自分の意見が通らなくて
むしゃくしゃして 放りなげた経験がある

なんてひどいやつだ笑 

その後 決まっていた内定先が
人事部全員辞めていて
恐ろしくなって 内定式後にやめた
経験がある

やめる勇気も今から思ったらすごいのだが笑笑

まぁ、支援してるより自分の就職の方が大事になったともいう

もう15年くらい前の話だ

今になって放り投げなくてもよかったんじゃないか やり通してみたら別の感情が湧いたのでは⁇と後悔したことが一度や二度ではない

就職先が決まらない先輩が支援団体の副会長をやるのも面白いし、リアル感を持ってお伝えできたのではとも思うのだ

今回やめたくなった時
私がやめなかった理由をあげるとしたら

その一度やめた経験が生かされたのだと思う
10年経っても、たまに後悔することがあるのなら
やった上で後悔した方がよいのでは!?
という わずかに残る希望で動けたものだ

やっている途中に、あー失敗したなっていう
選択肢も出てくることがある

それは 今その感情に振り回されるのではなく
やると決めた自分を正解に仕向けるように仕掛けていくことで 何よりも自分の考えに変化を与えるきっかけになるように感じた



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