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あらためまして、はじめまして、

自己紹介が、とても苦手だ。
理由はたぶん、自分にそんなに価値を見出せないから。

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話すこともないほどつまらない人生か、と問われれば、でもそんなこともないと思う。

例えば人生の引っ越し回数、通算10回。東北から九州まで津々浦々、2年半に1回くらいのペース。しかもたぶんまだ増える。今の家がぼろいから。

出身は新潟の片田舎だけど、親が転勤族で、生まれて数か月で離れてしまった。だから地元と言える場所の記憶も話題もないけど、代わりに桜島の火山灰を浴びながら下校した、小学生時代の朧げな記憶は語れる。男の子だから黒いランドセルだったけど、家に着くころには、灰が積もってうっすらグレーに色が変わっていたそうだ。
これがまた都会の人には、結構面白がられる。

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歌を歌っていた。10年くらい合唱をやっていた。
転校先の小学校に、音楽の先生が有志でやっている合唱団があった。ぜんぜん音楽なんか興味なかったし、なんで入ったかも忘れてしまったけれど、とにかく入団した。

初めての舞台。近所の大学の講堂のステージに上がって見た客席を、今でもよく覚えている。
眩しいライト。たくさんの視線。しん、と張った空気。
そこに在るもの全てが自分を灼くのを感じた。指先にまで全身に炎が灯ったようだった。
あの景色が、良くも悪くも後の大学時代までの人生を大きく変えてしまうなんて、そのときは考えもしなかった。

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音楽を聴いていて、自分に「逆さまの雷」が落ちたことがある。でもそれは合唱とは別の話。

中学生になったころ、スピッツがすごく好きだった。バンドのスピッツ。合唱に編曲された「チェリー」を聴いたのがきっかけだった。
でも同じ年ごろでスピッツが好きな子はなかなか見つからない。今みたいにSNSもない。同志に飢えて行きついたのは恐らく多分に漏れず、ラジオだった。毎晩ウォークマンに張り付いて、気になった曲の名前を必死にメモして。そんな時代だった。

雷は頭上から降ってくると思っていた。でも違った。
忘れもしない、12月のはじめ。その出会いは突然だった。
曲を聴いた途端、足の裏から脳天に青光る稲妻が駆け抜けて目が眩む。遅れて、後を追うように鳥肌が全身を包んだ。

当時まだ駆け出し中だった彼らに夢中になって、追いかけて、いろんな景色を見て。
だけどあの衝撃に似た感動を味わうことは無かったし、これからも無いのだろうけれど、
それでも今もこれからも、音楽をずっと、聴き続けていくのだろう。
あの雷に焦がされて。

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何人かの人間が自分の中に住んでいるのを、たまに思い出す。

小説なんてとても呼べないような散文は小さいころから書いていたけれど、高校生になり文芸部に入って、初めて人に読まれるものを作った。
見せるのも恥ずかしいような出来だけれど、書くことは好きだった。見るもの、聞くもの、触れるもの何もかもに話の種を探していたような気がする。恋人もできたことがないのに恋愛小説を書いて、いつの間にか失くしたその原稿を今読んだらきっと、顔から火を噴いて倒れると思う。
大学に進み環境が変わっても、書くことはずっと続いた。

そうして自分の中に何人分もの世界を作っては書き、文字で輪郭を描いていった。
彼ら彼女らの笑顔が、何かの拍子に脳裏を過ぎっては駆け去っていく。

――――――

歌わなくなって。書かなくなって。
いつの間にか季節が何巡かしていた。
かけがえのない思い出になったそれらはしかし、現実的な何かに結実することなく、記憶の箱に仕舞っておけるものになってしまった。
そんな今の自分に、自己紹介なんてするほど価値を正直なところ感じられないのだと思う。

だからこんなにも長々と文章を書き連ねた自分に驚いているし、
ここまで読んでくださった方への感謝の念が尽きない。
正直もっと、短くなると思っていた。

あぁ、薄々感づいてはいたのだけれど、
自分、やっぱりこういうの書くの好きなんだなぁ、と。

あまり堅苦しくなく、日記でもしたためるような気持ちで。
どんな方に読んでいただけるかわからないけれど、
こんな調子でのんびりと、好き勝手書く楽しみをまた、
始めてみようと思う。

あらためまして、はじめまして、
窪田あきなです。

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窪田あきな
ヒモ志望です。とっても上手に甘えます。

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