ラーニングトランスフォーメーション
世界には、いろいろな学び方が存在します。
例えば、本を読む、講義を聞く、対話をするなど、他者との関わりを通じて学ぶ方法があります。また、自転車の乗り方、卵焼きの作り方など、自分で実際に体験してみることで習得する学び方もあります。さらに、資格試験にむけて対策教材を購入し、合格体験記を参考に試験勉強に取り組むことも1つの学び方です。
しかしながら、時代は変化し、学び方も変化します。
数年前から勉強してきた内容が、まったく新しい概念に塗り替えられることもあります。例えば、これまで存在していなかったビジネスモデルが主流になり、その中で求められる資質・能力やスキルの獲得を目指して学び直す、いわゆる「リスキリング」の必要性が急速に増しています。
また、新型コロナウイルスによる世界的なパンデミックにより、これまでのやり方がガラッと変わり、新しい学び方・新しい働き方を誰もが経験することになりました。周囲の環境に適応しながら、必要なスキルを獲得するためには、限られた時間やパワーの中で、いかに自分自身をアップデートし続けられるか?が重要になります。
まさに今、「自らを変革させ続ける力」が問われています。そして、より具体的には「学び方をアップデートすること」が最重要だと考えています。
この記事の目的
このnoteでは、学び方をアップデートすることにより、自らを変革させることについて書きます。その中で、「ラーニングトランスフォーメーション(LX)」という概念について触れます。
少し前から、DX(デジタルトランスフォーメーション)というキーワードがすべての領域で話題になっています。これらの「変革・改革」と呼ばれているものを実現するのはすべて人間であり、テクノロジーはそれを補完する存在です。その人間が自らをトランスフォームさせるためには、「ラーニングトランスフォーメーション」を通じて、学びそのものを変革することが強く求められていると感じています。
ラーニングトランスフォーメーションとは?
そもそも、ラーニングトランスフォーメーション(LX)とは一体何なのでしょうか?
直訳すると、ラーニング(学び)をトランスフォーム(変革)するということになります。
つまり、これまで当たり前だと思ってきた「学び」に関するすべての考え方をリセットし、新しい目的のために学びを変革しようと試みることなのだと考えています。
変化が常態化する中、変わり続けるためには、「学び」が欠かせません。この「学び」そのものを変革することにより、変化に対応できるようになることが目指す状態です。
国立教育政策研究所のシンポジウムにて、公立はこだて未来大学・システム情報科学部・美馬のゆり教授がご発表された「DX時代のLX」というタイトルの資料を参考にさせていただきました。
Learning Transformation:LXについて、「LXは人の活動のすべてを学習の機会と捉える」とあり、「学校教育だけではない、生活の場でも、仕事の場でも、地域活動の場でも」生まれる学びであることが示されています。また、「子どもだけではない、学校を卒業した大人も、リタイアした人も」対象となります。
また、日本マイクロソフトは、日本の顧客ならびにパートナー企業向けに、「2021 Microsoft Learning Transformation Briefings」を開催しています。
デジタルトランスフォーメーション時代において変化しつつある“ラーニング”を命題として、ラーニングのデジタル化、次世代のデジタル人材育成、そしてMicrosoftとLinkedInの新しいソリューションについて紹介しています。
この他にもさまざまな情報が存在すると思いますが、上記の例示に留めておきます。
そもそも、「何かを学んだ!」という感覚は人によって違います。百人十色の学びが存在するはずです。また、「学んでいる」という感覚は個人によって多様なので、非常に言語化がしづらく、定義を1つに定めることが難しいです。
また、ラーニングトランスフォーメーション(LX)に統一の定義を設けることにより、学びそのもののダイナミックさを狭めてしまいそうな気もします。しかしながら、個人や組織の中で、これまでの学びのあり方を見直し、新たな学び方を取り入れることはできそうです。
LXの構成要素
ここからの内容は、私が考えるラーニングトランスフォーメーション(LX)の構成要素です。ラーニングトランスフォーメーション(LX)には、現時点で2つのイメージを持っています。
1. サブジェクト起点 ⇔ パーパス起点
<サブジェクト起点の学び>
私たちは、新しいことを学び始めるとき、何を学ぶか?(What should we learn?)から考えはじめることが多いです。例えば、英語の勉強をはじめたり、プログラミングの学習をはじめたり、学ぶ対象(サブジェクト)を選ぶことからスタートします。また、同じサブジェクトを学ぼうとしている人にとって、資格試験はとても有意義な存在です。みんな同じ資格を得るために努力を重ねるため、試行錯誤をシェアし、いかに合格するかに関する知見をみんなに還元することができます。
<パーパス起点の学び>
一方、ある人たちは、何のために学ぶのか?(Why should we learn?)から考えはじめます。例えば、英語はそもそも何のために学ぶのか?海外旅行のためか?ビジネスのためか?留学のためか?英語というサブジェクトを学ぶ上での目的(パーパス)は、個人の意志によって異なります。そのため、場合によっては、同じパーパス(例:貧困で苦しむ人たちのためになりたい)を持っている他者同士が、それぞれ異なる分野(サブジェクト)から勉強することによって、パーパスの実現に挑戦するということもありそうです。
何かを学ぶことは、あくまで手段であり、目的ではありません。
もちろん、真理の追求など、学び続けること自体が目的となる領域も存在します。どうしても、毎日たくさんの情報が目の前を駆け巡るため、流行やバズワードに流されてしまい、学ぶ内容(サブジェクト)が目移りしてしまうこともよくあります。
しかしながら、自らのことばで目的(パーパス)を描こうとしていれば、あるテーマについて学ぶべきか否か?を自分の意思で判断することができるようになります。自らの意思で学ぶ内容を決めることがとても重要だと考えています。言い換えると、自分の意思で、自らの「ラーニングデザイン」ができる人材がより必要になってくると思っています。
パーパス起点の学びには、メリットが3つあります。
①志(Will):学んだ先にある「あなたは何がしたいのか?」を描くこと
②越境(Transcendence):異なるサブジェクトを学んでいる人たちを、共通のパーパスで結びつけられること
③柔軟性(Flexibility):自らのパーパスに基づいて、学びの方向性を柔軟に調整できること
あなたは、この世界で何を実現することにワクワクしますか?パーパスは基本的に、とても自由です。パーパスは、誰にも邪魔をされず、自由に決めていいものです。自分の心の琴線に触れる、好奇心と探究心をかき立てるようなパーパスを、少し時間をとって、ゆっくり自分のことばで描きはじめることからスタートしたいです。
2. ウォーターフォール型 ⇔ アジャイル型
ウォーターフォールとアジャイルという概念は、ソフトウェア開発の手法からきている言葉です。それらを、ラーニングの領域に置き換えた時に見えてきたものを言語化してみました。
<ウォーターフォール型の学び>
ウォーターフォール型の学びでは、具体的な学習計画とスケジュールを組んで、ゴールに向かって学びを進めます。イメージしやすいのは、資格試験です。資格・証明の獲得をゴールとして学びます。過去にも同じ試験に臨んだ方がいらっしゃるため、傾向と対策という名前で、学びのプロセスがすでに確立されている場合が多いです。そのため、みんな同じ100点(合格点)を目指すという特徴があります。その時代の流行や世代感を意識しながら、自分が取得すべき資格試験を選択することも多いです。これまでに積み上げられた他者の合格体験記を読んで、自分も同じ試験に合格するために、過去の成功例を踏襲します。つまり、他人の成功から学ぶというマインドセットです。最終的には、資格を取得したり、卒業した時点で学びは終了します。この世界では、学歴や成績がバリューを持ちます。
<アジャイル型の学び>
アジャイル型の学びでは、目の前の環境に適応しながら、自分の学びを柔軟に調整します。イメージしやすいのは、アーティストです。アジャイル型の学びでは、経験値の獲得をゴールとして学びます。自分だけの経験値を積み上げることを目的としているため、過去の前例はありません。そのため、プロセスは失敗と軌道修正を繰り返すことで学びが進んでいきます。また、個人の経験値は多様なため、みんな100点の定義が異なるという特徴があります。その時代における社会からの要請を敏感に察知し、みんなと異なるアプローチをとることで、自分だけの試行錯誤を経験します。つまり、自分の失敗から学ぶというマインドセットを持っています。この学びには終わりの概念が存在しません。そのため、この世界では、学習歴や成長がバリューを持ちます。
ここで重要なことが1つあります。
ウォーターフォール型の学びよりも、アジャイル型の学びの方が良い、と言いたいわけではありません。私が言いたいことは、自分の置かれている環境に応じて、フォーターフォール型の学び、もしくはアジャイル型の学びを主体的に選択できるようになることが重要だということです。
アジャイル型の学びでは、学びを通じて「経験値」を獲得することが目的となります。そこには、試験もなく、対策もありません。目の前にあるのは、自分で決めた学びのパーパス(目的)のみです。アジャイル型の学びでは、インプットしたら、すぐに今あるものでアウトプットをします。そして、他者からフィードバックをもらうようにします。(ちなみに、ウォーターフォール型の学びでは、はじめて100%のアウトプットをするのは「試験当日」であることが多いです)
他者からのフィードバックを受け、自ら失敗と軌道修正を繰り返し、自分なりに学びの軌道修正を行うため、誰一人として同じ学習体験をしないのが特徴です。試験はないため資格はもらえません。しかし、アウトプットを繰り返したことによる自分だけの学習体験(=学習歴)は残ります。この学習体験を積み上げると、自分だけのポートフォリオが出来あがります。パーパスの実現のために、試行錯誤を繰り返した先にあるポートフォリオの中には、きっと多様性・独自性に溢れていることでしょう。
少し話は脱線しますが、最近になって発見された遠藤周作さんの小説が発売されていたため、昨年に購入して読みました。
その小説、『影に対して ―母をめぐる物語―』には、アスハルトと砂浜の道の対比が描かれています。
アスハルト(アスファルト)の道は、歩きやすい。
しかし、足跡は残らない。
砂浜の道は、歩きづらい。
しかし、あなただけの足跡が残る。
まさに、ウォーターフォール型の学びと、アジャイル型の学びの比較にとても近いと感じています。
以上、ラーニングトランスフォーメーションの2つのイメージでした。
もう1つだけ、重要なことがありました。
ラーニングトランスフォーメーションという考え方は、あくまで手段であり、目的ではありません。例えば、DXが語られる際も、「そもそも、何のためのDXなのか?」が問われ、DX自体が目的化しないようにする働きかけをよく見かけます。同じように、「何のためのLXなのか?」を問いかけることが重要になります。
ラーニングカルチャーの醸成
自分で考えてみたところ、ラーニングトランスフォーメーション(LX)の目的は「ラーニングカルチャーの醸成」にあると思っています。ラーニングカルチャーは、「学び続ける文化」のことです。
何かに挑戦するために、日々学び続けることが歓迎されるような状態です。学び続けること(プロセスそのもの)が重視されるため、個人の「学習歴」に注目が集まります。失敗を受け入れ、フィードバックをきっかけに対話し、相互に学び合うことを尊重するマインドセットを持ちます。
また、昨今の企業や組織では、独自の「パーパス」を体外的に発信しているケースをよく拝見します。背景には、多くの人材が、より企業や組織の「パーパス」に共感して志望理由を固めるという価値観を持ちはじめていることがあります。ラーニングトランスフォーメーションを通じて、ラーニングカルチャーが醸成されることにより、より多くの人材を魅了し続けるような存在になっていくと思っています。
CLO(Chief Learning Officer)
そして、ラーニングカルチャーを醸成するためには、組織の中でラーニングトランスフォーメーションを大胆に実行できる人材が求められます。そこで重要な役割を担うのが、CLO(Chief Learning Officer)の存在です。
次回のnoteでは、「CLOの存在意義」というタイトルで、CLOとは何か?なぜ組織にはCLOが必要なのか?CLOに必要な資質・能力とは何か?について書いてみようと思っています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
2022.02.12.
Tokyo, Japan
Takuya Akimoto