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阪神電車での通学の思い出

※ 英語で書いたものを日本語で機械翻訳、一部修正しました。

移住して13年になりますが、先月まで、英国で電車通勤をしたことがありませんでした。私は海外に旅に出るのが好きで、飛行機で現地に到着後、タクシーよりも公共交通機関を使って、窓から景色を見たり、違う言語で次の停車駅を聞いたりするのが好きですが、通勤となると話が違います。出勤前、朝からエクササイズがてら徒歩や自転車で通える場所を探して、いつも会社の近くに住むようにしていました。

今の会社に入社してから、私の日常は変わりました。距離があるため電車通勤を始めなければならず、エリザベス・ラインを利用して通っています。1ヶ月前に開通したばかりの新しい路線なので、悪名高いロンドン交通局での通勤は意外にも快適。車両は広くて通気性がよく涼しいので、他の路線と比べると、真夏でも汗や臭いが気になりません。座席に靴を乗せて座っている人もまだいないようです。

未来感あふれるデザインに変貌を遂げたWhitechapel駅

通勤に公共交通機関を使わないようになった究極の理由は、10年以上電車で通学していたことにあります。JR環状線と阪神本線を使って通学していました。週6日、ドアツードアで往復2時間ぐらいの通学でした。阪神は大阪と神戸を結んでいますが、JRや阪急と比べると、あまり評判が良くなかったのもあります。

同じ車両にいると、特に気分がいいものではない変な乗客もちらほら。セーラー服のJC・JKは、痴漢や露出狂などの変質者を無意識のうちに引き寄せてしまうこともありました。思い出しても気分は悪くなるけれど、どんな街にも闇はあるのが事実です。阪神電車には「戦争おじさん」と呼ばれる奇妙な乗客もいました。45歳くらいで、最近の戦争の経験者ではない、比較的若い人でした。いつも電車の通路を舞台にして、ゆっくりと立ち上がったと思ったら、第二次世界大戦時の「寸劇」を始めるのです。ある時は、傘型ライフルで射撃する司令官。またある時は、黒澤映画でしか聞かないような口調で軍曹として部下に指示を出します。語り口こそ不規則ですが、なぜか人々の心をとらえ、無視はできない存在でした。スマートフォンのない時代でならではだったのかもしれません。

ある夜、学校からの帰り道、彼は私と同級生の目の前に立ち、文字通り最前列でショーがはじまりました。私たちが笑いをこらえながら見ているのにすぐ気づいた彼は、私たちの方を指差して「捕虜とは言え、この若き少女たちを殺すのには賛成できない!まだ子供なんだぞ!」と車両に響き渡る声で叫びました。なんと私たちのためだけに即興で台本を変えたようです。狂気の沙汰ではありましたが、不思議なことに、私は「捕虜その1」でありながら、この壮大なレビューに加わっていることに面白さすら覚えました。まるで漫才ライブで漫才師に質問されるような、一度関わったら忘れられないような瞬間でした。ショックに包まれながらも彼の方をちらっと見ると、とても満足そうな顔をしていました。

阪神電車は変な人ばかりではありませんでした。素敵な乗客にも出会えたのです。英国好きの10代の私は、『Live from London』というCD付きの本を買い、通学時間に英国の音(地下鉄、パブ、飛行機、地方の訛りなど)を録音した台詞を聴いたり読んだりして英語の勉強をしていました。ある日、私の前に座っていたのは、紫色の髪の青年。彼は電車を降りる直前、緊張した面持ちで私に近づき、片言の日本語で「イ↑ギ↑リィス↓は好きですか」と聞いてきました。彼は少し引き攣った笑顔で私の本を指さしたので、私は「はい!」と頷くと、手に持っていた小さなユニオンジャックの金属製のピンを私にくれました。サプライズに私は驚き、Thank youと言うと、彼は自分の到着駅でそそくさと電車を降りました。もう会うこともないだろう、見知らぬ人からの小さなお土産を、私は宝物として大切にしました。

この話の皮肉なところは、ロンドン地下鉄のアナウンスの声を何年も夢に見て、繰り返し聞いていたにもかかわらず、来月から電車通勤をやめることにしたことです。新しい家に引っ越しを決め、会社に近い家なので、代わりに自転車で通うことにしました。でも、クレイジーで素敵な人たちに会えなくなったら、また電車通勤を考えるかもしれません。人生は不確実性に満ちていて、その方が楽しいですからね。


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