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あれは拙僧がワナビだった頃(7)

作品についてなら、ちょっとぐらい強めに色々言われても受け止めるか受け流す自信があります。
作品についてならね。


ちなみに私は仕事柄、自分で原稿を書くこともありますし、それに対して校正を入れて貰うこともあります。
己の考えを述べ、案を出し、それに対し結構きつめのダメ出しを食らうこともあります。

それらをいちいち己へのダメ出しと捉えて凹んでいては、あっという間に摩耗してボロ雑巾です。
案へのダメ出しを、自分へのダメ出しとは捉えない。案に対しての指摘であり、赤字は赤字でしかない。

とはいえ、何も思わないわけではもちろんありません。

ただ、耐性はいくらかあるつもりです。
初めて自分の原稿に入った赤字を目の当たりにする人より、心構えができている。作品に対するツッコミや指摘であれば、受け止める覚悟がある、そう思っています。

だからこそ、感想を依頼したんです。
検討を重ね、とある方に感想を依頼しました。


自分では気付けていない、思いもよらぬ何かがあるかもしれない。
もしかしたら、自分の作品には何か大きな見落としが存在しているかもしれない。

好意的にお話を読んでくれる読者の方々でないからこその、気付きがあるかもしれない。飛躍するための、とっかかりとなる何かがあれば……。


覚悟はしてましたよ。自分からのツッコミが入ってしまうような作品ですし。

ただ、試行錯誤する中で、公募である程度前に進めた唯一の作品だったので、だからこそ、何らかの可能性があるんだと思っていました。



感想自体は「なるほど」と呑み込みました。

ちょっと痛みを感じる部分はありましたが、他者からの、感想という枠を超えたありがたいご指摘です。自分では気付けない色々な問題が浮かび上がりました。
まじ感謝。ご指摘傷み入る。

端から端まで読み込んで、ちゃんと糧にしよう。
そう思って、熱きこの気持ちと共にお礼を述べた後、さらに噛み締めながら感想を読み返していたならば。

いたならば。

「熱きこの気持ちと共に述べたお礼」に対し返信があったのです。

この時点で既にお腹いっぱいだったので、正直な気持ちを言えば「お気遣いなくやで」でした。
しかし長文の返信ですし、有り難く拝読しそれももぐもぐせねば失礼にあたるというもの。

読ませていただきました。

途中で読むのを止めましたが、気力を奮い起こして数時間後に再び読みました。

最後まで読みました。

何も考えたくなかったので、その後数時間無心でずっとスマホでパズルゲームをしました。

そして夜まったく眠れず、お布団の中で号泣しました。



結局返信をちゃんとは読んでいません。さらっと読んだだけ。だから、もしかしたら色々読み違えてるかもしんないけど。
もう読み返したくないから、読まんでいい。

いっそ忘れたい。


(8)に続く

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