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「信頼できる相手がいるから決断できる。」

こんばんは、akimichiです。


最近すごく寒くなりました。
長袖で寝ていても風邪を引いてしまいそうです。


「たぶん、今日も窓際男子」だった人、「今もだよ」って人にも読んで貰えたら嬉しいなと思います。


「窓際」って冬場は足元寒くて、たまらないんですよね。人間関係も職場関係も生き方もうまくいかないときって違う意味で寒い。「ずっと、窓際で居た」からこそ見える景色があるのではないかなと。


だから今日からできるだけ「たぶん、毎日」書いて行こうと思います。


週一になったらごめんなさい。


Blind Up.メディアを準備していく中で人間関係とは何か?仕事仲間
とは何か?とよく考えるようになりました。



任意団体「Blind Up.」でパートナーが僕に「僕の脳内にあることををさらけ出せ」って言うんです。



僕はどちらかというと「思いの切れ端」しかありません。

だからそれを彼が受けて深く思考する。
その思考を行動へ移すことが自分の役割なんじゃないかって
最近思うようになったんですよね。


基本的に「僕」に自分の意思はほとんどありません。
そこに決断や決定はあるかもしれません。



ただ全てが「相手の中にあること」の肉付け作業。

僕の中にある価値観に対して心の底から信頼してくれる「相手が居る」から僕は生かされるんだと最近悟りました。逆にそこをただ「利用」しているだけなので、あれば全く腹落ちしないし、いい時間にもならないのではないかと思います。


基本的に誰かの代弁であったり、整理であったり、人と人を繋いで間を作るのが僕の役割。だから「自分が何かする」というより、そこに繋がればいいなと思う人と最適な人の間に関係性が生まれたりするだけなんだと思います。



そのため、よく聞かれる言葉があります。



「結局あなたはどうしたいの?」ということ。

だいたい答えられません。
なぜなら僕の中にあまり大した答えは何もないから。
でも僕はそれでもいいのではないかと。


ただ聞いて自分なりの経験から言えることを言ってみる。
僕より最適な人がいたらその人を紹介する。
そしたら目の前の人が少しだけ救われたり、
気持ちが楽になる瞬間に立ち会ったり。
でもそれが全て解決の糸口に繋がらないこともあって。


ただ僕はそのために相手の情報を整理したり、
人をつないでいった先に必ず「相手が居る」ことを常に意識したい。



その中でも最終決断や決定は「当事者本人」にあるということ。

ただ僕がプラスでお伝えできることがあるとすれば、様々な状況の中で落ち着いて考えた時に「自分」がキチンと決断しているか。という事なのかも知れません。



きっとその答えは無意味な遠回りではないのだと。
いつの日か、気づく時がくるのではないかと僕は思います。


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