背景がないと、きっと盛れない。
どうも、note投稿2回目のぼくです。
最近(個人的に)どんなに高価な技術や機材や空間が揃っていようとも、背景や設定のあるたった一つの物語には勝てないんじゃないか。と思うようなことが増えました。
それはフォトジェニックな場所や人を切り取った写真が湯水の様に流れてくる状態にもういいんじゃない?と個人的に。もうお腹いっぱいの状態なんですよね。そんな中でSNSと程よくつき合う方法論的な書籍やネット記事も増えてきたように思います。
仕事の帰り道にスタバで珈琲を飲みながらtwitterのタイムラインの投稿を眺めていると「ほぅ…」と目を奪われた投稿を発見。
ある種のストーリーもモノの価値を底上げ=盛ってくれる。時には質素なモノすらとてつもなく素晴らしく感じさせることもあり、それをこの国では「わびさび」と呼び、大事にしてきた。 わびさびの神様、千利休に「一輪の朝顔」という有名な話がある。秀吉を屋敷に迎えた際、利休は庭に咲いているすべての朝顔を切り落とし、茶室のたった一輪の朝顔を引き立てたという。 一輪しかない朝顔はインスタジェニックではないけれど、めちゃくちゃストーリージェニックである。
まさに、そうだなぁと思ったぼく。
ストーリージェニックが必要される背景にはきっと多様な文化や価値観を持った人の当事者意識が企業の中でも、地域コミュニティから国家レベルでも必要とされているから、なんじゃないかなと。さらにまとめられている内容をネットサーフィンしながら読み進めていくと。
まず、マクロレベルで考えてみた...
ムムム。とはいえ、個人で出来ることするにはどないしたら…ええんやーい!(ふおおおおー)と発狂していたらスタバの窓ガラス越しに道行く人と目があいました。気まずい空気感を作ってしまう(真顔)。
要は、ターゲット=自分で考えてみると良いのかなと。
売り込みたい人=自分、自分がどうしたら『あ、良き!』と悶えるかどうか。それが個人レベル、地域レベルなのか、企業レベルなのか、国レベルなのかだけ。その背景に自分が良いと思える物語があるかどうかが重要な気がします。
普段の仕事や業務レベルで考えてみた...
いかに料理し、どんなパッケージングにして世に出したら世間の人が、青木真也(格闘家)のことを知らない人も、「あっ、これこれ!…今ぼくも(わたしも)読みたかったメッセージだよ」と思うか。
個人レベルで日常から始められることで考えてみた...
確かにそう、ターゲットをしっかり決めて、普段から使っているSNSの投稿レベルからでも小さくはじめることはできるんじゃないかなと。
自分がスマートフォンに今も昔からずっと入れているSNSはきっと自分にとって選りすぐりで自分好みのアプリなはず。それを使わないのは非常にもったいない。宝の持ち腐れ(わたしです)。
でもそこには自分だけの背景がないと本当の意味で写真も、文章も。そして良い仕事も価値あるものは手に入れられないのではないかと思うわけです。
ちなみにぼくはこんな活用を最近しています。
(1)Twitterをネタ帳がわりに呟く。
(2)2~3週間呟いたことを振り返る。
(参考:最所あさみさんの使い方を勝手に参考にしています。)
※noteで自分がシェアした興味・関心を振り返ります。まずは試しに月に2回くらい頑張るぞ。※Twitterで「自分の興味・関心(50%)ぼやき(50%)」ツイート&リンクRT。ツイートをネタ元にnoteへまとめるって方法です。一番良い活用方法だなと感じているのでしばらくやってみます。