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2022石川県知事選挙に寄せて

知事選を人気投票にしちゃいけない

わたしとしては「石川県知事にはこの人」という選択基準あるのみです。
「たまたま会ったらいい人だった」「名前を知っているから」とかいう理由はたしかに素敵ですけど、このど田舎の知事を選ぶ基準としては少なからずふわっとしすぎじゃないだろか。

有力三候補のデッドヒート

残すところあと数日の石川県知事選挙戦。28年ぶりの知事が交代するこということもあり、保守分裂かつ県都金沢の元市長という有力三候補がしのぎを削る争いで全国的にも注目される選挙です。

どうすんの石川

三方を海、背後を山に囲まれた細長い石川県。
東京などの都会との格差はもちろん、能登・加賀と金沢との格差も歴然です。
北陸新幹線開業でさらに独り勝ちの様相の金沢とは裏腹に、里山里海にはツタに覆われた廃屋、子どもの声が途絶えて久しい廃校舎が、朽ちることさえできないままにそこかしこでたたずんでいます。
この石川県どうすんのって話です。

閑話休題。

選挙のお仕事

右目の人、左目の人

わたしは2010年12月に左目、その翌年に右目と、角膜移植をしました。どちらも石川県内ドナーです。
以来10年、右目の人、左目の人といつも三人一緒です。自然の景色も人と社会の営みも、三人の目で見ています。

イマドキの政治家なんて、みんな「いい人」です

角膜移植の後、ひょんなことから選挙のお手伝いの仕事をするようになり、8年ぐらいたったでしょうか。
限られたつたない経験ではありますが、いろんな議員さんや候補にお会いしてきました。

皆さんそれぞれに素晴らしい特性をお持ちです。ご家族も陣営の方も素敵な人ばかりで、温かく楽しい思い出もいっぱい。
「いい人」かどうかで言えば、そりゃもう皆さんいい人です。
ごくまれに無駄に威張る県議とかいますけど、あれはたぶん早晩消えゆく昭和のまぼろし。

「適材適所」がありますよ

そのようにして見てみると、政治家には、皆さんそれぞれ自分に最も適したフィールドがあるんだろうなと感じます。

ウグイスは見た

わたしが山田修路候補と初めてご一緒させていただいたのは、2019年7月、参院選のときでした。
石川県内各地を候補とともに遊説カーで回らせていただきました。とてもじゃないけど選挙でもなきゃ行かないような場所にもたくさん行きました。

もしかしたら、ここは右目の人がご家族と過ごした地域かもしれない。左目の人が愛して通った場所かもしれない――そんな思いをよぎらせつつも、どこかで手を振る支援者はいないかと、車窓の景色に目を凝らします。

遊説カー助手席では、山田候補が常に常に県内各地をつぶさに見ようとしておられるのが背中から伝わります。
移動中「ここ、変わったね」とか言いながら、地域の産業や産物について、地元に詳しいドライバーさんと互角に話が弾んでいます。
行く先々で『誰が言うか』ではなく『何を言うか』に耳傾けて、その場のノリや勢いでごまかすことなくお返事しているご様子も数知れず。

守りたい ふるさと石川

右目の人、左目の人、この風景が見えていますか。
あなた方のご家族は、わたしに言ってくださいました。
「あなたが角膜移植をしたことで、少しでも前より幸せになれたと感じられたら、それで十分うれしい」と。
恩返ししなきゃとか、何か社会の役に立たなきゃとか、頑張らなくてもいいのよと、涙を流してくださいました。

『守りたい ふるさと石川』
このフレーズは、わたしにとってはお仕事用語の一つです。しかしながら、ときとして別の響きを帯びてきます。
生まれ故郷の愛知では、目が見えないことで学校の先生にはさんざん罵られ、親にはカ○ワは死ねと言われ続けて育ちました。子供心にここはそういう土地なのだろうとぼんやりと感じていました。
もちろんこの石川県にだって詐欺師や乱暴者はおりますし、イジワルな人もいれば無駄に威張る県議だっているわけです。
それらのものを差っ引いて余りあるのが、わたしにとって『ふるさと石川』。大多数の人たちがある程度ゆたかで安心して暮らしているからこそ、穏やかで温かな県民性が維持できる。それは間違いありません。

誰のための県政

たぶんわたし、死ぬまでここに住み続けても、何回町会長をやったって、しょせんはえんじょもんだよね。割り切って暮らせば楽し城下町。

観光ビザで30年滞在してますみたいなわたしですけれど、ここに居る間中、この土地の恩恵というものは土地っ子の皆さんと等しく受けていられるだろうし、ほかの誰にとってももそうあり続けてほしいものだと願います。

長くなっちゃった。
ご清聴ありがとうございました。