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錯綜

四十二.錯綜

はじまりは球体であったかもしれない。必ずしも球体であったと言い切ることは難しいかもしれないが、ではそうでなかったとすればなんであったかを考える事は、より難題といえる。
触感は滑らかで、いやふわりとしたどうぶつの毛並みのようで、あたたかみもある。それはきっと宙空に浮かんでいたであろう。誰もが知っているありふれた存在であったはずなのに、消失したあとで誰しもの記憶の海に影すら残されていなかったと、すべて終わってから露呈したのだった。
もしかしたら実際的には剝き出しでつるつるしていたので、割れてしまったのかもしれない。割れて粉々に散らばった破片と化していたのならば、記憶に残らぬことも致し方ない。誰が割れたグラスを覚えていよう?
いつだかのお祝いの夜、あれはぬめりとした夜だった、まだ私が浮世の底に沈んでいた時期であり、どうしようもない閉じた精神で生きていた。そう、あの夜私の手から滑り落ちていったグラスはいとも容易く割れた。凶器となった破片が私の右足の皮膚を裂き、血が飛沫をあげた。というより迸出した。あの時の嫌な鈍痛と血の色は覚えているが、割れたグラスの色は覚えていやしない。透明色が空気中に吸い込まれるように、破片は飛散したのだ。悲惨にも。白い肉を剥き出しにした私の足は、縫いあとを残すこととなった。今では一目でそれと分からぬほどに薄くなった傷痕であるが、触れるとびりびりと痺れが神経に走る。
見えもしないはじまりの行方もきっと、心のどこかでさ迷ったままで、ふっと感情に掠めとられて記憶の表層に浮かび上がるのかもしれない。しかして破片だったものが以前は丸かったと、どうして言えるであろう?それはまるで、進化し続ける近代的な都市のように恐ろしかった。
私はよく歩いた。変わりゆく街並みと、変わらぬ植物たちの枯れいく姿に涙を流しつつ、思考と歩みを同時に行っていると、不意に穴に落ちたように意識に空白が発生する。歩みを止める。今まで回っていた思考も止まり、それどころか止まる以前までも脳内で一体何を考え張り巡らせていたのか、いっかな、なにも思い起こせないのである。空白。自分がどこにるかも把握できなくなり、ぐるりと目を白黒させて、ぎょろぎょろ辺りを見回してようようやっと目にしたことのある景色に内心安堵しながら驚愕する。
内面から這いずりあがるように意識を明晰に戻すと、もう私は再び歩みを進めているのだった。
そんなとき、私がほんのちょっぴり置いてけぼりを食らっているだけで、妙な速度で都市が進化し続けているのだ、と私は思う。あそこに咲いていた銀杏はもう枯れ落ちている。しかし銀杏の葉は容易く腐葉と化さない。紅葉のように弱くないのである。独特の臭いを放ちながら、土と同化することを拒否する。その謂わば自我の強さといえる力に私は讃嘆する。惨憺たる自己を忘れて。しかしやすやすと変容させぬ内部のエネルギーは、枯れ落ちた葉に必要なのだろうか。それは生きていないはずなのに、死んでもいない。神妙な存在達のように、自然は我々を圧倒する。我々、と私は呼称する。では我々とは、全体誰達であるのか。群衆、群衆に我々が包括されるとするならば、やはり人間的であると言わざるを得ない。人間的であるにも関わらず、私は自然の匂いを動物的に感ずる。では土に潜る哺乳類と私の違いはなんだろうか?差異を言葉で表現することが人間的なのであろうか?哺乳類に言葉がないわけがない。いや、動物たちは非言語的であるからこそ崇高なのである。他者と言語を愚弄しあいながら、その奥底に流れる心を覗き見ようとする、それが人間である。土から感応するエネルギーには、哺乳類たちの非言語的な心の訴えも内包されているはずで、やはりはじまりは土であったかもしれないし、呼吸するものだったかもしれない。自然でさえも慈しみの歌を歌う。これではもう思考を辿れそうもない。胡乱な存在は空気中へ散逸する。千々に乱れた意識は身体を失っていくだろう。


<了>

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Akiller
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