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なぜ台湾雑貨屋になったかというと②

「台湾」のことを思い出したのは、大学1年後期の講義でのこと。

講義の内容は「台湾文学」でした。超マイナー分野。笑

日本統治下の話が主で、重い内容でしたが、先生の解説はそれはそれは興味深いものでした。

講義を聴いているうちに、ぶわっと思い出したのは日本統治下の台湾に沖縄から移りすんで暮らしていた祖父母のこと。
楽しそうに台湾時代を語る祖母。台湾にいたおかげで、戦争で死なずにすんだのかも、とつぶやく祖父。

わたしが運よく?生まれたのは、祖父が台湾にいたおかげかもしれなくて、そんな祖父と祖母の台湾行きには、日本の台湾統治が前提にあった。
子どものころは台湾に感謝だな、と単純に思ったのだけど、「台湾を支配していたから」「祖父は無事だった」かもと思うと心中は複雑でした。

これが、わたしが改めて台湾を意識した瞬間でした。

そして、そこからは台湾に呼ばれているかのように、台湾に引き寄せられていきます。
本気で呼ばれたと信じています。それほどその後の人生は台湾まみれ。笑

大学2年で何気なく受講した講義。
受講生が私ひとりで、まさかのマンツーマンでのスタート。(後日友人を引きずり込んでマンツーマン回避)
K先生は台湾大学の大学院を出ていて、台湾の博物館で10年働いていたという経歴の持ち主。ちなみに女性。

当時政権交代をしたばかりの陳水扁(元)総統の就任演説から台湾を考えたり、台湾の先住民を研究していた先生の体験を聞いたりと、台湾に関すること盛りだくさん。

さらにK先生のススメと若さゆえノリで、友人ふたりを巻き込んでM先生主催の台湾歴史ツアーにも参加。
わたしの初海外は、台湾をバスで縦断する沖縄と台湾のつながりを知る歴史解説ツアーでした。
台湾デビューでいきなり「大日本琉球藩民五十四名墓」にお墓参りした人間は少なかろう。うん。

それからちょっと時が流れて大学3年。
ゼミを決めるタイミングで選んだA研究室。
指導教官は、これまた台湾大学の大学院を出ているA先生でした。
ちなみにA先生の研究室を選んだのは、実はもう一人いる歴史の先生がちょっと苦手なタイプだったから。
とても消極的な理由でした。
この選択がさらに台湾どっぷりにつながっていくとは。このときは思いもよらなかったのでした。



もうちょっと続く

前の記事はこちら
なぜ台湾雑貨屋になったかというと①
https://note.com/akikoueno/n/n3047ab953b43

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