なぜ台湾雑貨屋になったかというと①
台湾雑貨屋で一応会社をしていて、hanamikojiという台湾のシューズブランドの日本総代理であるわたし。「台湾」で食っていきたいと思っていますし、それを超えて日本と台湾の交流に貢献したいと本気で思っています。
なんでこんなに台湾に固執してしまうのか、自分でもよくわかりません。
台湾のことを熱烈に好きかっていわれるとちょっと違う気がする。
でも、やっぱり台湾は自分を構成する大きな要素だ、と感じるところがあって、それは私のルーツに台湾がちょっとだけ関わっていることが大きいのかもしれません。
沖縄生まれ、沖縄育ちじゃなくてもきっとあるんだろうけど、県民に生まれたら必ず通る小学校低学年の平和学習の宿題。
「祖父母から戦争の体験を聞いてみよう」で祖父にインタビューした私はたぶん初めて「台湾」という言葉を聞きました。
祖父と祖母は戦前台湾に住んでいて、そこそこ良い暮らしをしていたそうです。
祖父は台湾で兵隊にとられて南のほうにいったのだそう。
そしてぽつりとつぶやきました。
「台湾で兵隊にとられたから生きて帰ってこれたのかもしれないねー。沖縄にいたら(沖縄戦で)無事ではいられなかったはずよ。」
激戦地沖縄で多くの人が命を落としたのはその頃の私でも知っていました。祖父のつぶやきを聞いた私は幼心に「おじいちゃんおばあちゃんが台湾に住んでなかったら私も生まれてないってことか」と台湾というものに感謝したことを覚えています。
これが私と「台湾」との出会いでした。
しばらくするとそんなことはすっかり忘れて、台湾=祖母が旅行に行って(今思うと住んでたところを見に行ってた)くれた土産のハスの実の甘納豆みたいなお菓子がおいしくないところ、にすり替わっていたような気がしますが。
その記憶をぶわっと思い出したのは大学1年生の秋でした。
続く。
なぜ台湾雑貨屋になったかというと②はこちら
https://note.com/akikoueno/n/n7c301e2d5368