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私とネオロマンス、私と遙かなる時空の中で

※個人の感想です

守護聖様たちとの出会いから数年後

 私とネオロマンス(アンジェリークシリーズ)との出会いはすでに語った。本記事は前記事『私とネオロマンス、私とアンジェリーク』の続きにあたる。
 『アンジェリークデュエット』にドハマりした私は、『アンジェリークSpecial』『アンジェリークSpecial2』『不思議の国のアンジェリーク』『スイートアンジェ』『天空の鎮魂歌』と順調にクリアしていった(トロワとエトワールとネオアンはさらにその後)。
 前記事にも書いたように、『デュエット』をプレイした時点ですでに『遙かなる時空の中で』はリリースされていたので、私はこのソフトを中古で購入した。
 貴様はネオロマンス推しのくせにソフトを中古でしか買わねえのかよと思われるかもしれないが、私はかなり遅咲きのネオロマンサーなのでどうしても新作待ちではなく、すでに出ているソフトを後から追いかける形になるのだ。
 クリスマスイブにロマンチックな出会い方をし、友人たちとの楽しい夜を彩ってくれた『アンジェリーク』とは対象的に、私が『遙か』に出会ったのは人生の苦しい時期である。

苦しい時こそネオロマンス

 初めて『アンジェリークデュエット』をプレイして以来ゲームなるものに触れるようになったとはいえ、ゲームを全くしない人生を送ってきた人間が突然それまでの生活スタイルを覆して「帰宅してすぐゲーム! 徹夜でゲーム! 休日もゲーム!」みたいな生活にはならない。また就職活動やら卒論やらがあったので、忙しい時期に突入してもいた。
 卒業し、就職すると、さらに時間はなくなる。大学でのびのび過ごしてしまうと、新卒として社会に出た時に、まずは「自由な時間が1日数時間で、週に2日しか休みがない」という事実に驚く。よくみんな正気でいられるなと思ったし、今も働きながらそう思い続けている。
 新社会人となった私は、慣れない仕事と人間関係による疲労で、帰宅した後にプレステを起動するところまで行けない日々が続いた。休日は学生時代の友人と遊び歩いたり、映画やら買い物やらで過ごす。となるとゲームをする時間は自然となくなる。
 携帯型のゲーム機ならば起動させるのにも手間がかからないが、当時私が持っていたのは中古のPS(置き型ゲーム機)であり、しかもそれを常に部屋に出しっぱなしにはしていなかった。ゲームをする時にだけテレビ台の引き出しから本体を取り出し、ケーブル(赤、黄、白のやつ)をテレビに繋ぎ、スイッチオン。つまり、起動までがやたらとめんどくせえのである。
 仕事で疲れ果てた夜11時とかにゲーム機を引き出しから出して線をつなぐのはキツい。こうして私はネオロマというか、ゲームを次第にやらなくなっていく。
 仕事は充実、といいたいところだが、同期の新卒がバタバタやめていく中で仕事は増え、帰宅は夜中。その「疲弊」を「充実」と言い換えないとメンタルが死ぬような忙しさだった。「今はいいがこの先もずっとこの会社で働くのは無理」と気づいた私は、スパッと会社をやめて転職することに。雇用保険で暮らす間、資格の勉強をしつつ職探しをするわけだが、当然会社勤めをしていた頃より時間ができる。
 求職中ゆえにあまり金を使いたくないので、「ここはひとつ、図書館で『グイン・サーガ』(130巻超えの小説)でも借りて読むか」となったわけだが、さすがに昼夜『グイン・サーガ』漬けはどうなんだと思い、引き出しから引っ張り出してきたのがプレステである。
 中には『アンジェリークSP2』のソフトが入れっぱなしだった。
 久々に浴びたネオロマは、なんというか、無職となった身に温かく沁みた。癒されたと言っていい。
 前の記事にも書いたが、私にとっての乙女ゲームは「癒し」なのだ。ヒーリングミュージックを浴びるとホッとする人間がいるように、私はオスカー様の「お嬢ちゃん」を聞いたら癒やされる人間なのである。この時ようやくそれを思い出した。
 オスカー様の「お嬢ちゃん」やジュリアス様の「この私ともあろうものが」による癒し効果を忘れていたなんて、とんだ馬鹿野郎であり、恩知らずである。
 『アンジェリーク』で心身の癒しを実感した私は中古ゲームショップに出向いた。この時の私はまだ『ネオロマンス』というより『アンジェリークシリーズ』のファンだったのだが、「そういやコーエーから別のタイトルも出ていたな」と思い出したからだ。
 それが『遙かなる時空の中で』である。
すでに時代はPS2だったが、なにしろうちにあるハードはPSのみだ。幸い『遙か』はPSのソフトだったので即購入。
 我無職故自由時間無限也。
 
ということで帰宅してすぐにプレイ開始である。

京を救いに異世界へ

 『遙かなる時空の中で』は現在7まで発売されている人気のタイトルだ。このゲームはナンバリングがあるとはいえ続き物ではなくどこからやっても楽しめるが、この時私がやったのは一番初めのいわゆる『無印』あるいは『遙か1』である(1の表記はないのだが、便宜上そう呼ぶ事が多い)。
 『遙かシリーズ』は、全タイトル通じて「龍神の神子」と呼ばれるヒロインが、ピンチに陥っている異世界を救うという物語だ。厳密に言えば4だけは少し違うが、かといって他との違いを詳しく述べてもネタバレに触れて怒られそうなので、未プレイ者はそのへんをさらっと流すか、何とかして自力でプレイしてほしい(不親切)。
 『アンジェリーク』のキャラが名前も衣装も洋風なのに対して、『遙かなる時空の中で』は和風のファンタジーである。それも平安時代、摂関期が舞台だ。ゲーム内に安倍晴明が登場するところから、藤原道長の権力確立期だとわかる。帝がいて公卿がいて、武士の地位はまだまだ低い。そんな時期である。
 『アンジェリーク』が乙女ゲームの夜明け的存在なら、『遙かなる時空の中で』は和風乙女ゲームのパイオニアなのだ。
 ということで日本初の歴史系乙女ゲー厶は、メジャーどころの戦国時代ではなく、平安時代を舞台として始まったのだ。
 パッケージに描かれたキャラクターの服装は水干や直衣を元にしたデザインになっている。袈裟を着た僧形キャラが堂々と攻略対象に入っているあたりは、『なんて素敵にジャパネスク』世代の胸を打つ。
 ここで注意したいのが『遙か』は、タイムスリップ歴史ものではないということだ。「日本によく似た異世界もの」なので、もし歴オタが物申してきてもスルー可能である。そこがこのゲームは非常に上手い。
 攻略対象には皇族、殿上人、陰陽師、武士などがいて、ヒロインは美しい紙に季節の花を添えて文を出し、香を焚く。アイテムは札を合わせる遊びによって得られるし、物忌みや方替えといった当時の習慣も取り入れられている。
雅……!
 このゲームは現代人が思い描く「素敵な平安文化」だけをうまく抜き出したような舞台設定になっている。ゲーム内の季節は桜が舞う春から初夏にかけて。鬼や怨霊と戦わねばならないわりに、全体的に雰囲気が明るい。
 『鬼』と呼ばれる敵は出てくるし攻略対象も色々と重いものを抱えているのだが、それでも全体的になんとなくおっとりはんなりしているのが『遙かなる時空の中で1』なのだ。
 仲間たちもみんな最初からヒロインに優しい。
 ゲームを開始してすぐに、
 え? 八葉(←攻略対象)とお出かけして質問に失敗したら険しい顔をされた上に秒で帰宅、とか無いの?
 そう思った。
 ほんとにみんながやたらと優しい。いや、優しいというよりも「大事にされている」が正しい気がする。最初から最後まで「困っている自分たち異世界の民のために降臨してくださったのがヒロイン様です」という扱いなのだ。
 下にも置かぬ扱いとはまさにこのこと。
 他のナンバリングをプレイした後だと、1のヒロインのあかねが、2以降のヒロインたちと比べて格段に恵まれていることがわかる(※個人の感想です)。
 自分の立場や敵や異世界への戸惑いは見えるが、ゲーム開始当初から基本的にみんなに蝶よ花よと大事にしてもらえるのだ。ここは他のナンバリングのヒロインとは少し違う部分だと思う。
 しかし今思えばこの部分こそが、疲れ果てていた私にはぴったりだったのだろう。もしこの時に手に取ったのが『遙か1』ではなく『遙か2』の方だったら、メンタルに追い討ちを食らった可能性がある。(『遙か2』のヒロインは『1』よりもずっと人間関係や自分の能力の低さに悩み苦労する)
 私が最初にクリアしたのは源頼久ルートなのだが、彼は特にヒロインのことを『主』として丁重に遇するし、だからこその葛藤も魅力的だった。
 苦しゅうない、近う寄れ。
 そう思った。
 これは守護聖様を相手にしていた時には生まれなかった感情である。

 あと、『遙か』はクリアした後に『アンジェリーク』よりもさらに達成感があった。
 『遙か』には悪いやつが出てきて、それをなんとかして異世界を救うという最終目的がある。乙女ゲームなのでもちろん恋も絡むが、悪いやつを倒さないことには話が進まないのが『遙か』だ。
 しかし敵を倒したら倒しただけ褒められるし、なんなら封印すれば敵の怨霊にさえ感謝される。
 私は求職中の心もとなさの中で、怨霊を封印してみんなに褒められた。それは、なんというか非常にスカッとする体験だったのだ。
 退職からすぐに気持ちを切り替えられた訳では無いが、八葉全員の攻略を終える頃には徐々に体調も良くなり、メンタルも安定。私は無事に転職を果たしたのだった。

『遙かなる時空の中で』 による救済

 『アンジェリークデュエット』が友だちとの楽しい一夜の思い出と結びついているのと対象的に、『遙か1』は私がそれまでの人生で一番悩み苦しんでいた時期の思い出と深く結びついている。
 「聴いていた音楽を聴くと当時を思い出す」とよく言われるが、ゲームのBGMにもそれが言えるのではないだろうか。
 実際、この十年後くらいに『舞一夜』(『遙か1』のFDのようなソフト)を起動させてあの音楽を聞いた瞬間、当時の記憶が蘇って、
 ウワァァァァァ!!
 あの時は大変だった!!
 けど何とかなって今があるよ!!
 と、すやすや昼寝している我が子の隣で思った(赤子が寝ている隙にゲームをやっていた)。
 あの時、意を決して退職し『遙かなる時空の中で』を購入して京を救わなかったら、体調どころかメンタルがヤバいことになっていたかもしれない。その後の出会いもなく、我が子にも会えなかった可能性が高い。
 それを思うと『遙か』は私の救世主である。
 人生には山も谷も平地もある。だが、そこをどう乗り越えるかは人それぞれだし、その手をそっと引いてくれたり背を押してくれる存在も人それぞれだ。

 そんな存在が、私にとっての『遙かなる時空の中で』といえる。

 ちなみにこの数年後、私はまたゆえあって転職することになるのだが、その時に救ってくれたのは『金色のコルダ』である。
 つくづく私はネオロマンスに命を救われている。

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