下天の華 罪の華 羽柴秀吉攻略感想
※個人の感想ですよ~。
秀吉ルート、毎度お馴染みフォロワーさんたちの感想(抜粋)は「号泣」「息苦しい」だった。DA・YO・NE☆としか言いようがないので、私の感想ももうこれでいいんじゃないかと思ったが、一応まとめた。
通常ルートの感想にも書いたが、他と秀吉ルートの大きな違いは「桔梗姫」の正体を秀吉が初っぱなから見抜くことだろう。
ほたるも再三言っているが、秀吉の対応次第ではここ(第一章)で役人につき出されてお縄になり、罪の華どころか通常ルートが「完」になってもおかしくない。そんな状況から秀吉ルートは始まるのだ。
光秀のようにほたるを雇って任務を与えているわけではないから、秀吉にはほたるの素性も安土に潜入している目的も、何もかもわからない。
にもかかわらず、彼はほたる自身の内面を知ろうとし、その心根をずっと信じていてくれる。少しずつほたるの心を開かせ、「何があってもこの手は、あんたの心を裏切っちゃならねえよ」と、ほたるを諭してくれる。
「罪の華」秀吉ルートのほたるは、そんな彼の気持ちを最悪の形で裏切るのである。
例によって幻覚を見せられ、鳳凰像を安土に運びいれるほたる。
ここでも秀吉の有能ぶりが伺えて痺れた。事前にほたるが忍びだと知っていればこそというのもあるだろうが、「おかしい」と感じた時点ですぐに「桔梗姫」の動きを追わせ、策を見破っているからだ。さらに、ほたるの動きと同時に見張らせておいた光秀の屋敷をすぐに包囲している。
普通に考えたら、安土城に火をかけた忍びを妹と偽って館に入れていた光秀は罪人として処断されるところだ。そうならなかったのは、ほたるの役目を聞かされていた信長の取りなしがあったからだろう。
また普通なら処刑されてもおかしくないほたるが助かったのは、助命を頼み込んだのが火を防いだ功労者の秀吉だからだ。(家康ルートでほたるが牢から出されたのと同じだろう。ただし、蘭丸ルートでほたるが牢から出られなかったのは、このルートでは信長が重傷をおったからだと思う)
しかし、それだけ周到に動いているのに秀吉は、火元に人を呼び集めない。大火にはならないと踏んだのもあるだろうが、ほたるの姿を衆目に晒すのを躊躇ったように見えた。
牢に入れられて、光秀の口からその後の顛末を聞かされるのは、もはや恒例行事みたいなものだが、牢には秀吉がやって来ない。
これが他のルートと大きく違う点で、プレイヤーの嫌な予感がマックスにまで高まる瞬間だ。
ここでほたるが「秀吉にだけは会いたくない」と暴れるのも無理はない。
私も正直、会いたくねえと思った。
忍びと知っていながらほたるをあんなに信じてくれたキャラは初めてだし、それを手酷く裏切った自覚もある。
火付けの現行犯として鳳凰像の前で止められた時も、秀吉はほたるを責めるというより、ほたるの弱さに気づけなかった自分の行動を悔やんでいる。
蘭丸、家康、光秀ときたが、私はこの秀吉ルートが一番、キャラに「申し訳ねえーー!!」と思った。
しかも罪悪感はこれで終わりではない、ピークはこれからやってくるのだ。
「行きたくねえな~!」と思いながら連れてこられた秀吉の屋敷で、ほたるは佐吉に憎悪の目を向けられる。多分プレイヤー全員が思っただろう。
佐吉に責められるのマジでキツい、と。
それにしても尋常ではない怒りぶりの佐吉。これは、信長に重傷を負わされた蘭丸と同じ怒り方で、このまま「罪の華佐吉ルート」開放かと思うほどだが、その怒りの理由がすぐに明らかになる。
秀吉は視力を失っていたのだ。
うわ~!通常ルートでも秀吉に怪我させたのに~!
これがこのルートひとつ目の山で、ほたると共に涙を流したプレイヤーも多いことだろう。
しかしこの後も秀吉はほたるを責めることなく、えらく寛大に見える。ただ、よく考えたら言い回しが違うだけで、自害を禁じ、さらに「もし負い目を感じるなら…」とほたるの行く末を言葉で縛ったのは光秀ルートと同じなのだ。
だが、光秀に同じような事を言われた時には「な、何をするつもりだ?!」と警戒心が湧いた私だが、秀吉に言われた時にはあまりそういう気持ちにならなかった。しかも「オレの目になってくれ」と言われた時には、「そんなことでよければいくらでもしますとも!」と思った。多分、ほたるもそう思っただろう。
このやり取りだけでも、秀吉が「人たらし」なのがよくわかる。しかも、ここでほたるの罪悪感と自己嫌悪につけこむ形(言葉は悪いけど)で、彼女の気持ちをがっしり掴んだあたり、信長が言うように秀吉はただ寛大なだけの男ではない。
エンディングは数ヶ月後。
ぱっと見には秀吉とほたるは仲良くやっている。秀吉の目としての甲斐甲斐しく世話を焼き、執務を手伝うほたる。
悪くないじゃないか。
そう思った時、事件前と事件後での決定的な違いに気づくのだ。
それはほたるが、秀吉に対する自分の言動にひたすら気を遣うようになっていることだ。光秀ルートのように虚ろな表情ではないものの、ほたるの気遣いは健気と言うより痛々しい。
罪の華に入るまで、秀吉ルートのほたるは他のどのルートよりも生き生きしていた。
最初に正体がバレたというのもあって、ほたるは秀吉の前ではいつも素の自分を見せていたように思う。生真面目で融通がきかないところがあって、でも笑うと可愛いほたると、陽気でちょっと助平な秀吉のやりとりは、いつだって私たちプレイヤーを楽しませてくれた。
少なくとも選択肢が全て「仕事に専念してください」と出てきたのは秀吉ルートだけだし、二人のやり取りは軽妙でほほえましい。
秀吉ルート(通常)は、二人の会話や掛け合いが楽しいことも魅力の一つなのだ。
ほたるの秀吉への塩対応や「あ、あんたの事なんて気にしてないんだからね!」というツンデレぶり、ぴしゃりとやり込める様、それらを見ながらニヤニヤしてきただけに、このルートのラストで「なんでもします、なんでも」と尽くしまくるほたるが痛々しく息苦しく感じられるのだ。
ほたるは、秀吉のいつもの軽口を軽口で済ますことが出来ず、全てを「要求」「秀吉殿が望んでいること」と捉え、笑顔も見せないように気を張っている。
これまで私たちが楽しく見守ってきた秀ほたなら、「火傷には口づけ」という軽口に対して「秀吉殿は休憩が必要どころか、まだ元気がおありのようですね。佐吉ー!」「そりゃねえぜ、ほたるよ~」くらいの会話を繰り広げるだろう。
しかし、ここでのほたるはもう、どんな軽口にも戯れにも「仰せのままに」というような事しか言わず、拒絶する選択肢は持たない。もう、あの楽しいやりとりが繰り広げられる事はないのだとわかってしまう。
ほたるは決して不幸な目に遭っているわけではない。だが、秀吉に対して深すぎる罪悪感を持ち、自分を責めることしか出来なくなってしまった彼女は、もう秀吉と対等の会話など出来ないのだ。
寝所の準備にしても、秀吉がほたるを意のままにしているわけではなく、彼女自身が罪の意識から逃れるために、ひたすら秀吉に依存しているように感じられる。
秀吉の目になり、彼の世話を焼き、言われるがままに動くことが、彼女の贖罪であり、それをしている間は罪の意識を脇に避けられて楽なのだと思う。
逆に言えば、秀吉の視力が戻れば目としてのほたるは要らなくなる。彼の目になるという贖罪の手段を失ってしまう。そうなると、ほたるはまた自分を責め始めるだろう。視力が回復するのは良いことのはずなのに、目の代わりになるという手段を失えば、ほたるはまた苦しまなくてはならないのだ。
秀吉はそれをちゃんと理解していて、視力が回復しつつあることを伏せ、なにか他の「贖罪の手段」をほたるに与えようとしている。たとえそれが、どんなにほたるに秀吉への依存を強めさせる事になるとしても。
秀吉はほたるを縛り付けていることを自覚しているが、それでもなお手離せないと思っているのだろう。
これは秀吉の欲なのかもしれないが、ほたるの心が罪悪感のあまり壊れてしまわないように守っているともいえる。彼女が生きるためには、気がすむまで贖罪させることが必要だと思っているからだ。
そして、それが狡い言い訳であることも、罪の意識につけこむ所業であることもわかっていて、秀吉はほたるを傍に置き続けるだろう。
ただ、秀吉ルートは今までで一番「これからの幸せな未来にワンチャン」という期待が持てる気がした。秀吉の視力が戻って、ほたるの罪悪感が少しずつでも和らいでいけば、二人は笑顔で生きていけるかもしれない。そう思えるエンディングだったと思う。