映画「原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち」を観た
ここのところ、世の中の原発をめぐる動きが活発だ。
私のようなのほほんと暮らしている人間にも、その動きが、決定が、良くない方へ向かっているのがわかる。
福島第一原発事故のことを、まさか忘れているわけではあるまい、と首をかしげる。
怒り?
悲しみ?
呆れ?
その一方で、諦め?
感情がもつれているし、情報があれこれ入り混じるし、世間や識者の声もいろいろだし、自分自身の足元がグラグラ。
原発に対する「わたしの軸」みたいなものを、確立することができない。
そんな私に、この映画は、明快な答えを示してくれた。
極めてシンプルな、原発を止めた裁判長の判決文は、こうだ。
「日本の原発は耐震性が低いのだから、運転は許されません」
(もちろん、こんな口調ではありません。悪しからず)
そして、「原発の耐震性が低い」所以を示す具体的なデータが、スクリーンで展開されていく。
その一つが、「原発の耐震性は、一般住宅のそれに劣る」というもの。
「んん? 住宅より耐震性が低い? どういうことですか?」って、なりません?
そういったビックリギョーテンな事実の数々が、淡々と語られていく。
難しい専門用語もわかりやすく解説されているので、科学用語と疑問符の波に飲み込まれることもない。
ああ、わかっていたけど、やっぱり原発はめちゃくちゃ危険じゃないか。
やっぱり原発反対!
安全性が低い原発なんか、稼働しちゃいけない、はんたーい!
と、威勢よく叫ぶ(心の中で)。
だが、今までの私は、数分後、数時間後、数日後に「でもさ…」となっていた。
「でもでも、原発を止めたら経済が停滞しそう。
でもでも、原発は地球温暖化の原因である二酸化炭素を出さないし。」
これ、私のいつものパターン。
一見「正義」で「これでも考えてるんですよ、わたし」的な思考がふつふつと沸き上がる。
しかし、今回は違った。そんなモヤモヤも、劇中の判決文を目にすれば吹き飛んだのだった。
私の解釈は以下です。
原発がなければ困る!と騒いでいること(経済、コスト、電気代…) と、ひとたび事故が起きた時に失うものを、同じ天秤にかけるなということを、判決文は言っている。
ひとたび事故が起きれば、人命も国土も、そして未来までも失うのだ、と。
ごくごく普通に生きてきた私にも分かりやすい、しかも心に響く判決文だと思う。ぜひ、映画で原文に触れて欲しいものです。
私は言葉を手元に残しておきたくて、パンフレットを購入しました(パンフレットを買うなんて、何年ぶり!?)
この樋口英明元裁判長の判決文は、原発のみならず、私の生き方に指針を与えてくださったなあ。
大袈裟? そんなことはない。
世の中を見渡せば、「考えるべき問題」がたくさんあって、そのほとんどが「でもでも」の壁に阻まれていると思うのです。
そんな「でもでも」の呪縛を解く可能性と、勇気を与えられた気がしています。
* * * * *
この作品は、裁判長だけでなく、全国の弁護士、原子力産業と原子力安全規制に従事されていた方も出演している。
また、副題にあるように多くの農家の方々も。
原発に疑問を抱いている人なら誰でも、「観てよかった」と思う映画。
地球の現在と未来を憂えている人も、「観てよかった」と思う映画です。