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【50歳のつぶやき】急がば歩け〜走ると一歩が5センチ縮む説〜

あなたの歩幅が70センチとする。それが65センチになってしまう、というお話。

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ある朝の出勤時、家を出るのが遅れた。「あーだめだ、いつもの電車に間に合わない、まあいいか、次の電車にしよう」と潔く諦め、いつもより7分遅い時刻に乗ることにした。

実はその時間でも十分に間に合うのだ。
駅からパート先までの川沿いの道を気に入っているから、ゆったりお散歩するために早めの電車を選んでいるだけ。7分遅れていても、勤務先までスタスタ直行すれば、いつもの時間に到着するであろう。

自宅から駅までは大体10分くらい。7分遅い電車に乗ることにしたので、気持ちにも足取りにも余裕がある。とても快適なペースで駅に到着すると、おや?
大変だ、いつもの電車に間に合いそう! まだ電車がホームに停止しているので、小走りで改札を抜け、車内に滑り込んだのだった。

飛び込んだ勢いで奥のドアまで歩を進め、息を弾ませながら車窓の景色を眺めた。そして得心したのだ。「ああ、やっぱりそうなのか」と。何が「そうなのか」というと、50歳を過ぎたら「走る」よりも「早歩き」をした方が、早く前に進めるということ。さっき、身をもって体感した。

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朝、「出遅れた!」となると、間に合わせるために足早になる。少しでも早く走って、間に合うように尽力する。これが普通だ。
若い頃はこれでよかった。「走ったら早く着く」は、ごくごく当たり前の自然現象だった。

しかし、50歳前後になって、その当たり前に違和感を感じ始めていた。
「これって、〝走る〟というよりは〝飛んで〟いるのでは?」と。気持ちが焦れば焦るほど、前に行こうとすればするほど、身体は前ではなく上に弾んでいる気がしてならない。私が持つエネルギーを前進のみに集中させたいのに、足元は無駄に放物線を描いて消耗している。
しかも走ることで荷物が肩からずれて、上半身は左右にも揺れる。「前に進みたい」という思いが身体を右に左に揺らして、まっすぐな歩行の邪魔をする。
足元では無意味な放物線を描き、上半身は無駄に横揺れする。平常時の一歩が70センチあっても、慌てて走ったりすると5センチほどが空中の放物線に吸収されてしまい、歩幅が65センチになってしまうという計算だ。

これが50代の「走る」現実なのだろう。

そんなことを考えながらここ3年ほどを生きてきて、「いつかスマホで双方のタイムを計ってみよう」などと考えていたのだが、今日のことで合点がいった。

急いでいる時こそ、走らない。右足と左足を地面スレスレ水平に移動させる。最大値の歩幅をキープしながら、着実に前に進む。

50歳を過ぎたら、急がば歩け。私の新しい座右の銘である。

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