【おり紙と息子とわたし9】ナットとボルト と、折り目でドン!
この「ナットとボルト」は以前に親子で挑戦し、ああだこうだと試行錯誤したものの、とうとう完成に至らなかったという曰く付きの作品。
「こうかな?」「こうじゃない?」と試行錯誤するうちに、余計な折り目がいっぱいついてしまい、ボルトのネジネジ部分がとうとうフニャフニャのぐちゃぐちゃになってしまったのだ。
あれから2年ぐらいが経ったのだろうか、息子が「ナットとボルトを折る!」と果敢に紙を取り出した。
「おお、頑張れ!」と声援を送り、懸命に取り組む息子を見守ること1時間ほど。息子が「できた!」と言うので見に行くと、「やっと折り目ができたー!」とのこと。
おお、折り目。1時間かけての、折り目、ですかい。
工程の半分以上が折り目づくり
そうだった、この作品は折り目が命。
調べてみたら、全工程49のうち29までが折り目づくりだ。丹念につけた折り目を回収しながら、後半戦で一気に立体的に、ボルトの形に整えていく。
まず正方形の紙を横に8等分してから、斜めの折り目をつけていく。それからさらに16等分したり、斜めの折り筋をひたすら残したりするのだが、かといって、リズミカルに同じことを繰り返せばいいというわけではない。部分的な折り筋もあるため、調子に乗ってどんどん折っていくと「折りすぎてしまったー!」事態にもなりうる。
ひとつでも間違えたら、それはボルト作りからの脱落を意味するのだ。とても神経を使う作業であるのと同時に、いきなりクライマックスだと思う。
「折り目正しい」という言葉
折り目正しい、という言葉がある。
「きちんとしている」「礼儀正しい」という意味だが、調べてみると「着物を畳んだ時の折り目」から来ているそうだ。
なるほど。
着物はもちろんそうだけど、折り紙だって日本古来の文化なのになあと、ちょっと悔しい気がするのは何故だろう。
ああ、でももし「折り目正しい」の語源が折り紙だったら、「折り目正しい人」は「神経質な人」とか「細かすぎる人」とか、そんなネガティブな意味だったかもしれないな。
折り目で作品を見極めることは可能か
先日、リビングを掃除していたら、折り目だけがついた25センチ四方の紙が出てきた。
多分、私が中途半端に「無理無理〜!」とか言いながら制作を投げ出した折り紙だ。
うーむ。何を折ろうとしたんだろう。折り目では分からない。折り紙教本のページを繰って、血眼になって探さないことには答えが出ないだろう。
息子に聞いても「分からない」との返答。そうか、分からないか。
これって、折り紙のエキスパートに見せたら、即答だったりするんだろうか。
折り紙のエキスパートをお招きして、うちのあちこちで舞っている「折り目だらけの折り紙」を「鑑定」してもらったら、
「あ、それはカバですね」とか
「あ、それはここの部分に余計な折り目がついている、チワワですね」とか回答してもらえるのだろうか。
イントロ・ドン! ならぬ、折り目・ドン!
昔、TVチャンピオンという番組があった。そこで「折り紙王選手権」があったみたいなのだけど、そこで「折り目・ドン!」はなかったのかしらん。
意味不明すぎて、きっと面白いと思う。
さて、ナットとボルト、息子は遂に完成させた。おおー!かっこいい!
この作品の後に、ひとまわり小さいサイズ、しかも赤の折り紙で、もう一つのボルトも完成させたのに、友達にあげちゃったって。
マリオが使いそうな金赤で、サイズ感もちょうど良くて可愛かったのに。
また折ってもらおう。
※「TVチャンピオン」、本当にもう終わっているのかなと思って調べたら、つい3日前に番組の復活が報道されていた。
わーい、「折り紙王選手権」をぜひやってほしい。折り紙のすごい人たち、いっぱいいるしね。ぜひお願い。見たい。
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今日の作品:ナットとボルト(作者:デビッド・ブリルさん/「端正な折り紙(山口 真)」より)