パリジェンヌと思っていたのに、囚人だった話
秋めいてくると、長袖Tシャツを着る機会が増えてくる。気がつけば、私のクローゼットに収まっている長袖Tシャツは、ほとんどがシマシマ、ファッション雑誌風に言えばボーダーなのであった。
自分でも驚いた。ボーダーしかないやんけ、、、。無地らしき長袖シャツを引き出しの奥から見つけて「あった!」と胸を弾ませたが、よくよく見たらただの「ババシャツ」でがっかりした。
無意識のうちに、ボーダーばかりを買っていたんだなあ。「寒くなったから、長袖シャツを買おう」と手に取ったものが、ことごとくボーダーだったとは。惰性って怖い。
若い頃は、ボーダーがオシャレだと信じ、意識して選んでいた。フランス映画『勝手にしやがれ』で有名なジーン・セバーグ(アメリカ人)の着こなしにとにかく憧れ、セシル・カットと呼ばれたショートカットを真似したりなんかした。『勝手にしやがれ』の内容はぶっちゃけチンプンカンプンだったが、パリの街並みやセバーグのファッション、洒落た雰囲気にすっかり恋をしたのだった。
そう、20歳そこそこだった浅はかなわたくしは、パリジェンヌを意識して、パリジェンヌを気取って、ボーダーTシャツを選んでいたのだ。
しかし、それから30年。どのタイミングから「こだわってボーダーシャツを選ぶ」ことをしなくなったのだろう。無意識で買ったボーダーシャツを、無意識のうちに身につける。自己主張も何もない、ただ素肌を隠すための代物となっていたと思う。
そんなタイミングだった。ママ友から思いがけない言葉をかけられた。
「いつもボーダー着てるね。ボーダーって、囚人みたいだよね」
激しく動揺した。しゅ、囚人! 否定はしない、確かに、欧米の映画に出てくる囚人はボーダーを着ていることが多い。しかし、決定的な違いがある。奴らは全身、私はさすがに上半身だけだ。そこは心の中で主張した。
かつての私はパリジェンヌのつもりでボーダーシャツを選んでいたのに、〝囚人〟と言われるとは、なんたる不覚。
セバーグに謝れ、バーキンに謝れ、ピカソに謝れ、ココ・シャネルに謝れ。気を抜いたばっかりに、先人が築き上げた「ボーダー神伝説」に泥を塗ってしまったことを悔やんだ。
ネットでサクッと調べたら、あるわーあるわーおしゃれな着こなし。
クローゼットの中で犇めき合うボーダーシャツ達のためにも、垢抜けたボーダースタイルで秋冬を攻めようではないか。
と、ちょっと考えてみた、10月の半ば。
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