海外生活を不便と思わなくなった日
わたしがオーストラリアに来たのが30年ちょっと前。
そのころは
まだまだオーストラリアは田舎で
日本の方がずっと進んでると思ってた。
その頃国際電話ひとつかけるのも大変だったから。
英語が全く話せないままきたわたしは
その頃の国際電話はオペレーターを通してかけるようになっていて
これが大変だった
もちろんオペレーターはオーストラリア人
わたしの英語が通じなくて
電話を繋いでもらえないことが何回もあった
その度に
悔しくて泣いたこともあったし
日本が恋しかったし
すごく離れてるんだと
実感したことの一つ
これほんとうの話
その頃日本では公衆電話でカードが使えてたけど
オーストラリアにはなくて
大量のコインを持って
ガチャガチャコインを入れながら話ししてた
そこから公衆電話でカードが使えるようになり
オペレーター通さなくても国際電話がかけれるようになり
インターネットの普及で
電話がタダでかけれるようになったのは
なんというか
いいの?みたいな。笑
パソコンが普通に使えるようになり
インターネットが始まり
わたしの世界が変わった。
物理的な距離は変わらないのに
もっと身近に日本を感じられる
毎日、日本のニュースが見れて
日本のテレビだってオンタイムで見れる
そうしてるうちに
きた時は数えるぐらいしかなかった日本食の店も
数えることができないくらいに増え
巻き寿司はどこでも買えるぐらいになり
今じゃ
普通のコットにスーパーでもお寿司を売ってる
ユニクロもダイソーさんもやってきてくれた
今度は
セブンイレブンも日本の傘科に入るとか?
日本に帰らなくても
それなりの生活ができるようになってしまった感じ
そのせいか
日本は恋しいけど
帰らなくても
そこそこ日本をこっちで感じられるようになった
とはいえ
やっぱり日本に帰る時には
ドキドキする
浦島太郎になってる感は毎回否めないから
前回帰った時にSuica初めて使ったし。
海外から日本に行くと
まだまだクレジットカード使えないところもあったりで
不便なこともあるけど
30年前に比べると
海外に住んでて
日本が恋しくて仕方ないということは
かなり減った
そう考えると
わたしの世代前にきた
いわゆる
戦争直後にこっちにきた人なんかは
船で何日もかけてやってきて
それこそ
日本には2度と帰れない決意できて
この地に骨を埋めた人たちもたくさんいて
時代の流れを
この目で見ることができてる
オーストラリアと日本とどっちがいいとよく聞かれるけど
それは
わたしには決められない
オーストラリアにはオーストラリアのいいところがあるし
日本には日本のいいところがある
比べた時に
ここはこっちがいいと思うとかはあるけど
それが
どっちがいいという判断にはならない
どっちもいいところなんだよね
ただ
わたしは今はオーストラリアの生活を選んでるだけ
とはいえ
ここ100年で
私たちの生活が変わり
ここからも変わっていくことだろう
10年先には
またこの世界が変わっているかもしれない
数年前に起こったようなことが
起こらないとも限らないから
違う意味で
いつか
世界が本当に
一つになる日が来るのかはわからない
どんなふうに変わっていくのか
便利になるだけ
不便なことも出てくるだろうけど
いい世界になっていってほしいな〜と
そんなことを思う
わたしの住んでるゴールドコーストは
今日も暑いです。