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オリンピックから見る親子関係
さてオリンピックも終わりましたね。
東京オリンピックが色々あって
あれから3年。
たった3年、もう3年
いろんな思いがあってのアスリートたちの3年だったことでしょう
いつもオリンピックは感動をもらいます
あそこにくるまでの努力
自分に甘い私には考えられないことです 笑
自分の限界に挑戦するのは
オリンピックを目指す人だけでなく
スポーツ全般でもそうだろうし
スポーツだけでなく
全てのことで言えるかと思います。
今回日本にいたのもあったし
ネット環境が良くなかったりであまりきちんと見れてなかったのですが
オリンピックの始まる前にも
選手たちのお話を特集でやってました
阿部兄弟のお話を見ることがありました
兄弟二人で柔道の金を目指す
その二人のご両親のお話でした
いつも選手の人たちは
サポートしてくれた人に感謝しますが
そこにどれだけの時間とエネルギーを使ってくれてるのか
それは日々感じることだと思います
そして多くは親御さんの大きなサポートがありますよね
このお二人のご両親もそうで
特にお父さんが素敵
もちろんお母さんもそうだし
柔道をしていない長男さんも
家族で一緒に戦っているって言葉がすごく印象に残りました
そのことを
お二人も感じていますし
それがあるから
あそこに立ててる
そう思ってると思います
妹さんは負けてしまって号泣しました
号泣したことには色々言われてますが
私はあそこで号泣できたのは
その思いの表れだったと思います
誹謗中傷が取り沙汰されてますが
なぜそんなことになるんだろうって
日本を背負っている?
そうなんですか?
オーストラリアの選手ってそんな感覚あんまり感じないんですよね
やった結果
自分達はオーストラリアの選手で
それを誇りに思っているって感じじゃないかな?
日本のメダルに対する思いが違うなって
国同士の戦いですか?
努力してきた人たちの場ではないのかな?
そんなことをおもってしまいました
妹の負けを見て
お兄ちゃんが勝つ
かっこよすぎ
そのメンタルと
礼に対して
柔道を見たように思いました
JUDOになってきていると言われるのも仕方ないですね
いろんな世界のルールが生まれ
その中で戦っていくとなると
柔道なのか?になるかもしれません
戦いになるとどうしても違ってきてしまうかも
各競技のルールはわかりませんが
オリンピックに向けて決まったルールの中で勝っていかないとけない
ボルダーも背が届かないというのがあったようですけど
それも国際ルールではどうなのか?
それが基準ということが決まっていれば
身長が足りないのは仕方ないですよね
ただあそこでそれがわかるというのはちょっと不公平かな
まあいろんな問題が出るのはオリンピック
東京オリンピックは無観客という特殊な環境での開催でしたから
あの時は色々言われたけど
今回パリと比べて良かったとこも言われてる
4年後はLA
そこに向けてまた頑張るひとたちがたくさんいる
私の身近にはオリンピアンはいないのですが
スポーツの盛んなオーストラリア
どこかで出会う機会がないともいえない
頑張る人は尊敬します
そして応援したい
その気持ちを思い出させてくれるオリンピック
選手やそのゲームの後ろにあるドラマも
いつも感動させられます
またここから始まる人たち
ここで終わる人たち
それでも
頑張ったことは嘘をつかない
また4年後
新しい感動を楽しみに
そして
なんと8年後は
ブリスベンでの開催!
8年後見に行けるように!
たくさんの感動を待ってます!